みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

出版 動き始める

2021-12-10 | ご案内!
出版 動き始める
 
9月に出版した2冊の本が動き始めた
 
 
 
amazon.co.jp からの販売が始まりました
電子出版  の準備が整い販売が始まりました
大阪府箕面市はじめ近隣図書館へ順次納入が始まっています
他都市図書館や自然関連団体への献本をしています 
 
みのおの森の小さな物語
明治の森・箕面国定公園の散策日誌から、その体験などの中から書いた、初めての創作短編物語12編です
大阪の都市近郊にありながら、自然豊かな箕面(みのお)の森、その四季の自然や人との交わりの中での物語をお楽しみください
<定価1800円+Tax 
発行・ブイツーソリューション
著者・  桐原 肇  hajime kirihara
 
 
 
 
箕面の森の小さなできごと
明治の森・箕面国定公園の散策日誌から 20余年、3千余回歩いた箕面(みのお)の森の四季、自然の営みと人との交わりの中から体験した53編のエッセイ集です
<定価1500円+Tax 
発行・ブイツーソリューション
著者・  桐原 肇  hajime kirihara
 
 
 
(本の写真の絵は全て油絵、アクリル画で描いた箕面の風景画です)
 
 


どうぞよろしくお願いいたします
 
My Book    Advertisement
                     By Hajime  Kirihara
 
 
My Blog「老楽生きがい日記」(検索)は続けています(頑爺)
 
 
 

出版本「みのおの森の小さな物語」

2021-09-02 | 箕面の森のご案内&資料
9月1日(水)22/33℃  
 
<みのおの森の小さな物語> 出版
 
8月末日に Amazon.com でも販売が開始された頑爺の書いた箕面(みのお)の森の本。 
電子出版 はもう少し後から販売されます。
 
1⃣「みのおの森の小さな物語」は箕面の森を題材に初めて書いた12話の創作短編物語です。
 
 
2⃣「箕面の森の小さなできごと」は森の自然と人との交わりを書いたノンフィクション 53編のエッセィ集です。
 
更に今日(9/1)はその出版本を中心に地元の箕面FM局・番組から生放送が流れますので、お時間のある方は聞いて下さい。
<タッキー818 みのおFM > 番組は 15時から16時 の「植田洋子とTer For Two」
 
パーソナリティの植田洋子さんとの対談で1時間のぶっつけ本番の生放送 通称「徹子の部屋・箕面版」と言うそうです。(そんなのに出て大丈夫かな?)
今はインターネットラジオで世界中の番組が聴けるという事で、便利な世の中だが、何だか怖い感じがする。 
 
という事で、どうやら頑爺の化けの皮が剝がれることになり、何ともどこへ隠れたらいいのやら 短足ハゲのカバ顔に出腹ポンタが トホホ! 頭隠して尻隠さず か  😫😭🤣
 
・本書けば恥ずかしながら宜しくと
・生放送 電波届くか世界へと
・本に顔  載せなきゃよかったカバの顔
・これからは開き直りのケセラセラ
 
タッキー816  箕面FM局が入る箕面・船場東のCOM3号館(右側)


周辺は今 北大阪急行の延伸工事と新駅建設中


また大阪大学の新学舎開設など再開発中で賑やかだ 


箕面・船場は自分が31歳の時、サラリーマンから独立し、一人で会社を立ち上げた創業地でもあるので懐かしい😂
 
 
 長い間 このblog「みのおの森の小さな物語」をお読みいただきましてありがとうございました。
この度、このblogの集大成として一部を本にまとめ出版しましたので、blogを 
<一旦閉鎖> とさせていただきます。 
 
尚、上記の通りAmazon.comにて販売 また各電子書店にて取り扱います。   
また箕面市始め近隣都市の図書館にてご覧いただけますのでよろしくお願いいたします。
 
 
尚、日々の日記を綴ったブログは引き続き継続しておりますので、覗いてみてください 
 
「川柳風 老楽生きがい日記」(検索)
 
             
 1 SEP.  2021(管理人・頑爺)
 
 

箕面のブルーグラス懐古店(1)

2021-08-16 | 第19話(箕面のブルーグラス懐古店)

(再掲・回顧)箕面の森の小さな物語(NOー19)

 

<ブルーグラス懐古店>(1) 

 

 そぼ降る小雨の中、箕面・桜井駅近くの路地を入った所にその店はあった。

 蔦の絡まるレンガ造りの古い館だ。 玄関口には年代物のカントリーランプが灯り、その下には鉄製のアーリーアメリカンタイプの傘立てが置かれていた・・ やっと見つけたよ・・ こんな所にあったのか・・

  有田 豊彦はもう小一時間ほど周辺をウロウロと探し回っていたので正直ホッとした。 「近くに朝から晩までブルーグラス音楽だけをかけているという小さな喫茶店がある・・」と小耳に挟んでいた。 「今日は雨だし、ちょっと探しに出かけてみるか・・」と 豊彦は傘をさして家から歩いてきたのだった。

  箕面自由学園の校門前を通りかかると、チェアーリーデイング部が<7年連続 日本一>になったとかで、その大きな大横幕が雨に濡れながらはためいていた。 それに今朝の新聞には地元 府立箕面高校ダンス部 何やらアメリカでの世界大会に優勝したとか書いてあったな・・ と少しわけもなく元気を貰ったような気がしていたが、初めての店探しには少々疲れた。

  豊彦は口ヒゲについた雨滴を右手で拭いた・・ ヒゲは退職後、中近東へ旅行に行く前に、息子から「日本人は幼顔だからヒゲでも生やして行けよ」と言われ伸ばして出かけたものの、帰国後も元来の無精者でそのままにしているだけだった。

  カントリースタイルの木の扉を開け、豊彦はそっと伺うように店に入った。 いきなり軽快なパンジョーのリズムが聞こえてくる・・ うん Rocky  top    かな? 「いらっしゃい!」 カウンターの中からアゴヒゲを生やし、カーボーイハットをかぶっマスターらしき人が声をかけた。 客は一人・・ カウンター前に小柄でメガネをかけた同年輩の男が一人いるだけだった。

  彦は二つしかない四人掛けのテーブルに腰を下ろし、店内を見渡した。 10数坪の狭い店内だが、壁から天井までカントリースタイルのポスターや歌手の写真が所狭しと貼ってある。 そして所々にブルーグラスを奏でる楽器が置かれている。 五弦バンジョー、フラットマンドリン、ヴァイオリン(フィドル)、リゾネットギター(ドブロ)、ウッドベース、などなど・・

 「レーコー 一つ!」「はい!」 梅雨の季節に入り、少し蒸し蒸ししていて暑い日だ・・ 豊彦はこの場所を探し回って汗ばんでいた体を冷やすため、出された冷たいコーヒーを一気に飲み干しノドを潤した。 東京じゃレーコー では全く通じなかったな・・ アイスコーヒーと言うまで「何ですか それは?」って何度も聞かれた事を思い出してクスッと笑った。 マスターはカウンター客と何やら昔話しをしているらしい・・ アップテンポの曲が次々と流れ、豊彦は体が勝手に動きだすかのようにそのリズムに酔った・・ 久しぶりにワクワクする気分に浸っていた。

 「お客さん よかったらこっちへ来て座りませんか」 突然 マスターが声を掛けてきた。 豊彦は言われるままに腰を上げ、カウンター席に移った。 「ようこそ! ここは初めてのお客さんですね  私はマスターのビルです こちらは私の友人のマサさんです」 「ボクは有田です どうぞよろしく!」「有田さんはブルーグラスがお好きなんですか?」 カウンターに並んだお客のマサさんが、親しげに話しかけてきた。 どこかで見たような顔をしている・・「ええ まあ・・ と言ってもまだ3年ほど前からの事でして・・」「そうなんですか どんなきっかけだったんですか?」「それが・・」と、豊彦は訪ねられるままにそのきっかけを話し始めた。

 「いつもの山歩きの帰り道、箕面駅前の商店街を歩いていると・・ 街頭スピーカーからいつも流れている音楽に うん? と立ち止まりましてね  どこかで聞いたような懐かしい曲? それが ふっと思い出しましてね  もう50年も前の昔々の古い話しなんですが、若き学生時代に一回だけ聞いたことのあるメロデーで、それが印象的でずっと心に残っていたんですよ  でもそれっきりでどこの誰のどんなジャンルの曲かさえ分からないままでした それをその時に急に思い出したんですよ あの時の歌だ! ってね 後で知ったんですがね  その商店街ではいつも地元のFM局の番組を流しているとのこと・・ それで<みのおFM・タッキー816局と言うのを知りました でも何で七面鳥なのかと思っていたら、箕面の瀧のタッキーかも? と言われましたよ・・」

