すでに2019年の1月も終わろうとしていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?(^.^)/~~~
私はというと、、、とりあえず通常運転ということで~~~~.。
今年の目標の一つは、月に一回はブログを更新すること。
( ^ω^)・・・というようなわけで、1月も終わりかけている今、慌ててこの記事を書き始めている次第です。
前回の記事の更新で学んだことは 「とりあえず、何でもいいから書けることから書いて行けば(内容はともかく)記事は書ける」 ということ。
そして、アメブロの管理ページを開き、ブログを書くをクリックし、文字をタイピングしないと始まらないという簡単な話。~~~~
なので、まずは前回も書いた、私がナナさんと繋がったことで起こり始めたサイバー攻撃(PCのバグ)の話の続きから。
前回の記事をアップしたことによって「たぶん新たなバグが始まるな」と思っていたところ、予想していた通り新たなバグが始まりました。(#^.^#)
最初に始まったのは、ネットの接続が突然切られるという現象。
しかも、問題はルータで発生するのではなく、PCで発生している。
年始には弟が来ていたので、弟にPCを一台提供するために新しいPCを一台セットアップして計3台使っていたのですが、3台すべてにこの現象が起こりました。
最初は3台同時に、その後はバラバラに。
最初のうちはトラブルシューティングで解決していたのですが、やがてこれでは解決しなくなり、手動でWi-Fiを繋ぎなおす作業が必要になってきました。
そしてその次には、それもできなくなりました。
なぜかというと、ネットを繋ぎなおそうとネット接続のページを開いても「ちゃんとつながっていますよ」との表示が出るので修正のしようがない。
PC画面にも、ネットに接続されていなければ表示されるはずの「ネットに接続されていません」という表示がされず、ただ何も映っていない真っ白な画面があるだけ。
しかし、その一方で、画面右下に表示されているネット接続の有無を示しているアイコンはネットにつながっていないことを教えているという謎の現象。
ただこれも、いったんシャットダウンしてネット接続をやり直すと繋がるので対処はできるのですが、頻繁に起こるとやたら面倒くさい。
なお、今はこの現象は起こらなくなっています。
おこっていた期間は二週間ほどでした。
この現象が起こらなくなったあとから頻発するようになったのは、(皆さんのPCでも起こっていると思いますが)ピー!という警告音と同時に「このPCはウイルスに感染しています」「Windowsのセキュリティが破損しています」と言うような画面の表示。
これは普通であれば、×をクリックして画面を閉じればいいのですが、私のPCに現れる奴は、×をクリックしても全く反応せず画面が閉じない。
ピーという警告音が鳴る前に×をクリックすると画面は消えますが、警告音が鳴ってしまうと何にも反応しなくなるので電源ボタンを長押しして強制的にシャットダウンするしかなくなります。
しかも最近では、再起動した後も画面が消えておらず、ネットにつなぐ前に、タクスビュー画面でトラブルシューティングするなどの事前処理が必要となり、めんどくさ~~い。
同時期にyahooから「メールアドレスの変更手続き承りました」という身に覚えのないメールが来て、メールまでハッキングしようとしているのかと思いましたが、これは私個人に対するいやがらせではなく、この時全国的にこの事件が発生していて、私はただ単にその他大勢の中の一人として被害を受けただけだった模様。(^^)/なのでこの件は心配なし。
・・・と思っていたら、その後さらに謎すぎるバグが起こったぁぁ!!!(#^.^#)ぷっっ~~
しかもそのバグは、もう一つのアカウントでAKB48関連の記事を書いている時におこりました。
だからと言ってナナさんの件と無関係に起こっているかというと、そうではなく、根っこでは繋がっている気がしています。
この時ブログに書いていたのは皆さんもご存じとは思いますが、今年に入って最大の芸能スキャンダルとなっているNGT48山口真帆襲撃事件についてです。
ナナさんもご自身のブログでちょっとだけ触れておられるように、これは、単なるアイドルの世界の話にとどまるものではなく、この事件の核心にあるものを引っ張り出してしまうと、ナナさんが戦っている世界にあるものと繋がってしまかもしれないもの。
この事件を地下の5ちゃんねるで知った時、その経緯があまりに異常で面白かったので、連日ナナさんにショートメッセージを送ってしまいました。
もちろん返事はありませんでしたが、とにかく三日連続でメッセージを送りました。
この時点ではまだNGT48事件の記事は書き始めておらず、PCにも前記したもの以上のバグは起こっていません。
そうこうしているうちにナナさんから新年のあいさつを兼ねたメッセージが送られてきて、そこには通常の内容に加えて、この事件をブログで書こうとしている私に対して『サイバー攻撃を受けまくっていることでもあり、あまり無理をしないでください』という心配も付け加えられていました。
バグが起こったのはこのメッセージを受け取ったあとで、記事を書き始めて三日目くらい。
その時事件の記事を書いている私のPCに何が起こったかというと、一瞬画面に光度の変化が起こったような気がした次の瞬間、私の記事が機械音で読み上げられ始めたのです。
下書きの保存はできませんでしたが、とりあえずびっくりして管理ページを閉じたのですが、記事の画面は消えたのに、消えたページの記事はそのまま読み上げられ続けました。
この現象が終わったのは、アメブロを完全に閉じた後。
そこからさらに表示されている画面を消していくと、最終画面には私のFacebookのページが開かれていました。
これは一体 どういうことなんでしょう。(*´▽`*) ???
