後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本古来の馬、都井岬馬、木曽馬、そしてモンゴルの野生の馬

2019年12月03日 | 日記
弥生時代に稲作が始まり、その末期には馬は日本人の農耕や産物の運搬に人々に役にたっていたようです。
次の古墳時代になると馬具や馬の埴輪が沢山出土することから古墳時代の少し前から馬が活躍したと想像するのは自然ではないでしょうか。そして奈良時代の律令国家の時代になるると全国各地で馬牧場が出来て朝廷に軍馬として献上されたのです。
それでは古墳時代や律令国家時代の馬はどのような馬だったのでしょうか?
簡単に結論を言えば小型ながら頑健な蒙古馬が中國や朝鮮半島を経由して入ってきたと考えられます。
野生の馬と言えば宮崎県の都井岬に現在でも野生の馬が多数生息しています。

1番目の写真は都井岬の野生馬の写真です。
この都井岬の野生馬の写真の出典は、http://www.kanko-miyazaki.jp/data/ja/smartphone-index?page-id=9265とhttp://meito.knt.co.jp/1/ca/11106005/1/です。
しかしこの野生馬は旧石器以前の野生馬ではなく、姿をよく見ると蒙古系の馬のように見えます。
この宮崎県の都井岬の野生馬は国の天然記念物に指定されています。
これらの野生馬は約300年前秋月藩主が放牧したのが始まりと明確に分かっています。
日本の律令国家の時代に飼育され朝廷に献上された蒙古系の馬に近いと考えられ、木曽馬のような馬と言われています。

2番目の写真に木曽馬の写真を示します。後ろの山は木曽の御嶽山です。
写真の出典は、http://blogs.yahoo.co.jp/nihonzairaiba08/1030166.html です。
木曽馬とは、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9B%BD%E9%A6%AC によると長野県木曽地域(木曽郡)を中心に飼育されている日本在来種の馬だそうです。岐阜県飛騨地方でも飼育されています
日本在来種は他に北海道和種(北海道、俗称:道産子)、野間馬(愛媛県今治市野間)、対州馬(長崎県対馬市)、御崎馬(宮崎県都井岬)、トカラ馬(鹿児島県トカラ列島)、宮古馬(沖縄県宮古諸島)、与那国馬(沖縄県八重山諸島)がありますが、本州の在来種は木曽馬のみです。
一時絶滅寸前であったが木曽馬保存会が中心に活動が行なわれた結果、飼育数は増加しました。しかし以前のような乗馬、農耕を目的とした需要ではなく、種の保存と観光用として現在は200頭以下が飼育されています。
この木曽馬は平安時代から江戸時代にかけて、武士の馬として使用されきたのです。
起源ははっきりしていませんが、元々は蒙古の大陸系の馬です。一説では紀元前1世紀の漢で改良された「蒙古草原馬」が2~3世紀に、朝鮮半島経由で渡来したと言われています。この馬が木曽地域という山岳地帯で飼育された影響で、木曽馬となったのです。
北海道の道産馬には欧米系の労働馬と小型の和種の道産馬の2種があるようです。

3番目の写真に和種の道産馬を示します。
道産馬の写真の出典は、http://www008.upp.so-net.ne.jp/kurumada/horse.htmです。
自動車は普及する以前は馬が荷物運搬に活躍していたのです。
さて野生馬と言えば純粋の野生馬は非常に珍しく都井岬の野生の馬のように人間が飼っていた馬が放たれて野生のように繁殖したものです。
この世界でも珍しい純粋の野生馬はモンゴルに現在でも生きて繁殖しています。

4番目の写真は世界で唯一の純粋な野生馬と言われているモンゴルの野生馬です。
写真の出典は、http://cgi2.nhk.or.jp/darwin/broadcasting/detail.cgi?sp=p348 です。
このモウコノウマは、体高140センチ。ポニーほどの大きさで、足は短くずんぐりした体型をしています。漢字で書くと「蒙古野馬」で「モンゴルの野生の馬」という意味です。
現在、モンゴルと中国にわずか数百頭しか生息していないため、絶滅危惧種に指定されています。気性が荒く人に慣れないので、家畜化は不可能だといいます。
モウコノウマは1頭のオスと複数のメス、そしてその子どもからなる家族単位の群れで暮らします。
オスは、家族のリーダーとして圧倒的な力を持っています。移動のときは常に最後尾を歩き、オオカミなどの外敵を警戒、家族を守ります。指示に従わない家族がいれば、噛みついて追い立て統率するのです。メスたちの役割は子育てで、いつもぴったりと我が子に寄り添い、授乳や毛づくろいなどの世話をします。

ついでに5番目の写真に大型の欧米系の北海道の馬と家内の写真を示します。

5番目の写真は2012年9月に道東の弟子屈市の郊外で撮った写真です。
家内が馬が大好きなので都井岬の野生馬も木曽馬も見に行きました。
家内と馬の馴れ初めは軍馬だったそうでせす。
群馬県下仁田町の疎開先の家の息子が終戦で軍隊から帰るとき軍馬に跨って帰って来たのです。
少女だった家内はその軍馬に何度も乗せてもらい乗馬の楽しさを覚えてしまったのです。
都内の大学に入学するとすぐに馬術部の入ります。
毎日厩掃除をしたそうです。
家内は「馬は賢くて厩掃除をしてくれる人になつく」と何度も言っていました。
結婚後も小金井市の「さくら乗馬会」というクラブの馬場で馬に乗っていました。
旅行をすると必ずのように馬に乗れるところを探します。
北海道や八ヶ岳の麓には馬に乗れる馬牧場が散在しているのです。

家内の影響で私も馬を見るのが好きになりますした。皆様は馬がお好きでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

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