 二人とも笑って豊彦の話を聞いている。 「それで駅前の観光案内所に置いてあった<みのおFM>の番組表をもらって見て見ると、これが毎日やっているブルーグラスという音楽番組だと知りました  それで早速 翌朝から聞くようになり、特にDJの藤井 崇志さんの番組は素人の私にも分かりやすく、もうすぐファンになりましたよ」 と一気にいきさつを話した。

 「藤井さんは何人もの世界的ブルーグラスアーチストを日本に招聘された方で、ご自分でも演奏されるし、それは詳しい方ですよ」とマスターが言う。 「それに 日本広しと言えども、毎日ブルーグラス音楽を流しているFM局はこの<みのおFM>しかないよね 」とマサさんが言う。 「ああ ここに今年の番組表があるよ・・ 何年か前よりこれでも3割以上時間が減ったようだけどね・・

    <みのおFM・タッキー816局>

     ・ ブルーグラス ランブル

       (月)~(金) 毎朝 6時~ 55分間

       (土) (日)    6時~ 116分間

 

     ・ ブルーグラス タイム (DJ 藤井 崇志)

        (土) 10時30分~ 30分間

            19時   ~ 30分間

        (日) 18時30分 ~ 30分間

 

 「ところでその50年前に聞いたという曲は何ていうんです?」「それは学生バンドが面白く歌っていた ”ヨーカンいかがです!” 「ハハハ  ハハハ よく分かりますよ  私も好きですよ ところでそれをどこで最初に耳にされたんですか?」 とマスターが問う。

 豊彦は再び昔話しを続けた。 「あれは確か、新入生歓迎音楽会とかで、いろんな大学の新入生が集まり、中ノ島の中央公会堂で開かれた時の事だと思います」 「ああ そう言えばオレ達も行ったような・・?」とマサさんがマスターに言うと、マスターの思い出すかのように頷いている。 「ところで有田さんは何年生まれですか?」「私は1945年です」「ああ 私らと同じ年代ですね 実はブルーグラスも同じ1945年にケンタッキーで生まれた音楽でしてね・・ 日本では1960年代からはやったんで、ちょうど私らの学生時代にあったんですね」 マスターが話を続ける・・

「元々はね アメリカのケンタッキー テネシー ノースキャロライナやバージニアなどのいわゆるアパラチア地方に入植したアイルランド系、スコットランド系移民の伝承音楽をベースにしたものなんですよ それを1945年にビルモンローがブルーグラスボーイズを結成し、アール&スクラッグズなどが加わって発展してきたアコーステック音楽のジャンルなんですよ」 「そう言われてもボクにはよく分からないんですがね・・」と豊彦は頭をかいた。

 「ブルーグラスとはビルモンローの故郷の地名にちなんで付けられた名で ブルーグラススタイルの音楽をそう呼ぶようになったんです 日本では箱根や滋賀で毎年大きなイベントもありますよ この近くだと<宝塚ブルーグラス フェステイバル>が1972年から毎年8月の第一土曜を含む週末に、宝塚近郊の山の中で開かれているので、一度行ってみて下さい すごい熱気ですよ これはアメリカ・インデイアナ州で1967年以来続いている<ビルモンロー記念ビーン・ブロッサム ブルーグラスフェステイバル>に次いで、世界で2番目に古い歴史をもっているんですよ 私もこれらの大会にはいつも参加して演奏していますから、是非一度いらしてください・・」

  豊彦はマスターのそんな話を心弾ませながら聞いていたが・・ 「そう言えば先日・・ 5月18日だったか いつもの山歩きからの帰りに箕面の教学の森のキャンプ場に下りてきたら、森の中から懐かしいメロデーが聞こえてきたんですよ それでどこかと探してみると、野外活動センターの館に沢山の人たちがいてビックリで・・ 入り口に<稲葉 和裕ブルーグラスキャンプ>と看板があって、多くのプレーヤーもいて大いに盛り上がっていました」

「ああ あそこに私もいたんですよ  偶然ですね! 夜はみんな隣接する一泊600円とかの森のコテージに集まってね 遅くまで仲間と楽しみました・・ 来年はご一緒にいかがです?」

  外は雨が本降りとなり、窓辺の木々の葉を激しく打ち始めた。 こんな日は、好きな音楽に浸りながら、初めて出会う人ながら、趣味や感性の合う人たちとお喋りできることが、何より至福のひと時だ。 そしてその時はまだ、さらに大きな至福のひと時が待っているとは想像がつかなかった。

 

(2)へ続く


箕面のブルーグラス懐古店(2)

2021-08-16 | 第19話(箕面のブルーグラス懐古店)

箕面の森の小さな物語

<ブルーグラス懐古店>(2)

  外は相変わらず雨が降り続いている・・ 豊彦はエスプレッソを一杯追加注文しつつ、もう少しこの店で浸っていたかった。 「ボクは学生の頃、ザ・ナターシャセブンの高石ともや や 諸口あきらのコンサートなんかよく行きましたよ」「懐かしい名前だね・・ 彼らも一時ブルーグラスをやってましたよ」とマスターが言う。 

  するとマサさんが続けた・・ 「あの頃、アメリカの音楽は何でも新鮮だったよね 自由の香りがしたり、未来が開けるように希望に満ち溢れていた感じだったよ フォークソングもブームだったしな・・ オレはPPMやジョーンバエズなんかよく聴いたり歌ったな~ 日本じゃ森山 良子なんかがデビューした頃だな・・ それに梅田やなんばの歌声喫茶なんかで、みんなでよく合唱したな~ まだ若かった浜村 淳なんかもいたわ・・ 学生運動も盛んで、オレはたまにデモなんか参加して発散したり、あの頃 世界一周無銭旅行なんかはやってて、オレも友達と計画したもんだわ・・」 マスターも豊彦も同じだ! とうなずいた。

  マスターが続けた・・ 「私なんか田舎から大阪へ出てきて、最初は見るもの聴くもの 全てが感激と感動で珍しく大変でしたよ ハハハ しかし 一年もするとあれほど嫌だった牧歌的な故郷が恋しくなってきてね・・ 郷愁というかね その頃 夢見るアメリカの広大な田舎の風景や音楽に憧れてね・・ そのカントリーソングのリズム感にはまったもんですよ」 「マスターは女の子追いかけてアメリカまで行ってしまったんだからね」とマサさんが付け加えた。

 「ハハハ ハハハ あれは私の人生の転換点だったな 日本に留学していたアメリカの女の子に一目ぼれしてね・・ その彼女が帰国するって言うんで、そのままついて行っちゃったんですよ・・ それが偶然にもケンタッキーのブルーグラスの街でね それから皿洗いのバイトしながら、よくライブにいったもんです やがてどうしても楽器がやりたくなり、中古のバンジョーを手に入れて必死で覚えたもんです そしていろいろあってブルーグラスのプロになって全米を回りましたよ いい時代でした・・」

 「そうでしたか・・ それはそうと、その追いかけていった女の子とはどうなったんですか?」と豊彦が問う。「ああ あっさりと振られましたよ  ハハハ・・」 「それで いつ日本に帰ってきたんですか?」「50歳になる少し前かな やっぱり年になると日本が恋しくてね この箕面の街は小さいけれど、落ち着いてていい所ですよ この桜井に小さな店を手に入れ、こうして好きな音楽だけを流しているというわけですよ 実は帰国後に偶然 石橋のライブバーでこのマサさんと再会しましてね・・ 30年ぶりだったかな?」

 マサさんが続ける・・「こいつは突然アメリカへ行ってしまうし、オレは同じ2年のとき、急に田舎の親父が倒れ、すぐに飛んで帰ったまま戻らなかったんですわ 家が旅館やってて、一人息子なんで仕方なかったんやな・・ 実は友達と計画してた日本縦断歩き旅とか、さっきの世界一周とかいろんな夢が全て消えてしもうてガッカリでしたわ・・ 結局 家の旅館は潰れ、一家で大阪へ出てきて、今は近くの会社で働いてます・・ と言っても後半年で退職なんでね 時々 こうして昔を懐かしみここに来てますねん・・」

  豊彦も続ける・・ 「皆さんの話を聞いてると、まるで自分の事のようです ボクは貧乏学生で、三食の食事、下宿代、授業料や本代など自分で稼がないかんかったんで、昼夜問わずバイトに明け暮れてました でも、何とかギリギリで卒業してサラリーマンになり、養子に行って結婚し、義父の会社を継いで60歳で息子に渡しました 今は楽隠居させてもらいながら、箕面の山歩きを楽しんでます しかし、学生時代の遣り残し症候群とでも言うのか? 欲が消えずにしょちゅう夢を抱いては妻に怒られてます・・ ハハハ 」