なおこの現象が起こったのは、この時の一度だけでそれ以降は起こっていません。
その時書いていた記事がこれ。👇
https://ameblo.jp/murari63/entry-12432529635.html
この現象が一度だけで終わった原因が、この事件が瞬く間に2ちゃんねる→5ちゃんねる始まって以来の大炎上となり、相手側がそれどころではなくなったためなのか、私がナナさんの助言に従い途中から筆致の攻撃性を薄めたためなのかは不明ですが、この事件がただのアイドル事件でないことだけは確かなようです。
それを物語るかのように、この事件の真相を暴こうとするネット民のスレッドでも、過去20年の間一度も起こったことのないような謎の妨害が頻繁に起こり、5チャンネルの各掲示板をざわつかせています。
その中の一つには、この事件を追っている《なんJ》のスレッドへの嫌がらせの書き込みが、新潟県警察のサーバーから書きこまれていたというのもあります。
このことはすぐになんJ民がつきとめて騒ぎ立てたので、新潟県警察も無視できなくなり、これが事実であることを認め「調査する」と発表しました。
しかし、未だに警察関係者が書きこんだのか、何者かが警察のサーバーをハッキングして書きこんだのかは不明のまま放置されています。
(答えがどちらになっても結構な問題となるため、おそらく真相は明らかにされず、このままうやむやにされるとは思いますが)
それくらいこの事件の闇には得体のしれないものの影がちらついています。
しかもそれは、サイババ様の帰依者を自称する私にとっても無視できないもの。
何故ならそこに潜んでいるものは、新潟やインドはもとより世界中で問題を起こしている偽サイババの団体を裏で巧妙に操っている可能性のあるものだから。
偽サイババ゙の団体には私の旧知の人間も少なからず流れているのですが、彼らはおそらく自分たちが世界的な陰謀の片棒を担がされているとは気づいていない。
これを正さなければならないSSIOjの人間も気づいていない。
気づこうともせず、耳をふさいでいる状態(に私には見える)。
しかし、だからといって私に言えることは何もないし、言う気もない。
私は一時期、サティヤサイ東京センターでアクティブワーカーとして1年、役員として4年活動していたことがあります。
しかし、その全期間にわたって私は常に浮いた存在の異分子だったし、私の意見など誰も聞く耳は持っていなかったので私は誰ともつるまずただ一人私の道を歩んできたし、今後も私は私の道を歩むだけ。
私は、サイババ様のアシュラムで側近中の側近として生きてきた人の意見であったとしても、どれほど他の人々から高い評価をえている人の意見であったとしても、その肩書ゆえに信じたり敬意を表することは無い。
すべては、サイババ様が私の中に置いてくださっている霊性と知性の秤にかけて判断するだけ。
いかなる人の評価も、いかなる世界の評価も、肩書も、体験も、威光も、ヨーガ的な能力も、超自然的な力も一切考慮しないし、価値を見出さない。
今後サイババを名乗る存在が現れたとしても、私はその人の言動、語る教えや哲学を自らの秤にかけて本物かどうかを判断する。
私にとってサイババとは、誰かにお墨付きが与えられた存在がサイババなのではなく、私がサイババと認めた存在だけがサイババなのである。
そんな私の目に《今、この人を通してサイババ様が働いておられる》と喧伝するSSIO(サティヤ サイ オーガニゼーション)から分裂する形で作られた団体は、中国のテーマパークに出現するバッタモンのキャラクターのように、いったい誰を笑わしに来ているのだろうと言った感じの、出来の悪いコントにしか見えない。
