【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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詩篇4篇

2019年10月20日 06時08分15秒 | 詩篇
4篇 静まって主により頼め
<要約>
おはようございます。この詩篇は、ダビデがアブシャロムから逃れた時の心境を歌ったものです。しかしそれが、まだ逃避行の途上のことであったのか、さらには、完全にそのような状況から脱した時のことであったのか、おそらく前者の状況で読み解いていくのがよいのでしょう。まだまだ先が見えぬ中で、神が与える解放、光と、喜びと、平安があることを私たちは知らなくてはなりません。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.背景
詩篇3篇は朝の祈り(5節)、4篇は夕べの祈り(8節)である。朝毎に、夕毎に神の前に鎮まり、神に祈りをささげていく。形式的にではなく、自分の魂の必要のために、自分自身が生き抜くために。実際この詩篇は、先の3篇と一緒に平安を求める祈りとなっている。
1節、「追いつめられた時、あなたは私を解き放ってくださいました」とダビデは祈っているが、それは、ダビデがアブシャロムの難から逃れた数日後のことであると言われる。背景は、同じである。気が動転するような状況の中で、夜が更けていき、いよいよ物事をくよくよ考えてしまう、そんな時にこそ、神に対する信仰を新たにし、本篇のような祈りをささげる、というわけだ。
2節は、謀反を起こした者たちへの反省を促している。王権を辱めることは神に敵対することであり、それは全く偽りを愛し慕い求めるようなものだ、というわけだ。また、神を愛し、神に選ばれた者は、神に守られ、特別に扱われることを言っている(3節)。4節は、ギリシヤ語の七十人訳では、「怒れ、そして罪を犯すな」であり、パウロがエペソ人の手紙の中にこれを引用している(エペソ4:26)。ただ、パウロは、日没前に怒りを心から追い出せと語るが、ここでは、怒っても罪を犯さず、よくよく考えて、静まることを勧めている。もし眠れない夜があるならば、床の中で悶々と苦しむことがあるならば、神の言葉をその心に語り聞かせ静まる。神により頼んで、神の業を願うことだ。心の内に渦巻く憤りや怒りの感情があるなら、神の慰めのことば、励ましのことばを心に受けることである。いつまでも怒りを燃やし続け、憤りを抱き、悶々として、ますます心を腐らせていくのは、神を知らない者のすることであり、神の子は、神とのよき交わりの中で、神が苦しみの中でゆとりを与えてくださることを学ばなくてはならない。
2.神の御業に生きる
確かに神を信じても、状況はすぐに変わることはなかったりする。何事も、様々な関わりの中で起こっている問題であるから、一挙に物事が動いていくことはありえないだろう。ただ、神は確実に、私たちに揺るがぬ平安と、ゆとりと、敵に対する愛を与える奇跡をなしてくださる。一切状況は変わらずとも、希望を抱いて歩めるようにしてくださる。苦難を苦難とせずに歩むことができる。だから6節「多くの者は言っています」内乱状態になり、不安な民衆の気持ちを推し量っているのだろう、しかし、「状況がもっとよければ」とため息をつくのではなく、正しいことをして救ってくださる神に、信頼することだ。そうすれば闇の中にあって光を得るし(6節)、苦しみの中にあって喜びを得るのだ(7節)。これほどの守りはない。それは「穀物と新しいぶどう酒が豊かにある時にもまさっています」というものだ。確かに、ダビデはアブシャロムから追われ、明日のいのちもわからぬ時に、ショビと、マキル、そしてバルジライらに、心配され、疲れ飢えているのではないかと、寝台やら食糧やらの差し入れを受けている。自分はもうだめだと思う時に、人に心配され助けられることほど嬉しいことはない。それは身も心も温かくされることである。
さらに、眠れそうもない夜に、平安が与えられ眠りにつける(8節)。神は、危機的な状況の中にあって、平安、光、ゆとりを与えてくださる。神の解放というものは、そのようなものであったりする。
「ただあなただけが」、リビングバイブル訳は、「ひとりぼっちであっても」と訳す。「ただ一人」という原語を神にかけるか、人にかけて訳すかの違いである。文脈は、心に奇跡的な業をなしてくださる神の存在を強調している。だから前者がよいのだろうが、状況からすれば「ひとりぼっちであっても、神が私たちを支えてくださる」となる。主を信頼しよう。

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