  お互い3人の様子が分かり合えた頃だった・・ 「そうだ もう昼も近いことですから、何か作りましょう 有田さんも一緒に食べていってください  ご馳走しますから・・」 マスターはそう言いながら厨房に入っていった。

 「マスターのチャーハンは絶品なんですよ 昔、大学の前にあった中華食堂の味と同じでね  帰りによく仲間と食べました 大盛りをね 私らの青春の味なんですわ マスターが帰国してからまだ開いていた懐かしのその店の老店主に頼んで、何とかその味を教えてもらったようですよ・・」とマサさんがエピソードを話す。

  やがて美味しそうな大盛りのチャーハンがでてきた。「この玉子スープもついてたんですわ 相性バツグンでね」とマサさんが匂いをかぎながらうっとりするので皆で笑った。

  「さあ さあ 有田さんも食べてください その前にちょっとだけ私らの懐かしい儀式? をさせてください  お客さんの前ですいませんが・・ ハハハハ 」 「昔、仲間らとよくそうやって唱えてから食べてたんで、二人になるといつも習慣みたいになってね・・ ハハハハ」 二人が笑いながら何かを言おうとした時だった・・ 出されたチャーハンと玉子スープを見つめながら、静かに二人の話を聞いていた豊彦が突然立ち上がった。 そして、マスターとマサさんの顔を交互にしみじみと見つめていたかと思うと、おもむろにチャーハンを頭上に持ち上げた・・ 目には涙があふれ、むせび泣くように大きな声を張り上げた。

 真っ赤な太陽!  ボクらのハリマ王!

 マスターとマサさんはビックリした・・・

「なんで? なぜ? その言葉を知っているんですか?

なぜ・・? まさか? まさかお前は そうか トヨか? そうだったんだ 本当か? 奇跡だ! 知らなかったな・・」

  昔の親友3人は、手を取り合って50年ぶりの奇跡の再会を喜び合った。店内には、今朝の みのおFM<ブルーグラス ランブル>からあの想い出の(~ ヨーカンいかがですか ~)が流れていた。

Bill  monroe  &  Bluegrass  boy's「y'all  come」

雨の上がった窓辺のツタに太陽の光が当たり、雨の水滴をキラリ! と輝かせた。

 

(完)   


*夏の約束(1)

2021-07-17 | 第12話(夏の約束)

 箕面の森の小さな物語(NO-12)

<夏の約束>(1)

  「親父と歩いた箕面の山道は今でもよく分からないな~?  山の麓から小道を上り、やっとの思いでたどり着いた所に大きな山池があった事を覚えているが・・ 帰りは違う山道を帰ってきたので余計に分からない・・」

  冷たいビールを飲みながら大沢敏郎はしばし昔の思い出に浸っていた。 「あれからもう40年か・・・」と懐かしく回想を始めた。 箕面の山周辺も随分と変わったけど、敏郎にとってあの時の思い出は今も鮮明にしっかりと心に残っていた。

 「親父は外国航路の一等航海士だった・・ 確か大型貨物船だったな・・ いつもは家にいないので、他の家もそんなものだと思っていたけど、ある日 友達の家に遊びに行って、お父さんが家にいてびっくりしたものだ・・ それ以来、お父さんは家にいるのもので、オレの家のほうが変っているんだ! と思うようになったが・・ 父が航海から帰ってくるときはすぐに分かった・・ 少し前から母がソワソワし始めて、それまで余りしない化粧を始め、家の中がどことなく綺麗になっていくのですぐに分かる・・ 勿論オレもうれしいし待ち遠しくなってくるのだが・・ そして、船が神戸の港に着くと二人で迎えに行った・・ 父はオレを見つけると、いつも真っ先に抱き上げて頬擦りをするので少し恥かしかったな・・ でも、嬉しかった。  それにいつも見たことのない母の笑顔が好きだったな・・」

 「オレが小学校4年生の夏休みに、丁度父の船が神戸の港に入り、いつものように喜び勇んで母と共に迎えに行き、そしてまた父の胸に飛び込んだ  オレは手紙で約束していたセミ捕りを楽しみにしていたのだ  早速 次の日、まだ寝ている父を無理やり起こし、母に二人分の弁当を作ってもらい、網とカゴを持って、父の手を引っ張るように山へ出かけたな・・ 母はいつも家の裏に広がる箕面の山へは、一人では行かせてくれなかったから、道はさっぱり分からなかった。 しかし、父は子供のころからよく遊んでいたようでとても詳しかった。  夏の暑い日ざしが照り付けていた・・ しかし、一歩山に入ると木蔭で涼しかったよな・・」 敏郎は少し酔いが回ると目を閉じ、あの日の思い出は再びゆっくりと思い出していた。

 「父と手をつないで上っていた山道も、そのうちに狭くなってきてオレは父の前を歩くようになる・・ 急斜面では父が後からオレの尻を支えながら押してくれたので楽だったけど・・ あちこちでセミが鳴いていた。 父はあの鳴き声がミンミンと泣いているからミンミンゼミ・・ あっちの声はクマゼミ・・ ヒグラシの声も教えてもらった  オレは父のそばを一歩も離れまいと、手をつないでもらう事が嬉しくて嬉しくてたまらなかった。  いつもいつも友達は日曜日になると、お父さんと連れ立って遊んだり、野球をしたりしている姿が羨ましくて仕方がなかったから、それを一気にまとめて父に甘えたかったのだ  父の大きな手・・ それでオレの手を包むように握ってくれる事が嬉しかった。 そして、時々険しい岩の間を上ったりする時は背負ってくれた、その時の大きな父の背中・・ がっちりしてたくましい腕でオレを背負い、その安心感といったらなかったな・・」

  敏郎は今にもその背中にいるような感覚で思い出していた。 「やがてセミを捕り、カブトムシを捕り、蝶々も捕ってカゴの中はいっぱいになった。 オレは父と採集に夢中になりながらも、学校の話や友達の話などをいっぱいしたし、父はウンウンとうなづきながらみんな聞いてくれていた。 そして父もまた、立ち寄った外国の話をいっぱいしてくれたな・・ 船で世界中を回っているので、その話にはオレの知らない世界がいっぱいあって、興味は尽きず目を輝かしていつまでも聞いていた。  やがて3時間も山の中歩き回ったのでお腹がすいたオレに・・ 父は「もう少しだ・・ がんばれ!」と言いながらひと登りすると、そこは大阪が一望できる尾根だった。(後で勝尾寺南山と教えてもらった)

 家があんなに小さく見える・・ 広い! すごい すごい! と両手を広げて喜んだものだ・・ 父はここをオレに見せたかったんだな・・ と子供心にそう思った。  やっとお昼ご飯だ・・ 父と食べる、母の作ってくれた握り飯は最高に美味しかった。 父は遠くの山々を見渡しながら、嬉しそうにこんな夢をオレに話した。 「父ちゃんの夢はな~ お前が大きくなったら甲子園へ阪神の試合を見に行ってな・・ 帰りに焼き鳥屋で、お前と美味いビールを飲むことなんや・・ そんな時にお前とどんな話をするのか? 今から楽しみやわ・・」

  オレはそんな事がなんで夢なんかな? と思って聞いていたけど、父が嬉しそうに話すので、そんな父の姿を見ていて嬉しかった。 「そして もう一つはな・・ 母さんに、静かな森の近くに二階建てのええ家を建ててやることや・・」  父は遠くを見ながらまた嬉しそうに話していた。 オレはその日家に帰って、楽しかった父との一日を何度となく繰り返し、頭の中で思い出しながら眠りについたもんだ・・」

 「その年の夏休みのオレの自由研究は、父と採集した昆虫を標本にし 山の植物を分類して押し葉にして提出した。 先生に初めての優秀賞をもらい、それはいつまでも誇らしげにオレの机上を飾っていた。 あの日からあっという間に父の休暇が終わり、父はまた船に戻っていった。  一等航海士の父の制服は、改めて眺めると凛としていて格好良かった・・ そしてそれが最期に見た父の姿だった・・」

  敏郎はいつものようにここで涙が止まらなくなるのだった。  空になったグラスに再びビールを注ぐと一気に飲み干した。

 (2)へつづく


夏の約束(2)

2021-07-17 | 第12話(夏の約束)

箕面の森の小さな物語 

<夏の約束>(2)