(しかもこの団体を立ち上げたのが、サイババ様の側近で、まんまと騙されてこの偽サイババに跪いたのが各国のサイセンターでトップにいた役員だったり、世界的に名の知れていた帰依者だったという笑い話にもならないお粗末な話なので私は自分以外の何者の言葉も信じない。自分の外から与えられる情報はすべて洗脳やマインドコントロール。真実はそうしたもののすべてを排除した瞑想の中でしか明らかにならない。私自身が他人の言葉を一切信じない以上、他人にも「私の言葉を信じて」とは言えないし言う気もない)
私はサイババ様の学校の出身者だからといって、特別視することは無い。
特別視する人間がいれば「愚か( ^ω^)・・・」だと嘲笑うだけ。
その肩書の中で、さも訳知りにサイババ様との体験談や、教えを説く人間がいたら鼻で笑う。
そんなものなら私にだってある。
ただ、それを語っていないだけ。
「知る者は語らず、語るものは知らず」
このことを真に理解できる者は、真の敬意に値する。
そんな私が言うのもなんですが、もし今後、サイババ様のことで知りたいことがあったら、その情報はSSIOJに求めてください。
今現在の人類の中に存在している団体の中で一番安心安全で信用できるのはここです。
それは保証します。
問題はいろいろあったとしても、人類の再生に不可欠なのはこの組織だと思っています。
そしておそらく、国としてはインドより日本の方がキーパソン的位置にあるような気がします。
ナナさんを知ってからそう思うようになりました。
ナナさんは、サイババという存在や、サイババ様の教えの理解という点に関しては、未だ闇鍋の中身のように混とんとしている部分や、勘違いしているところも多々ありますが、それでもなお、私がSSOJやアシュラムで出合った人々とは比較にならないくらいの真摯な思いで真理を求めていることが実感できるので、このまま我が道を突き進んでいけばいつかどこかで確変するのだろうと思っています。
なのでこのブログは、ナナさんや、ほとんど更新されない私のブログを心待ちにしてくださっている何人かの人のために、せめてひと月に一回くらいは更新しようと頑張っている次第です。
本題に入るまでの前置きが長くなりましたが、ここからは本題であるサイババ様の教えにある霊的な話(・・・のようなもの(#^.^#))。
13ヶ月ほど前にナナさんに送ったメッセージの転載。
👇
ナナさん 「地球は監獄のような存在でしょ。」
私 『 監獄を「まともな人間にするための矯正施設」と考えるなら「そのとおりです」 しかし、犯した罪を罰して償わせるための懲罰施設と考えるのであれば、「それは違います」 人を究極の救済へと導く扉があるのは死後の世界ではなく、我々が今現在生きているこの地球です。
人は死後天国に行くかもしれませんし地獄へ行くかもしれません。
しかし死後どんな世界へ行こうと、どんな存在になろうと、そこがゴールではありません。
すべての物事には、始まりがあれば終わりがあります。
死によって辿りついた世界の生活には、始まった瞬間がある以上、必ず終わる瞬間もやってきます。
ルシファーであれ、大天使であれ、神々であれ、必ずその存在としての終わりがやってきます。
つまり死です。
この世の住人にとって死後に待っているのは、あの世である天界や地獄です。
では、天界の住人である高位の霊やルシファーや神々や天使たちの死の後に待っているものは何でしょう?
