苦しいこととばかり、けれども歩んで行く町田樹 | 海をみていたい

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日常。思ったこと、メモがわりだったり、テンションあがって発信したかったり、観劇、観戦、鑑賞日記です。
濱田めぐみさん、町田樹さん、パナソニックワイルドナイツ好き、現在連日HIDEKIさんを思い出しています。
趣味は携帯写真。

苦しくなかった選手なんて、昨日のさいたまのあの場に居たスケーターの中にいなかったと思う。

 

あんなに完璧に楽し気にジャパンオープンとカーニバルでふたつのプログラムを滑った殿の最後のシーズンだって、今、思い返しても胸が苦しくなる。

 

織田選手はそのシーズンのグランプリファイナル(GP)で表彰台に上がったのにオリンピックの代表選手に選ばれなかったんだから。世界で最も高いポイントを稼いだ上位数人の選手だけで闘う大会で表彰台に上がった選手が自国のオリンピック代表選考に漏れるなんてことがあるだろうか。あの年、あの枠の熾烈さはお願いだから日本だけ枠を4つか5つ下さいとお願いしたいくらいだった。そして憧れの切符を手にした選手たちの横であの時、織田君は引退したんです。目の前のチャンスを逃したからって、もう4年先(2018年)を、あの時考えることなんて出来なかった…。

もし、引退していなければピョンチャンオリンピックでもう一つメダルが獲れたかも?と言えるのは今だからで、みんなメンタルが強い子じゃなかったから肝心な時にうまくいかない、いつも練習の時は出来ているのに泣き3と悔しい思いをしたのは織田君だけじゃなくて、町田君だけでもなく多くのスケーターさんに共通しているんじゃないかな。

メンタルだけではなく、大事なときに怪我をしたり病気になってしまったり。。。

(ただし、昨日の出場者の中では昌磨選手とザキトワ選手はそういう思考はなさそうで、メンタル面で研究されているのかもしれないけれど、ネガティブに落ち込む方向に持っていかないよう訓練されているのかしら、それもスポーツ科学の発展上で各スポーツで取り組んでいる成果だと思われます)

そんな数々の苦しみが昨日のカーニバルオンアイスの町田樹引退プログラム『人間の条件』にあふれていたように、ご自身の思い出がつまっていたように感じました。

 

現にカーニバルオンアイスではジャパンオープンでうまくフリースケーティングが出来なかった選手たちが生き生きと素晴らしい演技をみせてくれて感動的でした。

 

 

(ジャパンオープンで披露された新作『そこに音楽がある限り』、 引退セレモニー後の報道写真)

 

このプログラムでは町田君の意図とは違うかもしれませんが、樹くんがほとんどが苦しかったというスケート人生の中で本当に滑ることが大好きで、たのしかったスケートが散りばめられていました。

しあわせ過ぎるくらいの表情で、苦しくてふつふつしている樹くんではありませんでした。

 

 

 

ランビとデニス・ヴァシリエフスくんのコラボはランビエールから受け継いでいるものとふたりの凄い違い、ランビの完成された滑らかな流れとデニスの若いあらあらしさが融合していて観ていてどきどきワクワクしてしまいましたし、

ランビのジャパンオープンでのデニステンくんへの追悼プログラム~デニス君の生前のスケーティングと西城秀樹さんの「泣かないで」が重なって泣きました涙

あと織田君のザッツザウェイからのYMCAは振り付けたランビさんが秀樹さんを知ってるはずもないのにやっぱり繋がってしまいました。

 

 

 

ジャズナンバー『サマータイム』をしっとり滑ったマリアソツコワちゃんはジャパンオープンでのあまりの得点の低さにヨーロッパチームのキスクラに戻って座ったとき、すごくがっかりしていたようでハビエルとデニスがものすごく励ましていて、それも微笑ましかったんですが、カーニバルではしっとり愛らしいお顔とはガラッと雰囲気を変えて溌剌とした色気のあるプログラムで笑顔で楽しかったです。

 

 

オーディエンスがいてこそ演者が成り立つのは当然のことで、町田樹さんのスケート愛がぎっしり詰まった挨拶に、オオトリの演技中から涙がこぼれていましたが号泣でした。

 

 

 

樹先生がゲスト出演していたこの数年、

世界選手権から数えればちょうど5年間通ったさいたまスーパーアリーナ。

 

 

もう来年からどこの会場へ行っても町田君のスケーティングを観ることが出来ないんですね。

 

 

もう、今日は、ぽかんとしてます。

 

 

ばかみたいに暑くて、青くて、かなしく、たのしかった昨日のさいたまの青い空。