5年前に卵巣ガンになり、入退院を繰り返しながら、闘病を続けてきた妹。
体調の良い時に、最後に過ごす緩和ケア病院をいくつか見学し、ココと決めていたそうです。
そして、とうとう先日、現在入院している病院から、その緩和ケア病院へ転院することになりました。
コロナで面会禁止の中、転院手続きなどもあり、その日なら特別に、妹と会えるとの事で私も行くことに。
妹の旦那さまの車に、旦那さまのお母さん、私の母、私の3人が乗せてもらい、現在入院中の病院へ。
タンカに乗せられた妹が、病室から出てくるのを廊下で待ちます。
心配な母は、妹が来るであろう方向をじっと見つめ、廊下で立ち続けています。
「座って待ってようね」と、母の肩を抱いて椅子に座らせたのですが、妹の姿が見えた途端、ダッシュで駆け寄ったのは私でした。無意識。
「私のパワーをあげる」と妹の手を握ると、さらに強い力で握り返してきて、そのまま手を繋いで、搬送車に一緒に乗り込みました。
妹に会うまでは、何と声をかけてやればいいのか悩みましたが、会った時からずっと妹はジョーク満載、喋りっ放しの、笑いっ放し。
搬送車の中は、担当の若いイケメンドクターも交えて、まるでこれから温泉にでも行くみたいな賑やかさ。
明るく振る舞っているのではありません。
私は姉なので、黙っていても分かります。
ガンになってから、絶望し、ウツになり、まだ小さい子どもの為に最後まで諦めず、どんな治療もすると覚悟した妹は、今、生きていることが嬉しくて、楽しくて、仕方ないのです。
妹が今日も生きている。
私が今日も生きている。
姉妹で今日も笑えている。
その日から私も、毎日が、嬉しくて楽しくて仕方なくなりました。
妹の病院を出た後、母と、父が入院している病院に行きました。
5分だけ、2メートル以上離れてなら会ってもいいと言ってもらえたので、病室の入り口から、
「こんにちは〜❗️あなたの娘のチヨミです」
と、いつものように声をかけたら、
「あんた、わしの娘❓へ〜そうかあ。そう言われても何も分からんわ」
と言われましたが、認知症でも、今日も生きてくれている父と、トンチンカンでも話ができたことが嬉しくて、
「すっかり忘れられてる〜」と笑いながら、母と帰ってきた後の、スタジオ リボーン水曜夜タイムのレッスンが楽しかったのは、言うまでもありませんね。
親からの最大のギフト、体を大切に
CHIYOMI