それは、この世への誕生です。
人の魂を、あの世からこの世界へ送り帰す扉として与えられているものは、子宮です。
そこで、肉体と言う衣をまとって、この世に生まれてきます。
死後の世界は、天国であれ地獄であれ、生前になしたカルマの果実を味わう世界であるため体験するドラマは存在していても、あらたなカルマもカルマの報いも発生しません。
逆に言えば悪に染まったり堕落したりする恐れもない代わりに、徳を積んだり成長することもできないということです。
それができるのは、肉体を持って生きることのできるこの世界の生物だけです。
そうした意味で、この地球は、すべての人間にとっての神の学校であり、魂の矯正施設であり、奉仕の場であり、神との遊び場であり、愛の育成地であり、究極の救済を勝ち取るための試験場でもあるのです』
ナナさん 「(前略)日本人の改心を求めるなら、先ず変わらなきゃいけないのは神道と仏教なのではないでしょうか(注釈・ナナさんは前略の部分で、神道や仏教界の目に余る悪行や堕落を嘆いておられました)」
私 『 世界中の人々の99.9パーセントが完全に誤解しているものにカースト制度と言うものがあります。
当然ナナさんも完全に誤解しているし、それを最も救いない形で誤解して運用しているのはインドのヒンドゥー教徒たちです。
真のカースト制度とは、差別を生み出すものではなく、人々を、霊的、知的、心的、成熟度によって、四つの階級に分け、それぞれの霊的進化と社会生活に最も適した自由と、権利と、義務と、規律と法を与えて、神の子としての理想社会を実現せるためのものです。
そのため、この制度が最も正しく機能していた古代インドは、そこを見聞した世界中の人々によって、「奴隷や理不尽に虐げられている人々は一人もいない」「学のある者から、無学のものまでみな正直で、世界中のどの国よりも、物質的にも精神的にも霊的にも、豊かで、満たされた生活をしている理想国家」として崇敬されていました。
そのカースト制度の中で、最も崇敬される地位におかれているのはブラフミン(ブラーミン・バラモン)です。
それがなぜかと言うと、世俗の人々が持っているもののすべてを放棄して、神を悟り、真理を悟ることだけを目的とする人生の中に生き、自らが得た叡智の光によって世界を照らす存在だからです。
逆に言えば、そうでない人間は、肩書が何であれブラフミン(僧侶、聖職者)ではあり得ないのです。
今の日本の神道や仏教の世界に、(おそらく)真のブラフミンと呼べる人たちは一人も存在していません。
それは、世界中の他の宗教の世界にも等しく言えることです。
そこに住んでいるのは、宗教と言う看板を掲げた、最も俗悪な欲望を持った俗世界の住民たちであり、ある意味宗教世界の住人、、、霊性修業者を語る詐欺師たちです。
ナナさん。
サイババ様は、この世界の救いがたい堕落の原因が誰にあると仰っているとお思いでしょうか?
サイババ様は、この世界の救いがたい堕落の最大の原因は「ビジネスマンの人としての堕落や商売上の不正行為にある」と仰っています。
これはあくまでも私見ですが、最悪のレベルにいるビジネスマンは恐らく、日本の神道や仏教のトップに君臨している人たちなのかもしれません。
ナナさんは、彼らから常に(神社仏閣の維持運営のためにかなり多額の)金をたかられていると言いました。
であれば、彼らはブラフミンではなく、(手段が何であれ金を稼いでいるのだから)商人です。
したがって、彼らを宗教世界、霊的世界の住人としてではなく、俗世界の最も厄介で悪徳な商人か詐欺師としてとして扱うべきのような気がします。
真のブラフミンには、金を稼ぐ行為(平たく言えば商売)は一切許されていません。
どんなに貧しくても、牛乳いっぱい売ることも許されていません。
もしそれを破れば、カーストを失います。
他のカーストに降格させられるのではなく、アウトカーストになって、人として扱われる権利を失うのです。
肉や魚や卵を食べても、酒を飲んでも、職業についてもも同じことが起こります。
社会的権力を得ることも許されません。
自分が得たものは、霊的なものであれ、知的なものであれ、求められればすべて、相手が敵であるか味方であるかの区別もなく、人々の幸せのために愛を持って無償で与えなければなりません。
それが真のカースト制度に定められたブラフミンなのです。
(賢者に会ってみたいというナナさんに対して→)真の賢者に出会いたければ、探さないでください。
探す代わりに、真の賢者に出会えるように神に祈ってください。 世界を破滅から救いたいのであれば、それを自分の力や努力でしようとしないでください。
そうではなく、神に、自分のインスピレーションや知性や力となって、自分の思いと言葉と行為を通してこの世界を破滅から救うべう働いてくださるように祈ってください。
自然の営みの中に、神の力が働いていることを感じてください。
自分の中に、常に神の力が働いていることを感じてください。
