『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

小笠原長時(をがさはらながとき)

2020-03-26 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
小笠原長時(をがさはらながとき)

<現代仮名遣い>おがさわらながとき

※下線部は信長公記以外の記事によります。


信濃深志城主。長棟の長男。

1548年信濃塩尻峠で武田氏に破れ没落。一時

長尾氏に身を寄せたのち摂津芥川城に住む。

1568年織田氏に敗れて再び上杉氏を頼り、五

百貫を下される。

1578年謙信の死後、会津の蘆名氏に寄寓。


1581年2月京都での馬揃えに、公家衆として参加。

1583年2月死去。

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