ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

柿木 伸之 ヴァルター・ベンヤミン― 闇を歩く批評  岩波新書

2020-02-27 00:05:22 | エッセイ
 柿木氏は、1970年生まれ、上智大学、同大学院で哲学を学び、現在広島市立大学国際学部の教授とのこと。
 ある時代には、年下の男性の書くものは、あんまり読まなくてもいいな、と思っていたが、いつのまにか、すんなりと読めるようになってしまった。國分功一郎とか、ああ、東浩紀とか、そうそう、大沢真幸、齋藤環だって二つ年下だ。学ぶべきことを学んだ学者には、学ぶべきことが多い。今になってみると、逆に年上の思想家のものが少なくなってしまっている。年上の著者は、すでにマスターピースを書き終えて、いま読んでも、そうそうそれは、前に読ませていたものの素直な延長、というか、こちらとして、新たな発見があるということにならない場合が多い、ということかもしれない。もちろん、そうだな、中井久夫とか、フランスを中心にした古典とか、これから読んでいきたい著作はある。
 さて、ベンヤミン。
 ベンヤミンといえば、『パサージュ論』ということになるだろう。岩波文庫の全5冊版を、震災前に読んだ。そのあと、ちくま学芸文庫の「ベンヤミン・コレクション」の一冊目を読んでいる。
 私にとってベンヤミンは、厳密な哲学者、思想家というよりは、文学者、エッセイストである。だから、むしろ、私に近しい存在である。
 プロローグに、こんなことが書いてある。

「友人のゲルショム・ショーレムに宛てた手紙で、ベンヤミンは、「ドイツ文学の第一級の批評家」になりたいと語っているが、ナチスの台頭によってその野望も挫かれてしまう。ユダヤ人だったベンヤミンは、ヒトラーが政権を掌握した一九三三年にパリへ亡命し、当地のパサージュから近代の「根源史」を描き出そうと試みたが、その企ても、第二次世界大戦でフランスが早々に敗れたために途絶を強いられた。(5ページ)

 裕福なユダヤ人家庭に育った後、志をもって大学院で学びながらも、大学教授になる途は開かれず、ナチスの台頭によって、すべての夢が絶たれて、生活の糧も得られない窮状に陥る。

「最終的にベンヤミンは、フランスとスペインの国境の街ポルボウで、不運としか言いようのないかたちで行路を絶たれ、自死を遂げることになる。」(5ページ)

 悲劇の主人公である。

「本書は、このように歴史の嵐に揉まれ、非業の死に追い込まれた思想家が、最後まで歴史と対峙する思考を貫いたことを、その蹉跌の生涯とともに描き出そうとするものである。」(5ページ)

 成長の過程としての「青春の蹉跌」の時期を生き延びた、ということでなく、42歳で自ら命を絶たざるを得ないところまで追い込まれた、救いようのない、ついに救われることのないまま終わった蹉跌の物語である。

 ハンナ・アーレントがベンヤミンについて、こんなことを言っているという。

「ベンヤミンは偉大な学識を持っていたが、専門家という意味での学者ではなかったし、重要な訳業を残しているが、翻訳家でもなかった。彼は膨大な書評をはじめ、文学について多くの評論を書いたが、文芸評論家には括れない。その著述は、独特の詩的な特徴を示してはいるが、彼自身は詩人でも哲学者でもなかった。」(5ページ)

 ベンヤミンは、そのどれでもなかったかもしれないが、『パサージュ論』をはじめ現在に残る著作によって、むしろ、そのすべてであったと言える。生きている間は、偉大でもなんでもなかったかもしれないが、いま、ヨーロッパのみでなく、アジアの東の端の小さな国にまで及ぶ偉大な業績を残したと言える。その北辺の小さな海沿いの街の、世に出ることもなく埋もれていく雑文書きにも大きな影響を及ぼした、というと修辞が過ぎることになるが。

「十九世紀から二十世紀へ世紀が転換するその「閾」から、今も…ベルリンの街路を照らすガス灯のなかで、ガスマントルがジージーと音を立てているのが聞こえてくるかのように。」(6ページ)

 闇のなかの暗い灯りが、遥かな距離と時代を隔てたこの北辺の小さな街にも幽かに届いている。

「最後の著作の一つとなった「歴史の概念について」のテーゼの一つに描き出される「歴史の天使」…この天使は、歴史のなかの破局を見通しながら、「進歩」と美化される近代の歴史的な過程が抑圧してきた過去へ眼差しを注いではいるものの、足下に瓦礫が積み上がってくるのを止めることはできない。」(7ページ)

 この瓦礫は、2回目の世界大戦のあと、跡形もなくかたづけられ、復興の事業が実行され、明るい未来が実現した、かのように皆思い込んでいた、あるいは、少なくとも、処理も建設も相応に進展してきたかのように思い込んでいた。私たちの未来の生活は明るいのだと信じ込んでいた。
 だが、しかし、である。現在の世界の、また、日本の在り様はどうだろうか?
 ベンヤミンが描いた19世紀末から20世紀初頭のベルリン、パリ、そこで、ベンヤミンがみたこと、記録に残したこと、それらは現在の私たちに、まっすぐ、突き刺さってくる、かのようではないか?