ナナさん。 あなたが誰かに愛を感じるとき、神があなたの心を通してその誰かを愛していることを感じてください。
誰かがあなたに愛を示している時、それはその誰かを通して神があなたへの愛を示しているのだということを感じてください。
もしすべての人があなたを裏切って立ち去ったとしても、神の愛の腕だけは、決してあなたを抱くことを止めていはいないのだということを感じてください。
それが、神を身近に感じるということです。
神を探すためにどこか遠くへ旅する必要はありません。
神は常にあなたと共にいます。
ナナさん。
地球は牢獄ではありません。
あなたが神と出会う世界です』
このメッセージとともに他のメッセージも詳しく紹介しているナナさんの記事はこれ。
《ババはあなたと》
👇
https://ameblo.jp/mahiko-ran/entry-12337773010.html
ナナさん「(私がメッセージとして送っている)文字の先にはサイババ様の本質があって、でも私には全くわからない。一行ずつ謎だらけ。分からなさすぎてうんざりして、考えすぎて余計に分からない。」
↑
私 『落胆する必要はありません。
私には、非常に希望の持てる状況に思えます。
理解できていないことは何の問題もありせん。 理
解できないことを正しく理解していて、理解できていないところにあるものを理解したいと望んでいるのであれば、将来的には誰よりも深く理解できる可能性を持っています。
逆に言えば、サイババ様を理解していると思っている人は、誰一人の例外なく、その時点で終わっている、・・・ということ。
サイババ様の周りに集まってくる人々の中に、何と、「サイババ様を理解した」気になっている人の多いことか。
そして、サイババ様を理解した気になっている人の、その理解の何と的外れで、何と愚かな迷妄であることか。
そして、それはおそらく、キリスト教の教えやイスラム教や仏教の教えに対しても等しく言えることだと思います。
すべてのカルト宗教の誕生、宗教の堕落、宗教間の争いの本質にあるのはこれ。
焦らないことです。
あなたが、物理学の博士号を取るために、エンジニアとしてのスキルを身につけるためにどれだけの努力と、時間を要したかを考え、それよりはるかに深遠な知識を得ることが、それほど簡単でなかったとしても、落胆しないことです。
そうすれば、それは、案外、早く手に入るかもしれません。
落胆したり、焦ったりすれば、その分だけ遠のいていきます。
べたな話ではありますが、本当に愚かな人は自分が何も知らないということを知りません。
ある程度賢い人になると、自分が何も知らないのだということを薄々知っています。
世俗の世界で最高の賢者はこのレベルの人です。
しかし、霊的世界になると、真の意味で、この世の真実のすべてを知った賢者が存在します。
しかし、残念なことに、人がこの世の真実をあるがままに知ってしまうと、それについては何も語ろうとしなくなります。
なぜなら、語ることによっては、その真実を伝えることができないことも同時に悟るからです。
したがって、ヒンドゥの聖典には「沈黙が賢者のことば」と記されています。
老子の「語る者は知らず。知る者は語らず」という言葉はこのことを言っているのです(あくまでも私見ですが)。
賢者の沈黙は単に語ることを知らない沈黙ではなく、真理の上に立った超越的な沈黙です。
サイババ様の帰依者の中には、サイババ様の教えやヴェーダやヴェーダーンタの教えを広く伝えるための活動をしたいと願う人やそのための本を書こうと望む人々が大勢います。
そして実際に、サイババ様の祝福や励ましを受けて本を出版する人もいます。 その一方で、本も書かず、存在そのものを消してしまう人たちがいます。
ではどちらが、サイババ様の真実やこの世の真実を知ってしまった人かと言えば、真実を知ったのは後者です。
サイババ様についての本を書いたリ、サイババ様の教えについて布教のような活動をしたいと思うのは、あくまでそれを知るレベルに達しない間だけの話であって、そのレベルに達してしまえば、自分が何かをしたいという欲望(エゴ)そのものがなくなります。
そのレベルを超えてもなお、真理や神について語る賢者もいれば、それについて書かれた聖典もあります。
しかしそれは、また、別の次元の話です。
真理について最も詳しく、最も深く、人々を真の叡智に導くために書かれている人類最高峰の聖典はヴェーダでありヴェーダーンタです。
そのヴェーダーンタはこう告げています。
「この聖典はあなた方に真理を教えるものである。しかし、この聖典をいくら学んだとしても、真理を知ることはできない。なぜなら、真理は人智を超越しているため、言葉によって伝えることはできないものであり、人智に訴えかけるこの聖典の教えそのものが真理ではなく、迷妄であり、無知が姿を取ったもの以外の何物でもないからである」と。
では、ヴェーダやヴェーダンタを学ぶことは無意味なのでしょうか?
