カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

「草枕」の里を訪ねて(2)

2019-03-18 11:08:00 | おでかけ
 玉名市小天温泉を訪ねたのはサクラの他に漱石の小説「草枕」の里だから。

 「草枕」は第五高等学校教授として熊本に赴任中に、大晦日に同僚と小天温泉を訪れ滞在した数日間の出来事をもとに書き上げたと言われている。

 
 (前田家別邸)

 当時の熊本の名士「前田案山子」が趣向を凝らして建てた別邸が作品の舞台となっている。

 現存しているのは離れと風呂場だけであるが、近年母屋などの一部が復元されている。

 「那古井の宿」として描かれたのがこの前田家別邸。

 なるほど高低差のある地形や、建物の配置などを見ると複雑に回廊で結ばれていたことがわかる。

 小説の一節「宿へ着いたのは夜の八時頃・・。何だか回廊のような所をしきりに引き回されて、仕舞いに六畳ほどの小さな座敷に入れられた」と続いている。

 
 (現存する離れの六畳間)

 ここから物語は、この宿の若い女「那美」とのからみで佳境に入っていく。

 小説では画工が風呂に入っていると、那美さんとおぼしき女性が入ってきて云々とあるが、本当に次女が誰もいないと思って入ってきたものらしい。

 風呂は男湯の方に温泉の沸き出し口があって、深夜誰もいない時間帯に仕事を終えた次女が、熱い男湯の方に入って来て実際に漱石と鉢合わせになったという。

 
 (半地下式の風呂)

 画工は石段を下りて半地下の風呂に入る場面があるが、確かに石段はそこにあった。

 小説の場面を重ねながら、施設内をうろうろすると確かに面白い。

 当時から有ったのか無かったのかは知らないが離れの方向からの出口に向かうと句碑が建っていた。

 
 (漱石の句碑)

 「かんてらや師走の宿に寝つかれず」とある。

 風呂で女性と鉢合わせになって興奮して寝つけなかったのを、「かんてら」のせいにしたのかも知れない。

 漱石が熊本にいたのはロンドン留学の前だから三十代前半で若かったし・・・。

 てな事を、勝手に想像しながら離れの脇を通り、裏口に抜けて振り返ると若かりし頃の漱石の姿があった。

 
 (若かりし頃の漱石)

 小天温泉を訪ねた頃は、千円札の漱石とは違って、峠道を歩いて越えても平気な若さがあったのだ。

 小説の他に沢山の句も残している。

 子規と親しくし、小説も高浜虚子のホトトギスの紙上で発表しているので、俳人との付き合いは長い。

 五校に赴任中に九州を旅してあちこちで作句しているが、熊本だけでも相当な数になり彼方こちらに句碑があるらしい。

 
 (漱石の句碑)

 個人的には「秋はふみ吾は天下の志」という句と「すみれ程な小さき人に生まれたし」という両極端な句が好きである。

 熊本在住中に詠んだ句は、俳人の坪内稔典氏が熊本日々新聞紙上に「漱石くまもとの句」として連載していた。

 2013.4.1の始めの句は「永き日やあくびうつして分かれ行く」で、2014.3.31最後の357句目は「海棠の精が出てくる月夜かな」で連載は締められている。

 新聞の連載句はすべて、毎日切り抜いてノートに貼り付けていたものを今も持っている。

 勝手に漱石ファンを名乗っている所以である。

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