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去年今年と大きなプロジェクトに関わり、確信したことがあります。
『プロジェクトの結果や状態は、担当者の器以上にならない』
ことです。
望んでいる結果はあるのだけれど、その通りにならない。
こう動いて欲しい!と受注者に要望しているけれど、動いてくれない。
これをやってくれ!と部下に頼んだけれど、指示通りにやってくれない。
などなど、プロジェクトを動かしていると様々な問題や壁にぶち当たりますが、それらをどうにかしようとしてもなかなかどうにかならないのです。
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昨年の熊本での仕事は、まさにそんな感じでした。
客先から要望されていることに対し、私は何一つ応えられませんでした。強いて言えば、業務期間の最終盤で、あるイベント実施のための説明資料をまとめたことくらいでしょうか。
本来は、現在進行中の事業の進捗状況を把握しつつ、状況に応じて工程短縮策を提案したり工程遅延の際のフォローアップ案を提示したり、というのが求められていたこと。それらの提案まがいなものはやったけれど、客先の望んでいる結果とはならず。
助けを求めても、「それはお前が考えろ!」ばかり言われる始末。
いろいろもがいていたけれど、もがけばもがくほどアリ地獄にハマっていきました。
そのときは上司など周りのせいにして腹をたてたりしてましたが、それは筋違いで、私自身に問題があるのとの裏返しでした。
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今年携わっている、高規格道路の渋滞対策工事でも、工程が遅れているにも関わらず、少しでもリカバリーできる方策を提示できておらず、早いこと単価を決めてもらわないといけないにも関わらずそのための資料がなかなかまとめれなかったり、などなど・・・・・。
部署内から望まれていることをやれているかわからず、ますますアリ地獄にはまり込んでいくような感覚です。
こないだもミスってしまったし・・・・・。そんな中で、ある言葉が頭をよぎりました。
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京セラの稲盛和夫さんは、こうおっしゃっています。
『企業は社長以上の器以上にならない』
また、ミスミやコマツなどで様々な会社の経営や事業再生に携わってこられている三枝匡さんは、著書「経営パワーの危機」に、このようなことを書かれています。
『経営というものは、結局、トップ自身の器まで落ち込んでしまう』
七転八倒(私の場合は転んでばっかりで、起き上がった数が少なすぎるけれど)してきて、これらの意味が、ようやくわかってきたような気がしています。
その結果が出るのは当人次第なんだと。
稲盛さんや三枝さんは経営者としての立場で語っておられますが、これは経営者のみならず、イチスタッフにも当てはまるのではないか、と思うんです。
日頃やっている仕事の質や結果、客先や社内からの反応などなど、当人自身の器がそこに現れてしまう。「誰も助けてくれない」「協力してくれない」といったことなど、わかりやすいのではないでしょうか。
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器と書きましたが、これは当人の人間性(姿勢や解釈力etc・・・)と≒だと、私(金山)は捉えています。人間性ある人が、最初は努力してもうまくいかないことがあるけれど、誰かが手を差し伸べ、いつしか結果に現れ、デキる人に変わっていく。
当然な流れであり、至極真っ当なことです。
当人の価値観とか考え方はもちろん、物事をどう解釈するか、プラスエネルギーに変えていけるか、が問われるのではないかと。
なんてことを考えつつ、体を休めてます。
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