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イザヤ書60章

2020年07月03日 06時49分38秒 | 出エジプト記
60章 新しい天上の祝福
おはようございます。60-62章と、イエスがナザレの会堂で読まれた聖書箇所が重なるところです。それは終末的なエルサレムの祝福を語っていますが、大切なのは、彼岸のことではなく、今味わうべき天上の祝福を語っていると読むことでしょう。今日も主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.起きよ。輝け。
 ヨハネは「光は闇の中に輝いている」(ヨハネ1:5)と語ったが、その時、60章冒頭のことばを踏まえていたであろうことは、あながち間違った推測ではないだろう。イエスは、約400年間という、旧約から新約の時代に移行する中間時代の神の沈黙を打ち破ったまさに、神のことばであり、光であった。60章は、終末的神の国の祝福を語るものとして読むのが、文脈的には自然なのだろう。
 打ち破れた者に何の栄誉があるだろう。堕落し、自ら崩れてしまった者にどんな輝きがありうるだろうか。しかし、主の輝きが、あなたを照らしてくださるのである(3節)。しかも実際に「目を上げて、あたりを見渡せ」(4節)という。神は私たちの周囲を動かしてくださる。私たちの絶望的な環境を変えてくださる。捨てられた町エルサレムは(15節)、再び、再興され、世界中から巡礼の人々が集まる所とされる。「ミデヤン」は、南の地方を指し、かつてイスラエルを略奪した民である。その民が今は神を礼拝する者として集められる。また「エファ」はペルシヤ湾の東で、「ケダル」と「ネバヨテ」は、北アラビヤ砂漠の地方であり、イシュマエルの子孫を意味する。またタルシシュは西にあるスペインのことである。つまりは、エルサレムには、東西南北の世界四方から人々が集まってくると言う。大切なのは、私たちが自分で喜びを作り出そう、祝福を生み出そうとする努力はいらないことだ。5節「そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、心は震えて、喜ぶ」と言う。つまり、神が恵みをもって、あなたを輝かせくださるからだ(9節)。
2.新しい天上のエルサレム
10節からは、建て直されたエルサレムの町の喜びと繁栄が語られる。しかしここに描かれたことは、ユダヤ人の歴史には起こらなかったことである。つまり、まさに終末の、新しい天上の都エルサレムに起こることを語っている。あなたは「捨てられ、憎まれて、通り過ぎる人もなかった」(15節)と言われる者かもしれない。しかし、あなたを誇る神がいる。あなたは乳飲み子が母の胸に安らぐような神の平安の中に入れられる(16節)。イスラエルの歴史は、アッシリヤ、バビロンの侵略を受け、神殿や王宮から金銀が剥がされ、青銅の祭壇は石の祭壇に換えられる、みじめなものであった。しかし、もはや、新しい天上においては逆のことが起こる(17節)。そして自然の太陽や月ではなく、主が永遠の光となる(20節)。それはまさに、黙示録21章に描かれた終末預言に重なっている。
聖書の信仰はこの世の現実を超えたビジョンを与えてくれる。地上の喧騒に満ちた社会の中で回復を考え、平安や安息を得ようと執着するところに真の救いはない。しかしこの天上にある霊的祝福をしっかり受け止めるならば、この地上での生き方も変わるだろう。

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