【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

聖書通読は、モノの見方を変え、イエスと共に前に進む気を起こさせてくれます。ご一緒にしませんか?

エゼキエル書27章

2020年10月01日 06時44分54秒 | エゼキエル書
27章 ツロ号の難船(27:1-36)
おはようございます。エゼキエル書を読み、黙示録を思い起こせるようになったら、それは聖書通読の成果と言うべきものです。読めば読むほどに養われるものがあるのです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.ツロの賛歌
昨日の続き、ツロへの神のことばです。ツロが商船にたとえられ、その滅亡を難船の形で語る預言的哀歌となっています。ツロはエルサレムの滅亡によって、その権益が自分のものになることを思い喜びましたが、その思いは実現しないのです。ツロはネブカドネツァルの軍隊に包囲され、壊滅させられるからです。
比類なきツロの美しい姿が、豪華に造られた商船にたとえられています(1-9節)。「私は美の極みだ」はツロの高ぶりを示しています。ツロは地中海沿岸諸国の特産品を取り扱うことによって繁栄しました。
10-11節は、ツロの軍隊で働く傭兵たちの記録、12-25節はツロと交易をした町のリストで、地理的に西から東の順で記されています。「タルシシュ」(12節)については3つの説がありますが、ここではスペインのタルテスースのことでしょう。「ヤワン」(13節)はイオニア。「トバル」と「メシェク」は小アジヤの地方。「ベテ・トガルマ」(14節)はアルメニヤのこと。「デダン」(15節)はアラビヤ地方。70人訳ではエーゲ海のロドス島となっています。「ウザル」(19節)はイエメンの主都サヌア、「ケダル」(21節)、「シェバ」「ラアマ」(22節)はアラビヤ地方。これらは、網羅的なリストではなく、代表的なものです。そのような交易関係を持つツロに、強力な東風つまりバビロン軍が襲いかかり、ツロは、すべての水夫、軍隊、商品とともに沈没してしまうのです。
2.エゼキエル書と黙示録
神の力の威力を思わされるところです。どのような栄華も一瞬にして消えていくのです。新約聖書のヨハネの黙示録に書かれたイメージは、ここから引き出されたものなのでしょう(黙示録18章)。そこには、商取引で栄えた大きな都、バビロンが一瞬にして沈没する船のように滅ぼされていく様が描かれています。恐らくヨハネがバビロンと称したのは、ローマ帝国のことでしょうが、その滅亡を預言するのに、本章を援用したというわけです。
日本人が聖書を読む時に注意したいことは、やはり、日本人には旧約聖書の知識的な蓄積がないことでしょう。現代のイスラエルでも公教育のカリキュラムの半分は聖書教育だと言います。高等学校教育までの間に、おおよそ三度は旧約聖書全体を学ぶ内容になっていると言い、一番人気のない科目はレビ記とも聞いています。そしてそのレベルは、高等教育で様々なラビの立場の聖書注解を読み、ディベートするところまでだと言います。日本で言えば大卒後の神学校で行う教育レベルということでしょう。となれば、当時のユダヤ人も旧約はよく理解していたものと思われます。旧約的背景を持たない日本人は、やはり聖書の読みも浅くなる傾向にあり、努めて、旧約を学ばねばならない、ということです。
ともあれヨハネが黙示録で本章のイメージを借りて語ろうとしたことは、当時のローマ帝国の迫害下にあって、苦難を免れていて、贅沢と安逸の中にまどろんでいたキリスト者への警告でした。あなたがたの生活基盤であるバビロンは滅びる。そしてあなたがたの生活も揺るがされることになる。富ではなく、神をあなたの生活基盤とせよ、ということでした。エゼキエルがなぜツロについてこれほど長く取り上げるのか。バビロンに捕虜となった人々は、ダニエルたちのように概ね寛大に扱われ、バビロンの豊かさの中に世俗化していく者たちもいたのでしょう。神が私たちの生活に必要なものはすべて備えてくださっている、そして豊かさは神の恵みによるものである、といつも謙虚に弁えて歩みたいものです。私たちを守るものは、富ではなく、神ご自身なのです。

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