映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ハッピーエンド(1999年)

2020-04-03 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv33764/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 リストラされた夫ミンギに代わって、キャリア・ウーマンとして家庭を支える妻ボラ。その一方で彼女は、大学時代の元恋人イルボムとの情事に夢中だった。妻の不倫に気づいたミンギは、屈折した殺意を抱き始める。
 
=====ここまで。

 ただの不倫映画と侮ることなかれ。


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◆ストレスフルな日々を癒やしてくれるのは、やっぱり映画(や本や音楽)。

 毎日毎日コロナコロナコロナコロナ、、、、3分に1回はコロナという単語を聞く日々。「コロナ疲れ」なんて言葉も出るくらい。

 あれよあれよという間に東京は“オーバーシュート”寸前だとか。というか、それより深刻なのは、ピークを迎える前から既に医療体制が逼迫している、ってこと。大体、「ピークを急にしないよう、その間に医療体制を整えるため」という大義名分の下に、必要と思われる検査もそこそこに感染者数を抑えてきたのに、この2ヶ月間、行政は一体何をしてたんだ??というくらいに、病床数が少ない。軽症者用の隔離施設や重症者用の病床も確保していないってこの期に及んで聞かされて、都民は唖然ボーゼンだわよ。

 んで、庶民が心身共にあっぷあっぷしているところへ出たのが、「布マスク2枚郵送してあげる」。そりゃアベノマスクなんて言われても仕方ないね。そもそも、いらんわ、そんなもん。

 ……などなど、いらんストレスを抱え、すっかり映画館へも足が遠のく今日この頃。ロシアに行く1週間前から劇場には行っておらず、帰ってきてからも1度も行っていない。というか、帰ってきてから1ヶ月間、毎日自宅と職場の往復のみという、今までのパターンからはあり得ない生活をしているのだ。あんなに見たい作品がいっぱいあったのに。まったく行く気がしないのが、自分でも不思議。映画館は、今でこそ週末閉館しているが、先月は一部を除いてほぼ通常通り営業していたにもかかわらず、まるで見に行きたいと思わなかった。こんなことで劇場へ行く気がまったくなくなるだなんて、アタシって、実はそれほど映画好きじゃないんじゃないか??とさえ思う。ホントに好きなら、コロナだろうが何だろうが、居ても立ってもいられないはずじゃない??とか。

 とはいえ、自宅に籠る生活は、もともと出不精な人間としては全く苦にならないし、むしろ、出社制限もかかり籠ることを命じられて堂々と引きこもれるので、不謹慎だけど、何だかちょっとワクワク気分にさえなっている。積読も録画も貯まりに貯まっているので、いくらでも引きこもり生活が出来そうだ。

 と、前振りが異常に長くなってしまったけれど、本作は、そんな巣籠もり生活に入るちょっと前にレンタルDVD見たのだけれど、いやぁ、、、なかなかハード&ヘヴィな不倫映画でござんした。不倫映画も、描き様によっては十分見応えのある大人の映画になるのだと見せつけられた感じ。韓国映画、恐るべし。

~~以下、ネタバレしています~~


◆女の一生

 ボラは、不倫を知った夫に滅多刺しにされて殺されるんだけど、私は、彼女の人生はそれこそ“ハッピーエンド”だと思った。こんな殺され方をされるほど、夫に愛され、愛人にも愛された。……まあ、これを“愛された”といって良いのかどうかというのは異論もあるだろうけど、愛されたんだと思うなぁ、彼女の場合。

 妻である女は、夫が不倫をすると、その怒りの矛先を不倫相手の女に向けるというが、男は、自分の伴侶が不倫すると、不倫相手の男よりも伴侶である女に怒りが向かうと、聞いたことがある。本作の場合、夫のミンギは、ボラだけでなく、不倫相手のイルボムも社会的に葬っており、まぁ、両方共に制裁を下したわけだ。しかも、ボラは我が手で滅多刺しである。不倫相手のイルボムを殺して、その罪を妻ボラになすりつける、、、というんじゃないところがミソだろう。