  ビールグラスを片手に、敏郎は再び父との思い出に浸っていた。

「母の話では・・ あれから何ケ月後にかアフリカ最南端の喜望峰で大嵐にあい、仕事中甲板に出ていた船員が大波にさらわれてしまい、それを操舵室から見た父が、すぐに助けようとて自分も海に飛び込んだけれど・・ 二人とも行方不明となり、幾度となく捜索が行なわれたが見つからなかった・・ とのことだったな・・ 勇気と責任感のある父の行為には誇れるものがあったけれど、オレにはそんな事よりもどんな格好でもいいから、父には生きていて欲しかった。  母とオレは、来る日も来る日も、何日も何日も嘆き悲しんだ・・ 「お父さんは強いんだ・・ きっと生きている・・ きっと!」 それを信じて歯をくいしばって悲しみをこらえた。 しかし、こらえきれずに何度母と一緒に大声をあげて泣いたか分からない。 時がすぎてもオレは机上の父と採集した標本を見るたびに、短い夏休みの一日の思い出を繰り返し、繰り返し思い出しては何度も涙を流したものだ・・」

 

 敏郎はやがて中学、高校と箕面の学校を出て、京都の大学を卒業し、IT関係の仕事についた。 26歳で結婚し、翌年息子 和也が生まれた。 敏郎は自宅マンションに、あの父との思い出の標本を飾り、父親との思い出話しは妻には何度も何度も聞かせていた。 それだけに妻もその話しをいつも大切にしていた。 家族が思い出話しを共有する事で、敏郎はいつも父がそこにいてくれるような・・ いつかひょっこりと帰ってくるかもしれないような・・ そしたらまた一緒に山を歩きたいな・・ とず~とそう思いながら年月が過ぎ去っていった。

  息子 和也が小学生になった時・・ 「おとうさん! これなに?」と、興味深そうに標本を指さして言うので、敏郎は息子にとっておじいちゃんの思い出話しを聞かせた。  ふ~ん と言いながら聞いていたが、敏郎はこんな話を息子にできるようになって嬉しかった。 そしてそれはまさに息子が小学校4年生の夏休みに、敏郎は満を期して思っていた計画を実行することにした。 妻とも何度も話してきたので、敏郎がその実行日を言うと・・ 「いよいよね!」と言いながら、嬉しそうにおにぎり弁当をふたつ作った。 息子和也には、夏休みの課題をあの時と同じ「昆虫採集と押し葉」とし、お父さんが一緒に山へ行って協力してやるから・・ と約束していた。 そして和也も嬉しそうにしてこの日を待っていた。

  今時の子供たちは家でファミコンやゲームなど機械相手の遊びが主流で、敏郎も自分がIT関連業界にいるからか?  逆に休日は無性に野山の自然を求めたくなるので、時々息子と近くの森を歩くようになっていた。 でもあの父との時のように、自分の味わった感動や喜びを息子にも伝えられるだろうか?  そんなことばかり考えていると敏郎はプレッシャーになってきた。 「父とオレは違うし、オレと息子も違うんだ・・ いつもの自然体で行こう・・」 そう思うと少し気が楽になった。

  「さあ出発だ!」 あの日のように、外は30数度の猛暑・・ 敏郎は妻の作ってくれたおにぎり弁当を持ち、息子はあの日の自分のように網とカゴを持って、これから父と過ごす山歩きや昆虫採集に期待をふくらませて嬉しそうにしている。 そんな息子を見ていると、敏郎の頬にいつしか熱いものが流れていた。 それを見た妻が夫の肩を抱きながら ポン ポンと背中を叩いた。「行ってらっしゃい!」と、大きな笑顔で送り出してくれた。 「ありがとう・・」敏郎は心の中でつぶやいた。

 

  敏郎は昔父と歩いたあの道は分からなかったが、それでも地図を片手に記憶をたどりながら、外院の山里から田畑の畦道を通り,やがて小さな池の横から勝尾寺へ抜ける旧参道を上り、ウツギ池へで一休みした後、茶園谷からしらみ地蔵前を経て自然5号路を上り、あちこちと回りながら、やがて勝尾寺南山(407m)の三角点のある眺望のいい所でお昼にした。  敏郎はここまでに息子と二人してセミや昆虫に蝶々を捕り、二つのカゴはいっぱいになっていた。 種類の違う羊歯(しだ)の葉も、持ってきた新聞紙に上手く包んだ。 そしてその間敏郎はいろんな話を息子としていた。

 敏郎は父親がいかに日々の子供の生活が分かっていないか?  実感する羽目になってしまったが、次々と喋る息子を見ながら・・ あの日も父はず~と自分の話を嬉しそうに聞いていてくれた事を思い出していた。  岩場では息子を背負って登った・・ 和也は最初は恥かしそうにしていたが、そのうちしんどい所はせがむようになり、敏郎は甘える息子にかつての自分を見ているようだった。 そしていよいよ敏郎はあの日と同じように、息子に自分の夢を語るときがきた・・ 「お父さんの夢はな~」 

 

  あっという間に年月が経ち、和也が成人式を迎えた20歳の夏の事・・ 敏郎は甲子園球場での<阪神X巨人戦>のチケットを2枚用意した。 それは何年も夢見た日だった。 敏郎は和也に黙ってそっとそのチケットを渡した・・ 「オ-- !」 彼はその意味をすぐに理解すると・・ 「OKやで!」とVサインをしたのだった。

  敏郎はその日、いつになく興奮していた・・ 父が果たせなかった夢を今,息子の自分が自分の息子と果たそうとしていることが・・ 「上手くいくかな・・?」 ワクワクすると共に少し心配,不安もあって落ち着かない・・ ソワソワしている敏郎を、和也はニコニコして楽しんでいる様子だ。  薄暮の甲子園球場、阪神の大応援団が陣取る外野席に敏郎はとうとう息子と並んで座った。 「父はこうしてオレと座りたかったんだな・・ そのオレは自分の息子といま並んで座っているんだな・・ 」 

 何とも不思議な感覚がする・・ あの時、そんな事ぐらいでそれが何が父の夢なのかな? と、思ったものだが・・ 父には父なりの思いがあったのだろうな・・ 敏郎がそんなことをボンヤリ振り返っていると、いつしか大粒の涙が頬を伝っていた。 しょうがない親父だな!」と言う顔をしつつ 和也がニコニコしながらそっとハンカチを渡してくれた。  何度も何度も父親から祖父の話しを聞かされてきて、事情を知ってる和也にしてみたら、やっとその義務を果たせたと言う思いがあるのかもしれない。 横でクスクスと笑っている・・ 「そうさ、お前には分からんよ・・ でもな、ありがとう! ここまでよく育ってきてくれた・・ よくオレと一緒についてきてくれたな! ありがとうよ・・」 敏郎が心の中でそう叫んだ時だった・・

  4番 金本が、逆転の大ホームラン を放った!

 球場は割れんばかりの大歓声! 特に外野席は地響きのするすさまじい勢いだ。 

 バンザイ! バンザイ! バンザイ!

そして、あの<六甲おろし>が5万人を超す大球場に高らかに響き渡った。 声を限りに歌った・・  手を取り合って喜びを爆発させながら・・ 「親父! 天国から見てくれてるやろ・・ これやったんやな! 親父がオレと過ごしたかった甲子園やで・・ 親父の夢がいまかなってるんやで・・ 敏郎は感激と感動の涙でぐちゃぐちゃになりながら天を見上げた。

  帰り道、敏郎は和也と近くの焼き鳥やで乾杯した。 大ジョッキを二人とも一気に飲み干した・・ こんな美味いビールは初めてだった。 楽しい! むちゃくちゃ嬉しい! 美味い! しょっぱい涙が次から次へと焼き鳥にかかり、塩つけしている・・ 「またかいな・・」言いながらも、息子も嬉しそうに笑っている。

 やがて 敏郎は息子にいろんな話の合間に将来の夢を聞いてみた。 「オレ 初めて言うけど、外国航路の大型客船で働きたいんや! おじいちゃんの制服姿に子供の頃から憧れとったんや・・」 なんということ! これも隔世遺伝とでも言うのだろうか?  敏郎は自分と違う息子の夢にあの父の夢をみた。

 

  次の日、敏郎は箕面の森の麓に新築中の我が家を、妻と共に見に出かけた。 あと一ヶ月ほどで完成するのだ。  敏郎は同居する80歳になった母の部屋に、父とのあの思い出の標本を飾る事にしている。 そして母の部屋の窓は、あの父と登った外院の森に向けてつけておいた。

 「親父! もういつ帰ってきてもいいぞ・・」

 箕面の森に真っ赤な夕陽が眩しく輝いていた。

 (完)


