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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  支那 >  「ロケット・マン」と「ストロング・マン」の軍閥

    「ロケット・マン」と「ストロング・マン」の軍閥

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    本日のキーワード : 軍閥



    軍閥(ぐんばつ)とは、主権国家内の一定の地方に対し自身に忠実な軍隊を動員する能力によって軍事的、経済的、および政治的支配力を行使する指導者に率いられた勢力をいうその指導者を指して用いられる英語の「warlord」に由来する。この軍隊は通常は私兵であると考えられ国家体制ではなく軍閥の指導者に対して忠実である

    軍閥時代(ぐんばつじだい、英: Warlord Era)は、1916年から1928年にかけて中華民国が内戦状態となっていた時期を指す。袁世凱の死を契機に北京政府の統制が失われ各地の軍閥が集合離散を繰り返す軍閥割拠の時代となった。その後蒋介石の北伐によって各軍閥が国民政府の統制下に入る形で一応は平定された

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    本日の書物 : 『習近平がゾンビ中国経済にトドメを刺す時』 石平、渡邉哲也 ビジネス社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『石平 : 2000年初頭、朱鎔基(しゅようき)首相の時代【税制改革】を行った結果、【地方財源はほぼ枯渇】してしまいました。【中国の税収はほとんどが中央政府に持っていかれることになったから】でした。

    朱鎔基
    朱鎔基

    中国の一番の税収源【間接税】です。中国では個人所得税はそれほど高くなく、大部分が間接税。日本で言えば消費税で、そのあらかたを中央政府に持っていかれる。それでは【地方政府はどうやって食っていくのか】。一つは不動産開発業者に【土地の使用権を譲渡する】わけです。

     改革開放以来、中国の地方政府この土地財政にどっぷりと浸かることになります。…

    中国 バブル

     中央政府もそのことは十分承知しているので、…とにかく【野放図に札を刷る】ことで不動産バブルを支えてきた。【すべてを支えているのは人民元札】ということになる。中国という国家がつくり出した信用に対応して【お札の価値】が存在するわけですが、中国政府は【あまりにも大量の札を刷っている】。…

    人民元 暴落

    中国 マネーサプライ 1
    中国人民銀、過剰なマネーサプライ管理すると強調-景気見通し改善で

    中国 マネーサプライ 2
    中国の3月新規人民元建て融資、1.69兆元 予想を大幅に上回る

     そして【中国のマネーサプライが異常に増えているもう一つの理由】は、やはり【外貨管理政策】にあります。

    人民元 紙切れ お札 3

    【中国が獲得した外貨】【すべて政府が管理】しています。要は、中国企業が外国に物を売って得た【外貨は中国企業には入ってこない】【すべて政府が取り上げ、それが中国の外貨準備高にカウントされる仕組み】になっています。

    女性 ポイント これ

     しかしその代わりに、中国企業は獲得した外貨に相当する人民元を政府からもらう。ということは、【中国の輸出が増えれば増えるほど国内で発行される人民元も増える】わけです。

    人民元 紙切れ お札 2

    渡邉 : 中国の場合、石平さんがいま言われたように、【外貨準備のなかに国有銀行が保有する企業の外貨なども含まれています】

    女性 ポイント ひとつ

    本来外貨準備は政府と中央銀行のみが持っているものと限定されています。ところが【中国】は違っていて【国有銀行が保有している企業のドル決済預かり金や企業のドル預金なども外貨準備として計上】しています。これは【標準的な国家では許されないこと】です。

    ポイント 32

     2014年には3・6兆ドルあった中国の外貨準備いま2・8兆ドルに落ち込んだとされています。この2・8兆ドルのうち米国債は1・1兆ドル程度しかなくて、あとは何を持っているかは非公表という状況です。

    ポイント 31

     中国の銀行【海外の銀行から借りている金額】が【1・6兆ドル】で、そのうち三カ月以内に満期が来る【短期債務】が【1・5兆ドル】。つまり保有する米国債の額短期債務の額イコールになってしまっている。…ちなみに日本は同じく1・1兆ドルの米国債を保有していますがそのほぼすべてを政府が使えます。』

    日の丸

    「ロケット・マン」と「ストロング・マン」


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、当ブログでも何度かご紹介させて頂いております、お二方による初の対談本で、まさに足元で「火の車」状態になっている支那の詳細な解説、並びに、お困りの支那への親切なご提案をなされている良書になります。

