人の記憶というものは非常に曖昧で、時に別の情報と重ねてしまったり、自分の都合で事実を捻じ曲げて覚えてしまったりすることが多々あります。
私ごとですが十数年前、友人の誕生日をサプライズで祝おうと超悪ノリプレゼントを用意したことがあり、落ち合った店で友人らと大笑いし転げ回った出来事がありましたが、最近その話をしたところ
当の本人の記憶からサプライズプレゼント🎁の記憶がスッポリと抜け落ちていました…あり得ないorz。
普段は思い出さないような遠い記憶など、当時の流行った曲や映像など、小さなキッカケで思い出すことがあります。
記憶と共に当時の感情や背景まで蘇り、怒ったり泣いたり笑ったり懐かしんだりと目まぐるしく感情が変わっていく経験は誰もが覚えがありますよね?
記憶が果たして正しいものなのか、公正な言動であったのかどうかなど
今の自分は、記憶の有る無しに関わらず
その過去の言動すべてから形成されたものだとも言えるのではないでしょうか。
過去を振り返らず、前を向いて生きよう!
昔このようなフレーズを耳にしたことがありますが、過去の栄光や良かった事ばかりを懐かしみ今を嘆くのでは現状からの逃避とも言えますし、現実に目を向けて進みましょう。という意味で私は捉えています。
ですが、上手くいかなかったことや苦い経験こそ振り返り検証する意味があるのではないでしょうか?
その時の自分は本当に正しいものだったのか?
なぜ失敗に終わったのか?
自分都合の摺り替えで、責任転換していなかったか?
というように、一つ一つと真摯に向き合うことで同じ失敗を繰り返さないことや、自分の苦手意識の克服にも繋がっていきます。
RAUSの講座の目的は、癒しと浄化の力を用いるだけではなく、ルーツとの対話と確認、そして体感を使い自己の在り方を正していくことを目的としています。
人は誰しも今の自分よりも向上したいと願いますが、自分の何処に問題があるのかが分からない。
自分と向き合うことで何が見えてくるのかが恐いなどで躊躇していませんか?
蓋を開けてみると『こんなことにも気づこうとしていなかったのか⁈』というものが見えてきます。
RAUSの講座で学んだことは即実行に移されている えみさんがどんな風に取り組まれているのかをブログで紹介されています。
人は、視野が狭くなると誰かや何かに不快な思いをさせられたことは直ぐに言葉にしてしまいますが、自分のしたことについては口をつぐみ相手を攻め立ててしまいがちになります。
指摘されるということは、自分で気づけていなかった自分の向き合うべきことです。
ムキになって言い争うことではありません。
認めて向き合うことで大切なことが見えてきます。
世界的な組織や国の歴史でも、他からされた事だけを大きく取り上げ攻め立てて、都合の悪いことは隠ぺいし相手より有利な立場に立とうとすることが絶えません。
何らかの争いが絶えないという事態を引き起こしているのは、公正さに欠けて引き起こる事です。
組織や国の体制が理論上で どれほど優れたものだとしても、人の心が変わらなければ結局苦しむのは人、自分達なのです。