*転校してきた山少年(1)

2021-07-17 | 第21話(転校してきた山少年)

箕面の森の小さな物語(NO-21)

 *<転校してきた山少年>(1)

 小学校5年生の高野 真一が、東北の山深い栄宝村から大阪北部の箕面市(みのお)に転校してきたのは3月下旬の事だった。

  人口130人ほどの山間にある限界集落ながら、真一の両親生れ育ったこの村で子育てをするつもりだった。 しかし 村から町へ通じる唯一の村道が未曾有の集中豪雨に襲われ、何ヶ所かで崩落し寸断され、分校のある町まで通学ができなくなってしまったのだ。

 両親はいろいろ考えた挙句、やむなく100年以上続いた住み慣れた村落を離れ、都会に移り住む事を決心したのだった。 それは少し前、最後のマタギとして山の中で猟をして生計を立ててきた真一の祖父と祖母が相次いで亡くなり、家族は父の慎吾と母の由紀恵、妹の早苗と4人だけになっていた事も後押しした。

 「大きいな~」「お兄ちゃん すごいね~」 真一と早苗は初めて見る大都会の様相に目をパチクリさせていた。 TVや本で見て知っているつもりでも、いざ実際に初めての新幹線に乗り、車窓からみる高層ビル群や初めて見る海もビックリの連続だった。

 「速いな~」「海ってすごく広いね・・・」 二人にとってそれは今までの山奥の世界とは全く違う、別の星に来たかのような感覚だった。

  箕面(みのお)には真一の父 真吾の古い友人 山崎英次がいた。 それは30年ほど前、東京に住んでいた英次が 山村留学制度 なるものを利用して栄宝村を訪れ、同学年だった真吾と友達になり、その50日間 野山を一緒に過ごした事からお互いに生涯の友となった。 それ以来、各々が結婚し、英次が大阪に転居した後も何かと交流は続いていた。 そしてあの時の感動が忘れられず、英次は何回か妻と娘・麻里の3人で栄宝村を訪れていたので、子供達とも各々交流があった。

 「やあ~ 来た 来た・・・しんちゃん さなえちゃん よく来たね・・」 新大阪駅まで迎えに来た山崎一家が、懐かしむように高野一家を歓迎のうちに迎えた。

  英次は箕面山麓の新稲(にいな)に、古いながらも小さな一軒家を借り、受け入れ準備をしていた。 引越し荷物は・・ と言ってもごくわずかの量だが、すでに新居に届いていた。 そして真一の祖父が可愛がっていたマタギ犬のゴンは、明日の別便で着く事になっている。 みんなが挨拶を終え、新大阪駅の駐車場に出てきた時だった。

ゴー 突然、大きな物体が頭上をものすごい轟音と共に通り過ぎた・・ ワー ワー ワー 真一と早苗はその頭上の物体に頭を抱えて叫んだ。 大阪国際空港へ着陸態勢に入った大型ジェット機が通り過ぎ、下から見上げるとかなり大きく見えるから、初めて見る二人には、その巨大な空を飛ぶ動くものにビックリ仰天するのも無理は無い。 麻里はそんな二人の姿をみて大笑いしながら説明している。

 「~だから大丈夫だよ・・ しんちゃんもさなえちゃんも・・ あれは飛行機よ 可笑しいわね ハハハハ・・」と言われても、初めて身近に見る飛行機に二人はまだ怖い引きつった顔をしていた。 そしてそれは麻里が初めて栄宝村へ行ったとき、出会った昆虫や虫類に悲鳴を上げたときの裏返しだった。 新御堂筋から箕面へ向かう20分ほどの間、真一と早苗は車窓から左右キョロキョロしながら好奇心いっぱいに外を眺め続けた。

  4月の初め、真一は新6年生となり、新しいクラスのみんなに紹介された。 麻里は隣のクラスだった。 真一は生れ育った山の生活と全てが余りにも違いすぎ、戸惑いを隠せなかった。 特にケイタイやゲーム機などは初めて見たので、クラスのみんなからは早速、別世界から来た宇宙人かのごとく笑われバカにされてしまった。 それは超アナログ社会から、一気に最先端のデジタル社会に放りだされたので大きなストレスとなった。

  やがて両親が案じていた事が現実になった。 あれだけ村では元気に野山を駆け回っていたのに、真一が大阪に来て塞ぎがちになり、時々涙を拭いている姿を妹が母親に伝えていた。 それは特にクラスの4人ほどのグループから、その方言のある話し方をからかわれ、ケイタイもゲームもプリクラも知らない事をバカにされ、それはやがて毎日罵倒され、こずかれ、持ち物を隠され無視されたり、執拗なイジメへと続いていった。 真一にとってそれは初めて体験する嫌な出来事ばかりだった。 心配顔の母には何も話さなかったが、自分なりに意地とプライドもあった。 やがて村にいた頃の明るさと元気で活発な少年からすっかり変わり、覇気のない子供になっていった。

 真一の父 真吾は、昔馴染の英次の経営するビル清掃会社に入社した。仕事は夜から始まり、朝方までにビル一棟丸ごと清掃することが多く、昼夜逆転の生活だったから、真一が学校で嫌な事があっても帰宅する頃にまだ寝ている父親には何も話せなかった。 母親も近くのスーパーでパートで働き始めていたので、母は帰宅するとバタバタと夕食の支度や、夕方出勤する父の準備、妹の世話など慌しくしているので、真一が何かを訴える雰囲気ではなかった。 家族全員が毎日新しい生活に慣れるために必死に生きていた。

  真一はとうとう一学期を終えるまで、一人の友達もできなかった。 それまでイジメとは無縁の村の生活だったから戸惑っていた。 それでも泣きたい気持ちを必死で堪えながら耐えていた。 時々隣のクラスの麻里が、イジメられている真一をみつけ、イジメっ子らに大声を挙げてくれたが、それ自体 真一にとって恥ずかしいことだった。 

 イジメグループのボス 勇夫は、かねてより麻里に好意を寄せていたが、全く相手にされていなかった。 ところが今年のバレンタインデーに麻里から小さなチョコを一つ貰い 「ワー やった  やった!」と一人はしゃいでいたが、それは料理好きの麻里が自宅で作りすぎ、その余りをみんなに配ったうちの一つだったのだが・・ そしてホワイトデーに勇人は一人緊張した面持ちで、場違いのケーキを麻里に送って一人悦に浸っていたのだった。 「それなのに なんで真一ばっかりかばうんだよ・・」と不満だったが、文句を言って嫌われるといけないので、しばしイジメの手を緩めていたものの長続きはしなかった。

  そして待ちに待った夏休みに入った。 クラスのみんなの話では、夏休みには真一の全く知らないハワイとかグアムや上海とか海外へ行くのだという人や、ホテルのプールや海の別荘とかで泳ぐという人やいろんな予定の話が聞こえてくる。 しかし 真一の両親は子供達をどこかへ連れて行くことなど考えも及ばなかった。

  真一にとって、都会で過ごす初めての夏休みは、ただ学校へ行ってクラスのみんなと顔を合わせなくていいことに喜びを感じていた。 そしていつしか・・ 「あの栄宝の村へ帰りたい・・ 祖父と歩いた山や森の中で過ごしたい・・ でも帰れない・・」そのジレンマに悩んだ。

  夏休みに入って間もなくの事・・ 真一の住む町の自治会と子供会が、1泊2日のキャンプを予定していた。 それは地域の子供らを中心に、大人も一緒になって家の裏山にある箕面市立教学の森 青少年野外活動センター」のキャンプ場で、毎年催されている行事だった。 真一も麻里から誘われていたが、憂鬱でたまらなかった。 それはあのイジメの親玉 勇夫とその仲間みんなが同じ子供会で参加するからだった。

 そしてその日がやってきた。 当日の朝、真一はお腹をこわし、それを口実に参加しない事を母親に訴えていた。 しかし、麻里が元気に迎えにきて再三誘われたので、渋々仕方なくリュックを肩にし、重い足取りででかけた。

 「2日間のガマンだ・・」

(2)へ続く


転校してきた山少年(2)

2021-07-17 | 第21話(転校してきた山少年)

箕面の森の小さな物語

<転校してきた山少年>(2)

 子供会や自治会の面々は、それぞれ歩いて20-30分ほどで箕面市立教学の森 青少年野外活動センター」の施設に着いた。 

 真一は森の中に入り、少し元気を取り戻したかに見えた。 しかし、オリエンテーションでいろんな説明を受けていても上の空だった。 それは5班に分けられた1班(6人)に、よりによって勇夫とその仲間も入っていたからだった。 「もう逃げて帰りたい・・ 2日間も一緒だなんて無理だ・・」

