【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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ヨナ書2章

2020年12月02日 07時42分40秒 | 小預言書
2章 ヨナを捕らえる神
おはようございます。ヨナが大魚に飲み込まれた経験、それは絶体絶命の事態でした。しかしそこから救い出される神がいる、これは新約聖書の福音のしるしとなるものでした。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.大魚に飲み込まれたヨナ
ヨナは、大きな魚にのみこまれて、三日三晩過ごしたという。何か荒唐無稽なお話のようですが、実際に1891年、フォークアイランドで、マッコウクジラに飲み込まれた船員の記録があるそうです。その船員は、意識不明の状態で、鯨の切り裂かれた腹の中から発見さました。全身の皮膚は鯨の胃酸で溶かされていて、三日目に意識を回復したと言います。ピノキオのおじいさんのように、大魚のお腹の中で生活をする話はありえないとしても、このような事件は、戦後も報告されているようです。
大切なことは、この物語の主役がヨナのようでありながら、神だ、ということですね。神がヨナを召し、逃げるヨナを捕らえ、救い出して再びヨナを遣わしていることです。神の強い意志によってストーリーが展開していることです。ですから、本来は、大魚でお陀仏のはずであったヨナが、その苦しみの中で、神、主に祈ると、神はこれに応えて、大魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させているのです。これはまさに、神が起こした業、神の奇跡というべきでしょう。ヨナが、神とは、まことに何であるかを、心底教えられた経験でした。ですから、心堅くなであったヨナの心も変えられて、ヨナは踵を返して、ニネベに行く思いにさせられたと言えます。人間、ちょっとやそっとのことで自分の思いは変えないものです。
2.ヨナの経験
さて、ヨナが大魚の中で何を教えられたのか見てみましょう。ヨナは、大魚の腹の中で、もみくちゃにされる経験を、祈りの中で語っていますね。「潮の流れが私を囲み、あなたの波、あなたの大波がみな私の上を超えていきました(3節)。大いなる水が私を囲み、海藻は頭に絡みつきました」(4節)ヨナは、この神のお取り扱いを「滅びの穴」の中にいる経験として語っています(6節)。しかし、そこから救い出す神を覚えて、感謝をささげています。偶像にこのようなことはできない、まことの神は生ける神、生きてよきにしてくださる神、その神を信じることの祝福は、やはり万人のもの、万人に語らねばならぬものでしょう。ヨナは、苦しみの中で神に従うように取り扱われたと言えます。
ところで、イエスは、ヨナのこの出来事を取り上げて、それをご自身の十字架と復活のしるしであると語られています(マタイの福音書16:4)。イエスの十字架による死は、まさに滅びの穴、一度入ったら二度と戻ることのできない、「地のかんぬきが永遠に下ろされる」墓穴の経験でした。しかし、神は、その死の門を打ち破ってイエスが復活されることを許されたのです。それは、イエスの救いがまことに確かなものであることを示すためでした。救いは主のものです。そしてそれは万人に与えられるものです。神の御前に遜る私たちを助けてくださるように、深まるコロナ禍にあって祈りたいものです。


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