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ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

鎌倉時代の内管領の専制政治の末路 あるいはアンシャンレジームについて

2020-05-23 23:05:13 | エッセイ
 ずいぶん前の大河ドラマで、足利尊氏の、太平記なのかな、あの時、フランキー堺が演じていた役が記憶に残っている。
 北条徳宗家の内管領の平のなんとかいう名前である。平家の血筋ではあるのだろうが、この当時だと、大方は別の名字を名乗っている。千葉とか、畠山とか、葛西とか。北条家も、諸説あるようだが、平家の系譜と称している。平の姓そのまま名乗っているということはどういうことなんだろうな、とその時も思った。
 足利尊氏は、室町幕府の創立者で、源氏の血筋であるが、まだ若いころの話で、鎌倉時代の末期、北条家の専制政治が大きくほころびを見せていた時代を描くなかで、まさしくそのほころびを体現している人物として、フランキー堺が登場した。
 むやみな権勢をひけらかした人物。
 服装は、つんつるてんの半ズボンみたいな短い袴を着けて、後代の奴さんみたいでもあり、そんなに身分は高くないというふうに見せていた。その時代、ほんとうにそういう服装だったのか、ドラマの演出上、分かりやすくそうしたのかは分からない。
 さて、鎌倉時代というのは、おおざっぱに言えば、源頼朝が征夷大将軍となって鎌倉の地に幕府を置いて、政治にあたった時代であるが、源氏の血筋の将軍は3代で途絶え、政治の実権は、将軍の補佐役である執権職を世襲した北条家が握った。北条家は、源頼朝の妻政子の実家で、政子の父時政は、2代目と3代目将軍の祖父であり、外戚として力を握った。
 今の時代になぞらえれば、将軍が総理大臣だとすれば、執権というのは官房長官のようなものとも言える。
 さて、フランキー堺演じた平某は、執権北条家の家来である。内管領というのは、家来のなかでの家老職というか、あるいは、家の中の家政を取り仕切る執事と言ってもいい。将軍から見れば家来の家来である。
 今でいえば、内閣官房の補佐官とか秘書官とかに当たると言えばいいか。
 将軍の直接の家来である御家人(諸国の守護クラス、今でいう県知事や、幕府の役所の長官、大臣クラス)もあまた並ぶ中で、この内管領が、実権を握っていたということらしい。
 家格とか身分とかで言うと、下の者が、実権を握って、御家人クラスの頭を抑えて、専制的な政治を行っていた。善政をしいたというよりは、私利私欲を優先した悪政を行ったみたいな話になっていた。
 そういう中で、正義感あふれ、源氏の血筋を引く分家筋である由緒正しい御家人足利尊氏が立ち上がって、北条氏を倒し、悪政をただした、というのが、その時の大河ドラマの筋であったと思う。
 フランキー堺も、その気になった小憎らしいような小人物が専制をふるう姿を、よく演じていたと記憶する。
 ということで何が書きたかったかと言えば、官房補佐官とか官房秘書官みたいな立場の役人が目立って、権力を握っているように見える政権というのは、えてして末期症状を呈しており、行く末は短いということ。特に、それがよこしまに見えるなら、なおさら。
 それと、ルイ14世だか16世だかしらないが、いまの政権を、フランス革命前の絶対王政のアンシャンレジーム(旧体制)になぞらえるひとがずいぶんと増えてきたな、ということ。貧乏人はケーキを召し上がれ、みたいなことを言いそうなマリー・アントワネットみたいな登場人物もいるとかいないとか。
 剣の達人ならぬ法曹の専門家として政権を支え守ろうとするひとびとの剣は、ずいぶんと曲がって切れ味鈍いようだし。やがてその剣が、曲がり曲がって禍々しくブーメランのように政権をなぎ倒してしまうみたいな悲喜劇が演じられるのかどうか。
 悲しむべき事態であるには違いない。

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