  やがて昼食のカレー作りが始まった。 森の中のオープンキッチンなので虫もいっぱい飛んでくる。 そのたびに虫に弱い女の子たちは悲鳴をあげたりしている。 男子は女子に指示されたりして、慣れないジャガイモやニンジンの皮むきなどを手伝っている。  真一はいつ勇人らのイジメが始まるのかと、憂鬱な気分で一人離れ、森を飛び交う野鳥を眺めていた。「オレは鳥になってどこか飛んで行きたい・・」 その時だった・・ 

 キャー キャー キャー

 女子が叫び声をあげると、男子も声があがりざわついた。 「何があったんだろう?」 真一が急いで皆が遠巻きにしている小屋の前に行くと・・ みんなが顔を引きつらせて指を指している・・ 「あそこにいる・・ 勇夫君 男でしょ! 早く何とかしてよ!」 「オレは・・ アカンね オレは・・」

  真一がふっと見ると、食料を置いてある松の木の上にアオダイショウが一匹いたのだ・・ 真一は「な~んだ・・」と言うと前に出てそのアオダイショウの首元をひょいとつかむと、少し先の草むらの中へ逃がしてやった。  全員がその真一の行為に恐怖も忘れ、ポカンとした顔をして見つめていた。

  それから皆が真一を見るめが一変した。 おとなしい田舎者ぐらいだったのが、尊敬の眼差しや呆れ顔や、やっぱり田舎モンやとか、野蛮人やとか好き勝手に言い出したが、すくなくとも女子達からは頼りになる男子に変わった。 勇夫は負惜しみに・・ 「あいつは野蛮人やから今日からヤバンって呼ぶぞ!」と言い出し、いつしか真一にヤバンというあだ名がついた。

  昼食後はみんなで森の中に入り、自然観察指導員と共に森の樹木や昆虫、植物、野鳥などの観察をした。 その後は三々五々思い思いに森の散策を楽しんだが、真一が樹木の名前や食べられる木の実のことや、昆虫を捕らえて名前や特徴を言ったり、野鳥の名とその鳴き声をしたりするので女子たちの間ですっかりと人気者になってしまった。 真一は生まれ育った山の地形とは全く違うものの、森の匂いに半年前まで走り回っていた故郷の野山を思い出し、少し元気を取り戻していた。 しかし勇夫とその仲間達には嫉妬心もあってか、すっかり野蛮人扱いされ疎まれてしまった。

  夕食後のキャンプファイアーにはみんなで盛り上がった。 その裏で勇夫とイジメ仲間はすっかり真一に女子の人気を取られてしまい腹が立って仕方なかった。 そこで夜にトコトン生意気なヤバンをやっつける作戦を立てていた。 それは皆が寝てから森に連れ出し、思いっきり暗闇で殴り蹴ってやろうとの計画だった。

  行事が終わり、各々が班ごとにロッジに入ったときだった。 2班のいるロッジの女子6人から悲鳴が上がった・・ キャー キャー キャー

  隣で悪巧みをしていた1班の男子がロッジから飛び出して 「なんや なんや・・」と、隣のロッジに駆け込んだ。 麻里は入ってきた勇夫の腕をつかんで・・

「勇ちゃん 早く 早く何とかして・・ 気持ち悪いよ! 怖いよ! 早くして!」

  しかし勇人も仲間の4人も後づさりして、誰も何もできずまま固まっている。 しばらくして外のトイレから戻った真一は、キャー キャー と言って騒いでいる女子のロッジを覗いた・・

 「あっ 真ちゃんだ! お願い! 早く何とかして・・ 早く!」 見ればベットの脇に5-6匹のヤモリがいた。 「な~んだ! 可愛いのに・・」 ヤモリは村では毎度の光景だし、むしろ家の守り神で家守・ヤモリと言うのでいい印象なのだが・・ 真一は一つをつまむと、近くにいた勇夫に ほれっ! と投げてやると、次いでつまんだヤモリを男子に次々 ほいっ  ほいっ! と投げ渡した。 急にヤモリをほり投げられた勇夫は大の虫嫌いときているので腰を抜かさんばかりにビックリ仰天し、部屋の中を逃げ回った。 真一はしばらくそれを遊びとして悪ガキ相手に笑いながらしていたが、あんまり怖がるので再び一匹ずつ手にとると、外の森の中へ逃がしてやった。 「まったくひ弱な都会人だな・・」 真一はここへ来て初めて彼らを皮肉った。

 森の中では逆に何をされるか分からない恐怖から、勇夫とそのイジメ仲間の計画はあっさり頓挫してしまった。

  翌日の昼前、キャンプは解散となり各々が教学の森を下った。 母親は真一が久しぶりに生き生きとし、田舎にいるときのような顔をしていたのでホッとした。 そして・・ 「お父さんと相談したけど、これからゴンを連れて箕面の山を歩いてもいいよ・・」と真一に伝えた。 ゴンは今までは一日一回、真一が家の近くを散歩させていただけだが、「ゴンも山の中がいいみたいだからね・・」と母親が言う。

  翌日から真一はゴンを連れ、夏休みの間中一緒に箕面の山々歩き回った。 朝早くから宿題を済ますと、母親に作ってもらった弁当と、祖父に貰った山の道具をリュックに入れゴンと共に山へでかけた。 ゴンも大きく尾を振り、待ちきれない様子で喜んだ。 それまで老犬で一日中寝ていたが、それが生き返ったかのように元気に歩き出した。 そして夏休みの40日ほどの毎日、真一とゴンは箕面の山々を歩き尽し、更に獣道にまで分け入ったりしていた。

 それは祖父や曽祖父の代から伝統的狩猟文化を継承し村で代々受け継がれてきたマタギの血筋を引き継いでいるかのごとく、山や森の中で人一倍よく勘が働いた。 それは短い期間だったが、真一は狩猟のない時期に祖父に連れられ山の中で実践的に学んだ事が大きかった。 雪深い山の中で熊やカモシカを追いかけていたマタギ犬ゴンも老いたりとはいえ、久しぶりに肌で感じる喜びだった。 ゴンは幼い頃からゴン太でヤンチャクレだったので、祖父がゴンと名づけた。 そして8月の夏休み最後の土曜日に事件は起きた。

  勇夫とその遊び仲間の4人は、あのキャンプ場での後 各々が家族と旅行で海やプールなどで夏休みを過ごし、やっと皆が揃ったところだった。  同級生の麻里に思いを寄せる勇夫は、麻里とその女友達2人を誘い計7人が箕面駅前で待ち合わせをしていた。 勇人はあの日以来、真一によってボスの座もプライドもキズ付けられていたので、何とか麻里とみんなに自分にも勇気のあること、いい格好を示しておきたかったのだ。 しかし、今日までそのいいアイデアは浮かばなかった。

  7人はワイワイ騒ぎながら箕面大瀧まで歩き、その帰り道 唐人戻岩過ぎた所の 石子詰口で立ち止まった。 ふっと道の上を見ると <この先、三国峠は・・ 猿を自然に戻すため・・ 通行止めに・・>との看板があった。 勇人は何かきっかけが無いかとキョロキョロしていたが、やっとこれならオレの勇気も少しは示せるかな? と皆を誘い 「ちょっとこの上に登ってみようや・・」と山道を登り始めた。 勇人にとって瀧道などで野生の猿は見慣れているし、そんなに怖い動物でもなかったからだ。 それにいつも大声を出せば猿はすぐに逃げて行ったからだ。

  少し荒れた道で足場が悪いものの、7人はワイワイと登っていった。 途中 山腹から東の方に遠望できる瀧見場所があり、上方から箕面大瀧流れ落ちる雄姿に歓声をあげた。 やがて箕面山頂で一騒ぎした後、もう少し上まで・・ と三国岳まで登った。 しかし、勇夫にとって肝心の野生猿が一匹も見当たらない・・ 格好いいところを麻里たちに見せようにも、これじゃ見せ場もないし・・

  しばらくして勇夫は少し横道へそれた。 そこには細い獣道がついていたが、勇夫はいかにも知っているかのような顔をして分け入った。「勇夫君 大丈夫? 私怖いわ・・ もう帰りましょ!」 麻里が勇人の腕をひっぱった・・ 勇夫は麻里に腕を引っ張られて益々得意げに先に進んだ。 「大丈夫だよ オレに任せておけよ・・」倒木が多く、歩きにくい所を勇夫が親切に女の子達の手をとり、それが嬉しくてどんどんと分け入った。 細い獣道の先に山の池が見えてきた・・「こんな所に大きな池があるわね・・」「なんや 行き止まりかよ 猿なんかもおれへんな・・」