    読書7-51

    さて、昨日のところで、1911年10月10日に勃発した清の兵士たちによる反乱である「武昌起義(ぶしょうきぎ)」について書かせて頂きましたが、1912年1月1日に、清にもともと存在していた18の省のうちの14の省が独立を宣言します。

    清朝の行政区画(1908年)
    清朝の行政区画(1908年)

    上の図で「赤の☆」が独立を宣言した省で、当時の列強や「黄色の☆」の省や藩部清朝を支持していました。

    ここにも、朝鮮半島や支那の歴史のパターンである「南北対立の構図」が見てとれると思います。分かりやすく単純化した場合、「北の満洲人」と「南の漢人」との対立の構図になっています(もちろん、これは表層的なもので、実際にはもっと複雑です)。

    ポイント 23

    ところで、トランプ大統領が、朝鮮人(コリアンズ)の金正恩のことを「ロケット・マン(Rocket Man)」と呼んで敬意を表していたことは、皆様のご記憶にも新しいのではないかと思われるのですが、

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    精力絶倫で、一妻九妾との間に17男14女を儲け、欧米諸国からは「ストロング・マン」と呼ばれた「チビ」が、当時の支那最強の軍閥・北洋軍閥を率いた袁世凱(えんせいがい)でした(笑)

    袁世凱(1912年頃)
    袁世凱(1912年頃)

    で、隠居させていた袁世凱を、清朝は再び呼び戻して、支那南方の革命軍の討伐を命じます。当然ですが、支那南方の革命軍は、満洲人の清朝からすれば漢人どもがクーデターを起こしているだけなのですから。

    行進する北洋軍閥の兵士たち
    行進する北洋軍閥の兵士たち

    ところが、そこで、袁世凱と孫文は「手打ち」をして、諸外国からのさらなる侵略を防ごうとします。まさに、私たちの日本の「明治維新」以来の国際情勢を理解した非常に賢明な判断であったわけです。

    ポイント 21

    袁世凱は、清朝皇族に対して保障を口約束し、皇帝が退位することで、形式上、清朝はその歴史の幕を閉じることになります。

    1925年の支那軍閥
    1925年の支那軍閥

    1916年に袁世凱が亡くなると、北洋軍閥は分裂し、以後、分派間あるいは同一派内の有力者間で抗争を繰り返し、北京政府の政権を争うことになります。

    それでは、ここで、昨日同様に、次の書物を参考してみましょう。

    GHQ焚書図書開封7 ~戦前の日本人が見抜いた中国の本質~ 

    『 長野朗(ながのあきら)戦前を代表する秀れたシナ通、中国通で…GHQに焚書された本は18冊もあり…没収された本の多い著者としては3番目にランクされる人物です。…1975年までご存命でしたから、戦後も中国共産党に関する本を出しておられます。…洞察力も鋭いし、シナという国に愛情を持ちつつも知的に冷徹にこの民族の本性を見抜いています。しかも、扱う事象の幅が広い。』

    支那の真相 長野朗 2017年5月復刻 

    『 三百年の清朝が倒れた後は、一時袁世凱の手でまとめていたが、袁の死後は群雄割拠で、戦国時代が現はれ、大総統はいたが虚位を擁するのみで、督軍(とくぐん、各省の軍政長官)が各々兵を擁して各省に拠(よ)り、いづれも虎視眈々として天下の権を狙ひ馬賊(土匪の一種で、馬に乗った盗賊)張作霖一躍して満州王となり、直隷派(北京地盤の北洋軍閥のひとつ)の首領として大総統に押し上げられた曹錕(そうこん)は、…反物の行商人であった。』

    張作霖
    張作霖

    『 北洋軍閥の巨頭袁世凱の時には、さすが各督軍を抑へ、南方派も西南の一隅に小さくなっていたが、袁が死して黎元洪(れいげんこう)が出て、徐世昌(じょせいこう)が代わるに至って、督軍は厳然たる王侯で兵糧と共に政権も握るし(軍閥に成長した軍政長官たちが軍も掌握した)税金は抑へて送らないし(徴収した税金を中央政府へ収めない)中央からの任免を聞かないし後には中央の政治に干渉するし、南方派の唯一の身代であった国会も彼等に潰された(革命で開かれるようになった国会も潰されることになった)。その芝居を打ったのは段派の知嚢(ちのう、知恵袋)徐樹錚(じょじゅそう)で北京の乞食を日当十銭か二十銭で数千人狩り集め、人民請願団と称して議会を包囲し、たうたう国会は潰れ、南方派議員は南に帰って南方政府を造った。』

