【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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申命記22章

2019年02月17日 06時36分59秒 | 申命記
申命記22章
申命記22章 他人の所有物に対する配慮
皆さんおはようございます。信仰的であるということは、日常性において計られるもの、というべきなのでしょう。物に対する態度、仕事や生活に対する態度、さらに伴侶に対する態度、そこに、思いやりと心遣いを持って行くのが、神を認め、神を愛する神の民のあり方なのでしょう。神の民の一員として、思いやりのある人間関係に歩ませていただきたいものです。今日も、主の恵みに支えられた豊かな一日であるように祈ります。主の平安
(6)紛失物一般についての規定(1ー4)
22章は、他人の所有物に対する配慮を示している。十戒の精神をどのように日常に生かすのか、既に十戒には、人のものを盗んではならないと教えられているが、それは、逆に言えば、他人のものを大事にせよということだ。私たちは子どもに物を与えて、大事にするんだよ、と教えている。人のものについても同様にするのが、十戒の精神なのだ。人の牛や羊が迷っていたら、連れ戻してあげ、人が無くしたものを、見つけたなら、知らぬ不利をせずに返してあげる。道で倒れていたら知らぬふりをせずに起こしてあげるのだ。ここでは同族の者、つまり近隣共同体に属する者に対する配慮が語られているが、敵や憎んでいる者に対する配慮も、すでに同様に語られている(出エジプト23:4-5)。大切なことは、神が与えられたものについては、常に、大事に守る気持ちが必要だということで、人に対しては親切心を惜しまない、神の民としての姿勢が語られるのである。人間は、神の似姿に似せて作られたのだから、そのことに気づき、神と共に生きる決意をした神の民であれば、神のように気前のよい者、優しい者であるのは、自然なことである。
(7)秩序を保つ:申命記特有(5節)
5-12節は、非常に雑多な教えが語られているようであるが、秩序、区別が一つの鍵となる。女性が男装したり、男性が女装したりしてはいけない。これは、主に忌み嫌われることであるとされる。鳥の巣からひなか卵を取る場合、母親と子どもを一緒にとってはいけない。新しい家には、屋上に手すりをつける配慮をせよ。牛とろばを一緒くたに、仕事をさせてはいけない。仕事の効率から考えれば自然なことだ。家畜に対してもわが身のように思う優しい配慮を持つ者が神の民なのである。羊毛と亜麻糸も、一緒くたに織り込んではいけない。なぜならこの手の織物は洗濯が楽ではないからだ、と言う。人は面倒くさがって、適当に物事をやってしまうものだろう。しかし、より分けて、丁寧に物事を進めていくには、それなりの理由がある。霊的である、信仰的であるというのは、結局、何時間祈っているとか、熱く祈っているというようなことではない。むしろ、こうした具体的な配慮が自然に出来るか否かにある。なぜなら、神がそのようなお方であり、私たちは神の子なのだからだ。
(8)結婚に関する諸規定
男が妻をめとった後で、その妻を嫌い、処女でなかった、と事実と違うことを言いふらすならば、その責任を負わなくてはならない。男は鞭打ちの刑に処せられた上、銀100シェケル、つまり花嫁料の倍額を返さなくてはならないし、一生離縁することもできない。女性は物ではなく、結婚は永遠の誓いである。心変わりをし、もう嫌になったからさようならではない。自分が伴侶とした者を一生大事にし、守り抜く心を持たなくてはならないのだ。
また、夫のある女と関係を持った場合には両者共に死罪に当たる。婚約者のいる処女の女性が他の男と一緒に寝た場合も、両者共に死罪に当たる。当時の婚約は、24節に、女が妻と言い換えられているように、法的には、結婚に相当するものであった。以上、出来事が町で起こった場合と野で起こった場合が対比される。叫んでも助ける者がいない野でそれが起こった場合、つまり決して合意とは言えない場合には、犯した男だけが死罪となり、女に罪はない。また婚約していない処女と寝た場合には、男は娘の父親に花嫁料を渡して、一生彼女を妻としなければならない。
結婚というのは、単に愛情を感じ合ったものが結びつく以上のものなのだ。結婚をし、家庭を作ることは、ある意味で、いのちをかけるべきことであり、最も大事にされるべきものである。物に対する態度、仕事や生活に対する態度、さらに伴侶に対する態度、そこに、心遣いを持って行くのが、神を認め、神を愛する神の民のあり方なのである。

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