 その時だった・・ 勇人が何かをふんづけた・・ と下をみたら動いた・・ 「ワー ワー ヘビや! ワー ワー」 勇夫は飛び上がらんばかりに驚き、悲鳴を上げて真っ先に逃げる・・ それを6人が同じようにして走った。 すると少し先でまた勇夫の悲鳴が上がった・・ 見れば今度は大きな蜘蛛の巣に頭から突っ込んだようで ワー ワー ワーと大パニックになっている・・ 追いついた麻里が思い切ってその蜘蛛の巣を取ってやっているとき、勇夫の目の前に大きな蜘蛛がスルスルと下りてきたので、再びパニックになって走り出した。 そしてまもなくズブズブの池沼に入り、足をとられて勇夫はバターンと泥沼の中に頭から前倒しになり、これでパニックもピークに達した。 何とか6人で勇人の体を起こし引き上げたが、体はガタガタと恐怖で震え、ボスの姿は見る影もなく失われ、面目丸つぶれになってしまった。

  その頼りないボスやオロオロする男子を尻目に、素早く行動を起こしたのはかつて栄豊村で2回ほど過ごした事のある麻里だった。 恐怖とパニックの6人を落ち着かせ、少し高い所に移動すると大きな木の根元で一塊になって座った。 「こんな時、真ちゃんがいてくれたら心強いのにな・・・」 麻里の独り言にみんながうなずいた。

  夏とはいえ、山の夕暮れは早い・・ いつしか太陽は西の空へ沈み、急に森の中は薄暗くなってきた。 怖さであちこちと走り回っていたので、ここがどこなのか全く分からない。 ケイタイは山の中で<圏外>で全員がつながらなかった。 やがてとっぷりと日が暮れ、足元さえ全く見えない漆黒の闇に包まれていった。 7人は真っ暗闇の深い森の中に取り残されてしまった。

  交互にケイタイのライトで足元を照らしながら、各々を確認し合っていた。 麻里は 「ここで動き回っても危ないだけ・・ 迷子になったら、そこでじっと待つこと・・と 父さんからいつも言われてきたし・・」 と皆に言った。 「でもここにいるなんて怖い! 男子何とかしてよ!」と別の女子が勇人らをつっつくが、4人の男子はすっかり怯え小さくなっていた。 突然 一人の女子が叫んだ・・・「助けて~ 誰か~ 助けて~」 それで全員が一緒になってあらん限りの声を張り上げて叫んだ・・ しかし こだまもなくただシ~ン と森の中は静まり返るだけだった。

(3)へ続く


転校してきた山少年(3)

2021-07-17 | 第21話(転校してきた山少年)

箕面の森の小さな物語 

<転校してきた山少年>(3)

 その頃、麻里の母親は娘の帰りが遅いし、ケイタイがづっと<圏外>なので心配になり、麻里の友人宅らに次々と電話をしていた。 「ウチの娘も・・」 「ウチも心配していたところで・・」と次々と同じように帰宅せず、ケイタイが繋がらない事が分かった。 「みんな揃って連絡がつかないってことは・・? 何があったのかしら?」 このケイタイが当たり前の時代に、いざ突然に繋がらないとなると余計に心配が増幅し不安がつのる。

 8時をまわり、異常を感じた親達は自治会に連絡し、警察にも連絡した。 子供会の仲間から7人は箕面大瀧へ行くような事を言っていた・・ と聞き、早速 警察、消防団、自治会、父兄などを中心に捜索隊が組まれたのは夜の10時を過ぎた頃だった。

  皆は瀧道から派生する山道を次々と手分けして回り始めたが、少し森のに入ると真っ暗闇で、限られたライトでは到底前へ進む事はできなかった。 各々がハンドマイクをもち、名前を連呼して進むが全く手がかりがなかった。 「おかしいな? 7人ともどこ行ったんだろうか? どこか尾根道から谷へでも滑落したのか・・?」 とか、最悪の事態が脳裏をかすめる。

 勇夫の父親の消防団長は 少し前、白島(はくのしま)で老婆が山菜取りに山へ入り、道に迷ったらしく翌朝 とんでもない所で亡くなっていたことや、谷山の東谷で岩場から滑落して亡くなった女性ハイカーのことや、ウツギ谷では今から帰る・・ との電話の後で行方不明になり、夜明けに滑落し亡くなっている所を発見されたり・・ 近年、何件かの悪い報せに接していたので余計に人一倍の心配がつのっていた。

  その頃 真一は、休日だった父親から 「この夏休みどこへも連れていってやれなかったので・・」と、家族4人で梅田からナンバへと出かけていた。 真一は初めてみる大都市の高層ビル群や街の明かりにビックリしていた。 それに人の多さや店の数、その賑やかさにワクワクしていた。 大阪名物のたこ焼きやお好み焼きなど、本場の味を初めて食べ感激していた。 家族が初めての大都市大阪を満喫して帰宅したのは、夜の11時を過ぎていた。

 そこへ麻里の父親が飛び込んできた・・ 「麻里がおらんのや・・ 行ったんかわからへんねん・・」 ケイタイを元々持っていない高野一家は、この時初めて麻里らが行方不明になっている事を知った。 真一は横で父親らの会話からいきさつを一部始終聞き終えると、麻里の両親に頼んだ。「麻里ちゃんがいつも着ている服があったら一枚出してもらえませんか」 母親は「どうするの?」と言いながらも、いつも家で着ているカーディガンを真一に渡した。 真一はそれをつかむと急いでゴンの小屋の鍵を開けた。 「ゴン これをしっかりと嗅ぐんだ  麻里ちゃんを探すんだ・・」 父親らが何か言おうとした時・・ もう真一とゴンは走っていた。

  聞いていた箕面大瀧まで走ってきたが、ゴンは何の反応も見せなかった。 「おかしいな? 一体みんなどこへ行ったんだ・・?」 真一はもう一度戻りながら、今度はゆっくりとゴンに麻里の匂いを嗅がせながら歩く・・ 石子詰口でゴンの鼻がピクリと動いた・・ みれば噛んだ後のガムの包みだ。 「そういえば麻里ちゃんはよくガムをかんでるな・・ ここだ!」 真一は駆け上がった・・

  しかし、一歩森の中へ足を踏み入れると真っ暗闇で何も見えない。 わずかに月の光が差し込むものの全く明かりもなく、足元は一寸先も見えなかった。 時折 ミミズクがホー ホー ホーと鳴く以外 シ~ン としている。 真一はゴンの先導でリードを持ち、ゆっくり ゆっくり 一歩 一歩 と山道を登った。

  真一は10歳になった時、今は亡き祖父とともに、狩猟期間外に山奥のマタギ小屋で何日か過ごし、マタギの教えを学んだ事があった。 その時はベテランの祖父がついていたし、マタギ犬のゴンも若く元気だったのだが・・

  その頃、恐怖で立ちすくんでいた7人は、少し開けた森の中の大きな木の下に腰を下ろし、緊張感と疲れで固まっていた。 月明かりに下方の山の池が照らされ、時々池面がゆれる・・ 「何かいる・・?」 池面が輪になって揺れるたびに、月の光が反射して周囲の木々に影が映り、それはまるで幽霊がダンスをしているかのようで、ますます怖さがつのる。 

そんな時・・ ドドドド・・ ドドドド・・

 みんな叫びたい声を両手で押さえ、必死で堪えながら耳を澄ますと・・ 何やら動物達が池に来て、水を飲んでいるようだけど・・? この辺にはイノシシも鹿も、テンやタヌキ、狐もいるし、肉食動物も含め、多くの野生の動物が生息し、夜間に活動しているのだから仕方ない。 動物達が水を飲むたびに、その池面に小さな波が立ち、それが輪状になって広がっていく様子に恐れおののいていた・・ 怖い・・ 7人は深い森の中で、次々とヤブ蚊にさされながら、襲い来る恐怖と必死に戦いながら耐えていた。

  真一はマタギ一族の血と勘、それに生まれ育った山奥で、祖父とゴンで過ごした体験、そしてこの一ヶ月 箕面の山々をくまなく歩き回り、走り回ってきた感覚から一歩 一歩 慎重に登った。 時折り 月明かりが木々の間から道を照らすが、ほとんど真っ暗闇だ。 しかし 真一はこの道も2-3回行き来したことがあるので少しは分かる。 やがて三国岳を過ぎた所でゴンが迷い始めた。