「アドルノによれば、ベンヤミンは…「凝視された現実の最小の細胞さえ、残りの世界全体に釣り合う」という原則にどこまでも忠実だった。」(8ページ)

 ベンヤミンの凝視は、時空を超えて、今にまで届いてしまっている、のではないか。
 例えば、ベンヤミンは、当時のパリのパサージュを凝視する。

「今もパリに残るパサージュとは、多くは鉄骨にガラス張りの屋根で被われたアーケード街のことで、十九世紀の前半、とくに一八二〇年代に盛んに建設された。多彩な商店や飲食店を集めたパサージュは、文字通りの意味での「パサージュ」、すなわち公道と公道を結ぶ通過路(パサージュ)の役割も担っていて、そのために多くの人々を引き寄せていた。」(171ページ)

 パリのパサージュは、その時代のヨーロッパの社会と歴史の象徴であった。つまりは、当時から現代にいたる世界の象徴、である。
 その時代を描く文学作品としては、プルースト『失われた時を求めて』をまず、挙げなくてはならない。プルーストを読むことと、パサージュを歩き、眺め、享受することは、重ね合わされる体験である。

「ベンヤミンは当時、ヘッセルとともにプルーストの『失われた時を求めて』の翻訳に取り組んでいた。」(172ページ)

「…パリのパサージュについての著作は、一九二七年の段階では「弁証法の妖精の国」という副題の下、ヘッセルとの共作のエッセイとして構想されていた。それは、ベルリンにも造られていたパサージュとの比較を視野に入れながら、アーケード街の鉄骨建築とその内部空間、娼婦を含むその住人たち、街路を彩る「流行(モード)」といった個々の事象を、弁証法的な転換を含んだ経験の中から「狂詩曲(ラプソディ)風に」描き出すはずだった。」(173ページ)

 しかし、その後、友人の哲学者・社会学者アドルノらとのやり取りの中で、「歴史研究」的なものに生まれ変わったということだが、『パサージュ論』の今に至る魅力というのは、学問だとか、理論だとかではなく、現にそこにあったパサージュの凝視であり、享受であり、その描写、記述なのではないか。もちろん、そもそも、今に残る『パサージュ論』は、完成した書物ではなく、終に書き上げられることなく終わった断片の集積でしかないわけで、まとまった「論」が提示されるところまでは行っていないわけだ。しかし、ベンヤミンの「凝視」は、むしろ、そのまま生かされたのだ、とも言えるかもしれない。
 エピローグに、こんなふうに書いてある。

「息苦しい状況の内部に生存の道筋を切り開こうとするベンヤミンの思考は、生きることを、何ものにも支配されえない息遣いにおいて解き放とうとする哲学である」(233ページ)

 ファシズムの吹き荒れた時代の潮流に流されることなく、明晰判明な曇りない目で事態を凝視したベンヤミン、ということになるのだろう。自らの意志で同調しなかった、ということでもあるかもしれないが、むしろ、濁流の標的にされて粉々に砕かれた、砕かれながらも、時代を観て、何ごとか書き記すことを止めなかった、というべきだろうか。そこにこそ、彼の哲学はあるのかもしれない。
 巻末の年表から、改めて拾うと、ベンヤミンの人生には、妻ドーラ・ゾフィー・ケルナーから始まって、彫刻家ユーラ・コーン、ロシアの革命家アーシャ・ラツィス、オランダの画家アンナ・マリー・ブラウボット・テン・カテと、美しい女性たち(写真のない女性もきっと、そうだろうと思う)が、登場する。そして、ハンナ・アーレント。アーレントについては、親密な関係、ということではないかもしれない。
 さて、いよいよアーレントも読みたい、ということで、『人間の条件』と『暗い時代の人々』とを入手した。『暗い時代の人々』が先かな。
 と、ベンヤミンの悲惨さを、いま、現在の日本の悲惨さに結び付けるような具合にこの紹介を書き連ねた。確かに、昨今の政治状況は相当に悲惨である。これは間違いない。しかし、翻って、私の生活が悲惨であるか、と問うと、のほほんと、気楽に日々の生活を送っているというべきなのかもしれない。もちろん、いろんなことはある。しかし、今のところ、とりあえずは生存を脅かされることもないし、生活に困窮しているわけでもない。悲惨だ、などと書いても、胃の腑に落ちるような説得性はないのかもしれない。悪しき意味での評論家の言説に陥っているのかもしれない。
 だが、このあたりの平仄は考えどころである。まさしく今の日本の問題が端的に表れているところかもしれない。問題として、抱え込んでおきたいところだ。



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