スーダン3日目 湖畔〜ハルツームから北北西に575km地点 モスク関連敷地
慣れると人気の無い場所での野宿は下手な宿より快適だったりする。特にスーダンみたいな宿だと蚊の心配をしない分テントの方が寝心地も良かったりするし。
それでも宿を利用するのは基本的に「電子機器の充電」と「ネット環境」を求めてのことである。ところがスーダンの場合、首都にでも行かなければ宿泊施設にWi-Fiが設置されてることは稀であるみたいでさ。つまり宿を利用する理由が薄い。
最初の20kmこそ昨日と同じ岩石地帯が続いたが、そこから再びナイル川と合流し平坦で砂地がメインの砂漠に戻る。それと同時に川沿いに集落が出てくるようになり、どうやらスーダンもエジプトと同じくナイル川に沿って人が住む地域が形成されてるらしい。
エジプトが結構な範囲でナイル川周辺を一大農業地帯としていたのとは大違い。というかスーダンは川沿いの建物も人が住んでるかも怪しいボロボロの廃墟みたいなモノが多く、エジプトとの国力差をまざまざと感じさせる。
前々から疑問だったのだが、やはりこうした砂漠に作られた道路というのは砂に埋もれてしまわぬようちゃんとメンテナンス的な事が行われていると思われる。上記の写真のようにちょっと工事されてる区画だと、路面が砂で覆われてしまうのは清掃等の作業ができてない結果ではないだろうか?
町への入口となる三叉路の食堂でお昼休憩とし、しかしその後に向かうは町の中である。というのも何処でも食事ができる環境ではないスーダンという国で、多少の食材は携行しとかないと痛い目を見ると思い始めたから。あと単純にインスタントラーメンのストックが無くなったので補充しときたい。
エジプトからスーダンに入って感じた点の1つが「本格的にアフリカへ入ったんだ」ということ。もちろんエジプトだってアフリカだけどさ、あの国は感覚的に「アラブの国」という雰囲気が強かったんだよね。それがスーダンに入って人種的にもアラブ系ではなく黒人が大多数を占めるブラックアフリカへと変わってきた。
あまりゴール予定を考えないで行けるとこまで行って終了しようと走ってた本日。16時を過ぎてそろそろ食事とっておこうかな・・・と出てきた村に入り食堂の場所を聞くも「この村にはないよ」との答えが。でもその続きで「だからウチで食べていけ」という言葉が続くとは私も思っていなかったし。
軽く食事頂いて10kmほど先に食堂あると教えてもらったので、そこまで移動し終了しようと思いつつ。でもこのテの情報は信憑性に欠けるからなぁと5kmほどで出てきた村でも同様に「この近くに食事できる場所あるかな?」と質問を繰り返す私は慎重派。
ちなみにこの食事が糸を引く系で大変美味であった。そも私は納豆だとかネバネバした食べ物大好きなのだが、海外ではこうした食べ物を口にする機会は珍しくスーダンの食事がより好きになれそう。
計2度の食事でお腹も膨れたのでもう走らないで良いや、と近くでテント張れそうな場所を探すことにした。ちょっと町を離れれば幾らでもテント張れる場所なのだが、モスクの前を通った際に「寝る場所探してるのか?そういうことならこの先の施設が利用できるぞ!」とオススメされては断れない。
ここも外観はモスクなのだが、古びて使われなくなった施設なのか内部はベッドが2台あるだけで伽藍堂。そのベッドを使ってもいいぞと言われたが、今日の日記最初に「テントの方が快適」とか言った手前もあるしテント張らせてもらうことにした。
のんびり日記とか書いていると案内してくれたニイちゃんが「お腹減ってないか?一緒に夕食食べようぜ」とお誘いに来てくれる。人様のお誘いを断れない体質なのでホイホイ同行して今日3回目となる夕食をば。
ちなみに彼らの夕食だが、大型の洗面器に焼いた鶏肉とソースにアエーシと呼ばれるパンが入ってるのを手掴みで食べるスタイル。こうして手をベトベトにしながら彼らと同じ食事を食べて、ほとんど通じてない会話だけどお互いに笑いあってさ。
そうした出来事を通してスーダンという国や人が好きになったし、私はようやくアフリカというこの土地を感じ始めたのかもしれないと思う。アフリカに抱いてた漠然とした不安感や恐怖は今、ゆっくりと明るく楽しいモノへと姿を変化させている。
2020年1月2日(木) 走行距離124km 累計106725km