    1910年代末の軍閥勢力図
    1910年代末の軍閥勢力図

    『 中央政府の遣り口が気に入らないと、すぐに督軍(軍閥)会議を開く、数人の督軍が集まって会議をして決めると中央はそれで参ってしもう。そこで督軍会議が始まると新聞記者等も一生懸命それを探らうとするが、督軍会議は何んのことはない督軍連中の賭博開帳である(会議とは名ばかりで、賭博をやっていた)。督軍は自分の省で部下の連中と賭博をやると部下は必ず負けるこれは一つの賄賂である。…しかし督軍会議の賭場は相対の真剣勝負で、数年に一度しか開帳しないのだから、督軍連中も大童(おおわらわ)で、張作霖は賭博も巧かったらしいが、裸になって奮闘していたといふことで、賭博のことは詳しくは知らないが、一晩に数回しか勝負がつかないらしい。それで五十万元、百万元の勝負がつく。翌日は負けた督軍は五十万元送れといふやうな電報を省に打っている支那人賭博の払ひは実に綺麗なものである。かうして督軍連中が賭博ばかりしている間に、部下の策士連中の間ではすっかり(話し合いが)まとめられ、いよいよ正式に会議を開いた時には、既に話は付いているので、あっさりお茶ぐらい飲んで別れるといふことになる。支那の時局は舞台裏を見ていなければ分からない軍閥といふのは武力を資本にした一つの利害団体だからその組織も全く私的な親分子分関係になっている軍隊は国の軍隊ではなく親分の軍隊だから、親分の命令なら聞くが中央政府の命令は聞かないし軍隊の費用も全部親分が賄っている。』

    女性 笑い 笑う

    『 軍閥は利害で集まっているから、利害によって集合離散する。丁度細胞見たやうなもので大きくなっては分裂作用を営む。自分が出世するまでは親分についているが(軍閥のなかでの序列が上になればなるほど)…親分から離れなくては大きくなれないので、ここに分裂作用が起こるのである。かうした部下の出世熱が、自然に軍閥同士の戦を生んで来る。中隊長は自分の(上司の)大隊長が(その上の)連隊長にならなければ出世できないし、大隊長は連隊長が旅団長にならねば連隊長には昇れない。さうなると督軍か更に大きな軍閥は相手の軍閥を倒してその地盤を奪わなければ部下を満足させられないので少なくとも何年毎にか戦争が自然に盛り上がってくる戦争が元来商売事だから、苦戦して部下を損するのは馬鹿で成るべく部下を損しないのが戦後出世する。戦争の終わった時に、如何に殊勲をたてていても、一ヶ師(団)の兵が一旅(団)くらいになっていれば(→兵が減ってしまっていれば)、お前はそれだけの兵しかないから旅長だということになる(→降格になる)。ところがずるいのは戦争の時にどこかにかがんでいて敵が負けたとなると一散に飛び出し敵の兵器の分捕りに夢中になり追撃などはやらない。武器があれば人間などは訳なく集まるから、師長がたちまち二、三師の軍隊を造り、…軍長になったり督軍になったりする。商売はどんな時でも損をしてはならないそこで軍閥の連中はどちらが勝ってもよいやうに款(かん、「誼(よしみ)」の意。)を敵に通じている。敵将が款をみな我に通じて来るので、戦争は己(お)れに有利だと見ていると、自分の方の部隊長もみな敵に好(よしみ)を通じているので、敵の方でもさう考へている。…(総大将以外は、敵味方双方よしみを通じているので)大勢がいずれかに傾いてくると(勝敗の流れが見えてくると)、訳もなく旗色の悪い方は負ける支那の内争は国と国との戦ひと違って戦っていても何時手を握るか分からないので、外国が本気になってかかり合ふと馬鹿を見る夫婦喧嘩の仲裁見たやうなものである。一方に言ったことは喧嘩相手に筒抜けになっているし、一方に供給した武器がちゃんと相手の方にも流れている。…昨日の味方今日の敵で、どうなるか分からないので、ちゃんと準備は出来ている。』

    このような支那人を相手にクソ真面目な対処を行おうとした私たちの日本は、やがて戦争へと引きずり込まれてしまうわけです。私たち日本人が反省しなければならない点の一つです。

    ポイント 女性


    続きは次回に♥




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