 我が手で滅多刺しにしたいと、、、、私は思わないだろうなぁ、もし、ウチの人が不倫しても。そんなエネルギーないわ。もちろん、精神的なダメージはあるだろうし、怒りを覚えるだろうけど、ウチの人を殺したいとまでは思えないだろうね。だって、そんなことで人生棒に振りたくないし。不倫相手に罪をなすりつけるための周到な準備をするのも正直言ってメンドクサイ。せいぜい、信頼できなくなるから、一緒に居るのは難しいってことでサヨウナラ、、、だと思うわ。

 ミンギがボラを殺したのには、裏切られたことへの激しい怒りと、独占欲が大きかったと思う。“オレの妻”なんだ!!っていう。だから、オレの手で殺してやる!と。そうすることで、永久にオレのものだ!!みたいな。でも、そうじゃないことを思い知るのが、ラストシーンなんだろうね。ボラが居ないってこと。オレのものにしたはずなのに、不存在の大きさを、殺した後に初めて実感するという、、、。それでも、自分は現実を生きていかなきゃいけない、日々は続き、次の日は容赦なく来る。来る日も来る日も、ボラの不存在が続くのだ。あの時、ミンギはボラを殺したことを後悔していたのだろうか??

 一方、ボラの一生は、男に執着された終わり方であったが、果たしてそれを羨ましいと思うか? 今の私は、正直なところ、そういうのもうどーでもいい、、、って感じだから羨ましくないけど、若い頃だったら、ちょっとは羨ましかったかも。あんな痛い死に方は嫌だけどサ。……いや、確か“好きな男の腕の中で死にたい”と若い頃は思っていたから、やっぱし羨ましくないか。ボラはミンギのこと好きじゃなかっただろうから。好きでもない男に執着されて、命まで奪われたら、むしろ化けて出たくなるかも、、、。


◆濡れ場をちゃんと演じる役者は素晴らしい。

 本作は、ボラを演じたチョン・ドヨンと、愛人役チュ・ジンモのSEXシーンが話題だったのだが、まぁ、想像を超える描写で、唖然としました。まあ、不倫劇で、SEX抜きには描けないだろうから、非常に重要なシーンであり、それだけに、気合いの入った熱量MAXな描写に脱帽。こういう、ちゃんとした濡れ場って、大事だよね。

 SEXを臭わせる描写でごまかしたり、SEXを描いているのに下着付けたまんまの中途半端な描写でお茶を濁したりする映画が多いけれども、本作は、両役者が、文字通りの体当たり演技で、本作に説得力を持たせている。今の邦画界では、こういうシーンを演じられる女優・男優がほとんどいないだろうなぁ、、、。特に、女優さんが思い浮かばないのが残念。

 韓国はどうだか知らないが、日本だと、こういう濡れ場に、ただの好奇心で大騒ぎする手合いがいるが、役者にしてみればこれも他のシーンと同じく、“お仕事”なわけで。汚れ役とか言うけど、それもヘンだと思うなぁ。濡れ場を演じられるのは、むしろ女優として力量が問われるのに。清純派女優とか、、、むしろ有り難くない称号だと、私が女優なら思うけどね。昭和の女優たちは、そういう好奇の目にもめげずに、それこそ身体を張って演じていた。そして、その演技に説得力があったから、その女優たちは着実にキャリアアップしていったのだ。……というのは、最近、『復讐するは我にあり』を見たから、余計にそう思うのでありました。

 いずれにしても、チョン・ドヨンという女優は素晴らしい。彼女が、特典映像で「私は、デビュー当時から思っていることですが、見ている人に信頼してもらえる女優になりたいと思って、この仕事をしています」と言っていたのが印象的だ。実際、そのとおりになっているのがまた凄い。
 
 一方のチュ・ジンモも、この頃は、まだ売り出し中だったようだけど、そんな感じは微塵もなく、堂々たる演技でアッパレ。彼も、特典映像で「この役を演じて、自分に足りないものがたくさんあることがよく分かった。この役を演じることが出来て、本当によかった」というようなことを言っていた。だから、今の彼があるのだと、非常に納得させられた。

 役者は大変な仕事だ。良い映画を作ってくれた役者さんたちには、映画ファンとしてもっと感謝しないとなぁ、、、と、2人の熱演を見て、なんだか少し反省させられた。
 

 

 

 

 

 


ボラのモノの食べ方に、彼女の貪欲な性格がよく出ている。

 

 

 

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