いいえ、そうではありません。
なぜなら、足に刺さったとげを、もう一つのとげを使って掘り出して取り除くことができるように、ヴェーダンタや賢者の教えもまた、我々から無知を取り除くための、最も有用な無知として機能するものだからです。
神が与える試練 (そういうものがあればの話ですが) もまた、それと同じように、正しく反応すれば、我々を永遠に捕らえ続ける不幸や悲しみや迷妄を打ち砕き、救済するための神のハンマーのようなものとなりえるものです。
サイババ様は「神は人を救いもしなければ、試練を与えることもしない。
その双方は、人が自分自身で作り出しているものである」と仰っています⦅カルマの法則⦆。
しかしその一方では、「帰依者に試練を与えるのは、神の秘かな娯楽のようなものである」とも仰っています。
この二者の違いは、その人が、二元論の中に生きているか、条件付き一元論の中に生きているかので違いです。
この違いは、物理学で言うと、量子力学以降の物理学を通して見る宇宙と、それ以前の物理学を通してみる宇宙の違いに似ているかもしれません。
いずれにしても、大事なのは、我々が経験している出来事に無駄なもの、無意味な物は何一つないということです。
すべてが、我々を救済するために、神が恩寵として与えている出来事です。
しかし、現実問題としては誰一人として救済されていません。 それは、誰一人、人生の中で起こっている出来事を正しく理解し、正しく反応していないからです。
名医が与えるどんな薬も、正しく服用しなければ、病気を治すことはできないだけでなく、かえって健康を害してしまいます。
効能や使用説明書の添付していない薬を、高価な薬だからと言うだけで、正体がわからないまま飲むのがいかに危険かは誰でもわかることです。
しかし、人は、神から与えられた人生を、正しい生き方を知らずに勝手気ままに生きることがいかに危険なことかを知りません。
神から与えられた人生を、正しく生きれば、どこへ辿りつけるかを知りません。
そこに何が用意されているかを知りません。
それを教えるのが、ヴェーダやヴェーダンタです。
ちなみにサイババ様は、人類が救済されるためには、人類がヴェーダーやヴェーダンタを学ぶことは不可欠であると仰っています。
「神がサイババとして化身した目的の一つはヴェーダの復興である」と。
現代におけるヴェーダやヴェーダンタとは、つまるところ、サイババ様の御言葉のことです』
(以下は今年札幌在住の方からいただいたメッセージとそれへの返信)
👇
読者の方 「ナナさんの『ババは、アナタと。』という記事が2017/12/20にありました。(ナナさんのタイトルも素敵♡)
その記事に 『それが、神を身近に感じるということです。 神を探すためにどこか遠くへ旅する必要はありません。 神は常にあなたのハートの中にいます。 ナナさん。 地球は牢獄ではありません。 あなたが神と出会う世界です。』 という文章がありました。
私はサイババ様に詳しくないのですが、○○○○というブログでは「内在神」という表現で、生きている間だけ根源の神様を右胸に預かって生まれると記事にされています。
他にも、分け御霊と呼ばれる神様の一部を預かっているのが私たちだという考えを読んだこともあります。
ムラリー63さんが仰る『ハートの中』の神様は、分け御霊や内在神と同じようなものですか?
表現が違っても、真理は共通するのか、興味を持っています」
私 「表現は違っていても真理は共通します。 人間だけの真理というものはなく、真理とは、人間でも神でも犬でも猫でも虫でも病原菌でも、すべてに共通するもので、そうでないものは未熟な、あるいは間違った認識や理解です。
真理は一つですが、たった一つの真理に対する、無数のレベルの異なった理解や表現が存在しているだけです。
さらに言えば、真理と神も同じものです』
『生きているか死んでいるかに関係なく、すべての生物の内面には神が宿っています。
死ぬのは肉体であって、人や生物の真の自己ではありません。
人も人以外の生物も、生きていようが死んでいようが、神と切り離されることはありません。
したがって、霊性の高い低いに関係なく、神を求める人は誰も神を探し回る必要はないのです。
私がナナさんに 「地球は牢獄ではありません。あなたが神と出会う世界です」といったのは、ナナさんがまだ神に出会っていないということではありません。
出会っていてもまだ気づいていないと言っているのです。
そしてそれは、すべての人に言えることです。
それはちょうど孤児として生まれ育った人のようなものです。
生まれた時から親のいない孤児は、親に出合い、親の愛に抱かれながらに暮らせることを夢見ます。
例え目の前にその親がいて、生まれた時から一緒に暮らしていたとしても、もしそれを知らないのであれば、その人は親のいない孤児と同じ孤独や悲しみの中で生きなければなりません。
その人に必要なのは親を探しまわることではなく、そのことに気づくことです』
サイババ様の御言葉
「あなた方とは、今兼ね備えている身体、精神、知性、
知識のことではない。
あなた方は、《神聖なるもの》が身体を帯びたものである。
《神格》を理解することに集中しなさい。
誠実に学び、絶えず実践していれば、達成できないことは何もない」
今回の記事は以上です。
ではまた。
サイラム <(_ _)>