ウガンダで旅行が停滞してそろそろ2ヶ月になる。相変わらず先行き不明な現在は、同じ状況に置かれている友人の自転車旅行者たちも頭を悩ませ進退決めかねているというか、そもそもロックダウン中なので進むも戻るも出来ないでいる。

 親に電話をかけてみれば「とにかく日本へ帰って来い」と懇願され、宿に滞在していた他の宿泊者たちも1人、また1人とチャーター便やれツテを辿って帰国しウガンダ離れる者がいる一方で、私と同じくこの場に滞在し続けている者もいる。

 アフリカのウガンダという国は医療体制が脆弱でインフラの整備状況も悪いし、国民の教育レベルや給与水準も低い、言っちゃ悪いがザ・後進国である。平穏な時ならまだしも緊急事態において旅行者が長期滞在するのに適した国とは言い難い。

 だからまぁここで一旦旅行を中断して日本に戻るとかそういう選択肢を取ることは、リスク関連の点からもやぶさかではないと思ってる。あまりにもチャーター便の料金高すぎるという点が二の足を踏んでいるけれど。

 ただそんなのは所詮ロジックの話だ。理屈で語るならばコロナが流行の兆しを見せた時点で早々に日本へ引き上げてしまえば良かったのだということになる。渦中にいた者としては、国内の感染者一桁でロックダウン発動されるなんて思うかい!とか色々言いたいことはあるけども。

 あんまり暑苦しく語るのは主義じゃないけれど、私もこの自転車旅行にそれなり程度にゃ強い信念と覚悟を持ってるつもりだ。極論すれば旅行中に死ぬことも辞さないくらいの思いはある・・・あるかなぁ?

 この旅行に対してそれくらい真剣に向き合っているつもりだし、人様に迷惑をかけない範囲で自分が納得できるまで好きに走りたいという明確な意思がある。


 轍会議第1回ゲストのタカさんとペアランしていた時、非常にチャレンジングな登山をしてる彼にどういう気持ちで挑戦しているのかを問うたことがあった。まぁ色々答えてくれたのだがその流れでこんな話になった。

 「そうした危険な場所に向かうため、起こるリスクへの備えや知識・技術を高めることはもちろん行うけれど、それでも予期せぬトラブルが起きて最悪死ぬかもしれないとは思ってる」
 「思ってるんだ」
 「だからいざその時になったら・・・」
 「なったら?」
 「俺は『まんぞく〜』って言いながら死にたいね」

 私はこの会話がすごく印象に残っている。共感する部分もあるし、そうじゃないだろと思う部分もある・・・というのが正直な感想だが、この台詞は理屈じゃ測れない場所に立っている者だからこそ言える言葉だと思う。

 人間には信念のためならば文字通り、自分の命すら「本当に投げ出せる」者がいるのだ。死ぬほどの覚悟ではなく、死んでも良いと思える覚悟をする人が、映画や少年漫画の世界ではない現実に。

 この手合いに論理の正当性を説くことが何と滑稽であろうか。理屈や妥当性で語れない部分で動く人間にとって「正しさ」とは自分の中に存在する。

 そしてその大小はあれど、多分誰の中にもそういう他者には理解され難いこだわりはあるのだと思う。他の人にとっては理解され難いけど、当人にとって大切なことが。

 そのこだわりを「何があっても遵守できる」人がいる。そういうのを言葉じゃなく本当に体現してる人というのはさ、やっぱり憧れる思いがあるんだよね。男の子なもんで。

 ともあれ私も今の状況で、理屈じゃない部分でアフリカに留まってる部分があるのかもしれないと思い、ちょっと嬉しくなった。もう旅行始めて6年以上経つけれど、私は今でも旅行の継続にこれほど強い気持ちがあったのだと知ることができたから。

 いやまぁ明日にでも通常便が航行するならサクッと日本に戻るかもしれないけどさ、私にも理屈じゃ曲げられない自分の中の「正しさ」が存在したのだ。

 何が正しいかは誰にも分からない。だって人にはいろいろな事情があるのだから。