2020年1月25日土曜日

しんぼうが外れたらおごる心が、

しんぼうが外れたようだ。
芯棒ではなく辛抱のほう。
いや違う。
辛抱という名の芯棒が外れた。

寄り道
辛抱は、心法と書く仏教用語。
意味は、我慢すること。
では、我慢は?
答えは、巻尾に。

札幌の冬は、寒いもの。
そして雪深いもの。
なのに冷え込みが足りない。
雪も足りない。


札幌国際スキーマラソンで見える羊ヶ丘展望台裏




冬は、辛抱の季節。
自分は、冬を迎えるにあたって覚悟する。
12月は、寒さに馴れる月。
真の寒さ、そして雪は、1月から2月。
この2ケ月さえ我慢をすれば寒さは、峠を越えて
3月の溶けてゆくだけの雪ならどれ程降ろうと心を重くすることはない。
むしろそこまで来ている春の訪れに心を浮き立たせている。

本当は、12月から3月までの4ケ月を辛抱しなければならない。
そこを2ケ月さえ我慢すればと言い聞かせている。
とにかく我慢。
が、肩を透かされてしまった。
1月が寒くない。
雪も降らない。

雪まつりの雪は、片道2時間かけて搬送したという。
スキー場は、全面営業できず。

身近では、第40回札幌国際スキーマラソンが開催中止決定。
22日水曜日にそのコースの一部を今季初で走ってきた。
ストック先端が地面に直接あたる。
ブッシュが顔を出している箇所も多い。
下見をしていた関係者が感想を求めてきた。
「この状態なら難しい。」と答えると
「そうですよねぇ。」と同調していた。
そして翌日、中止の発表がある。
開催2週間ほど前からコース作りが始まる。
そこを利用させてもらうのも冬の楽しみだった。

札幌雪祭りは、1月31日から開催。
これが終わると冬の底を抜けたなぁと感慨する。

底がない。
冬に入っていない。
暖冬なそうな。
覚悟した我慢は、どこかへ消え行っている。
もうすぐ2月。
長年してきた覚悟と我慢が無駄なものとなった時、ジジィの精神の均衡がおかしいい。
我慢の上に我慢を重ね一日一日を辛抱しながら過ごす。
それがない。
1月が長く感じている。
まだ一週間もある。
寒くないし、雪の障害もない。
楽で過ごしやすい。
それなのにかえって長く感じている。
芯棒が無くなったせいに違いない。

待て、
Jリーグの開幕があと一月と一週後。
Jリーグに先立ってルヴァンカップグループステージが4週後。
今年の北海道コンサドーレ札幌は、どんな活躍を見せるだろう。

ふむ、途端にハイテンションに移ろぐ。
やっぱり先に楽しみの待つ生活がいい。


我慢
これも仏教用語だあという。
慢を構成するのは、
忄りっしんべん と 曼まん。
忄は、心臓で意味は、心。
曼は、ひく、引っ張る、長い、広い、広がる、美しいの意味を持つ。
頭から体全体を覆うローブを被った様子なんだと。
上に草冠が乗って蔓つる。

慢は、おこたる、おごる、あなどると訓読む、ゆるいの意味もあり。
仏教用語では、サンスクリット語のmanaを語源としてやはり思い上がる心なのだそうな。


そして我慢は、慢心なのだという。

冬は寒い、雪も深い。
ここは、我慢しないば、と思うのは慢心かい。
わが心のおごりであるってことかい。
我慢がおごる心であったとは。
となれば随分間違った使い方をしていたもの。

増長して奢った自分をそのままに言い張る、
あれ?我が国のリーダーにもそんなのがいるぞ。

言い張るところ、自分に固執する様が我われおごるで我慢。
それがいつのまにやら忍耐という意味にひっくり返っていた。

知らなくても生きてきた。
識ると楽しい。

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