 「ゴン がんばれ!」

 真一は麻里の服を何度も何度もゴンに嗅がせ反応を待った。 しばらくしてゴンは左の獣道に分け入った・・ 倒木が多く、真一は何度も転びながら、やっと前方に月明かりに反射するが見えてきた・・ ゴンはその周辺を何度か歩き回った後、池を迂回するように再び森に入った。 ゴンの匂いを嗅いだイノシシや鹿などの動物が、時々一斉に音を立てて走り去っていく・・

 真一は麻里たちがこの近くにいることを肌で感じていた。 池を迂回し、細い谷川の流れに出た・・ ここは後鬼谷のようだな・・ 岩場も多いし、倒木も多いし、山道も荒れ気味で危ないなきっとこの近くにいるはずだ・・

「麻里ちゃん 麻里ちゃん 麻里ちゃん・・」

  麻里ら7人は、どこからかかすかな声を聞いた・・ 「もしかしたら 真ちゃん? まさか? ヤバンが・・」 「真ちゃん  真ちゃん  ヤバン  ヤバンここや・・」 7人は声の限りに、何度も何度も真っ暗闇の森に向かって、大声で叫び続けた・・ 真一もそのかすかな声を聞いた。

 ゴンが大きく吼えた。 リードを引っ張るゴンに真一も続いた・・ 「いた いた あそこだな・・」

  森の中に差し込んだ月明かりが、7人が固まって叫んでいる場所を浮き上がらせていた。

 「真ちゃんだ 真ちゃん 真ちゃん お~い ヤバン ここや・・ 助かった 真ちゃん ヤバン!」 「麻里ちゃん 怪我はないか みんなも大丈夫か? そうか良かった それにしてもよくまあこんな所へ迷い込んだもんだな・・」 「真ちゃんありがとう ヤバンありがとう ありがとう・・」 みんなが嬉し涙で真一を迎えた。

 昼間でもベテランハイカーがたまたま通らねば、出れないような深い森の中だった。

 真一はすぐにでも山を下りたい7人を制し、この真っ暗闇の中で行動することは危険なので、朝までここで待つことを説明した。 そして不安でいっぱいだった7人と真一は、歌など歌いながら夜明けを待った。 真一の存在は、まさに恐怖と漆黒の闇の中で安心感をそれぞれに与え、大きく輝く光だった。

  やがて薄っすらと東の空が明るくなってきた。 「明るくなったのでさあ出発するぞ・・ ボクの言う通りにゆっくりだよ」 真一は手順を説明し、ゴンを先頭に全員で立て一列に並び、ゆっくりゆっくり足元を一歩一歩と確かめるように慎重に歩を進めた。

  西側に深い谷間があり、下方ではサラサラサラ~ と渓流の音が響いてくる・・ 一歩誤って足を踏み外し滑落したら大変な事になる。 真一は何度も後方前方を確認しながら、怖がる一人ひとりに声をかけながらら後鬼谷を下った。

 やがて後鬼谷前鬼谷とが合流する落合谷に下り、一気に森が開けた。「ここまできたらもう大丈夫だ やっと帰れるぞ!」 8人みんなが歓声をあげた・・ 手をたたく者、涙ぐむ者、全員が安堵の喜びをかみ締めていた。

  両方の谷川が合流する所で、全員が泥だらけの体を洗った。 特に頭から沼に突っ込んだ勇夫は、全身がパリパリになり、乾いた頭や顔の泥を拭いながら、余程怖かったのだろう・・ しゃくり声をあげながら大粒の涙を流していた。 そんな勇夫を、他のみんなが優しく背中をたたいたりして慰めていた。 みんなぐったりしているものの笑顔に満ちていた。

 みんなの心は一つだった・・ 「真ちゃん ありがとう ヤバンありがとう」 勇夫は涙を拭きもせず・・ 「ヤバン 今までゴメンな オレらヤバンに意地悪ばっかしてさ・・ ホンマ ごめんな それにオレのせいでみんな怖い思いさせてしもうて ごめんなさい  それにそんなみんなを助けに来てくれた ヤバン・・ ほんとうにありがとう オレは オレは・・」 そこまで言うと声がつまって泣き崩れた。

  「あれ 真ちゃん どうして私の服を持ってるの?」 「ああこれ 麻里ちゃんが寒いといけないと思ってさ・・・」「格好いい!」 麻里に好意を寄せていた勇夫は真一のその格好良さに一瞬 「また負けた・・」 と思ったものの、もう全く対抗心などさらさらなくなっていた。 それはかつてのイジメっ子全員の気持ちだった。 彼らの中で、いつしかリーダーは頼もしくて格好いい真一へと変わっていた。

 やがて東の空から輝く朝日が差し込み、落合谷を明るく照らした。 その時 瀧道から落合トンネルをくぐり捜索隊が上がってきた。 そして先頭にいた警察官が大声でさけんだ。

「いた いた お~い お~い! あそこにいたぞ お~い みんな無事か? 8人に犬もいるぞ? みんな大丈夫か?」

 もうすぐ二学期が始まる。 山少年にもやっと心の通う友達ができ、新しい希望の光が差し込んできた。 箕面の森に輝く朝陽がのぼった。

(完)


*森で人生の一休み(1)

2021-04-29 | 第18話(森で人生の一休み)

 箕面の森の小さな物語(NO-18)

* <森で人生の一休み>(1)

 「辞令! 浜崎 啓介 4月1日より大阪業務センター 第4業務室勤務を命じる」

 3月下旬のこと、啓介は突然 箕面・船場にある本社の専務室に呼ばれた。 「何かあったのかな?」 当然、仕事上の指示かと思い専務室のドアをノックした。  入室するや否や突然に専務は激しい口調で啓介を罵り始めた。 

 「ちょっと待ってください! 一体何の話ですか?」 啓介の問いにも全く耳をかさず、一方的な叱責がしばらく続いた。  その内容は全くの濡れ衣で自分の担当外のこと、まして責任など論外の話だった。 「何かおかしい?」 考える暇もなく、専務は啓介に有無を言わせずおもむろにあの辞令が読み上げられたのだった。  

「何かの間違いだ? 夢か?」 それは事実上の退職勧奨追い出し部屋行きのことだった。 「まさか? なんでこのオレが? そんなバカなことがあってたまるか」 啓介は心の中で怒り、叫びながら、呆然と専務室をでた。

  啓介の勤務するレストランチャーン グッドスター社は同族会社で、創業者夫婦が会長、副会長、その長男がボンクラ社長、専務の娘婿が実質上の権限を持ち、次男が副社長、長女が常務、以下親族郎党が全ての役員を占めていたが、なぜか3男・三郎だけは冷遇されていて箕面業務センター勤務だった。  しかも いつも3男は役員らから叱責ばかりされて能無し扱いにされていたが、人一倍勉強熱心で謙虚、それに物腰も柔らかく誠実な人柄は、仕入先や社員から最も信頼されている不思議な存在だった。 啓介も15歳で入社した時から、時々声をかけられ気にかけてもらい、どれだけ励まされてきたか分からなかった。 それだけに専務室を呆然としながらでた啓介は、その事をその3男・三郎に相談しようと考えたが・・・やめた。  同族で実力者の専務の辞令をひっくり返す事など、到底不可能な事は分かっていた。

  啓介は47歳になった。  箕面の中学校をでてすぐに、この外食産業の会社に入った。 そしてこの企業内学校にて仕事を覚えながら、通信制の高卒資格を得ていた。 啓介ら企業内学校で育った若い力は、その後の高度成長にのって全国各地の現場責任者や店長として活躍していた。 そしてバブル景気にも支えられ、正社員1500人、店のパート、アルバイトを含めると9000人を越える大きな会社に成長していた。

 啓介の最初の勤務地は東京・六本木の東京研修センターに併設された地域一番店だった。 そこで食材の調達、調理、キッチンからホール、接客サービス、経理から店舗運営に至るまで、みっちり6年間働きながら学んだ。 そして22歳の春、渋谷に出来た新店の副店長となった。

  その頃の事だ・・ ある日、賑やかな女性4人連れのお客様が来店され、啓介が席をご案内したときだった。 「あれ! もしかして・・?」「あっ 貴方は・・」と双方ピンとくるものがあった。

  それは啓介が箕面の中学2年の時のことだった。 運動会で借り物競争があり、それは走ってランダムに紙切れをとり、そこに書かれている内容のものを借りてゴールを目指すというものだった。 「よーい ドン!」で啓介が取った紙には・・ (女性の手を借りてゴールすること・・)「まさか! 今日はオレのおかんは仕事で来てないし・・ どないしょ?」  ウロウロしていた時、目の前で友人らと笑い転げている女の子がいた。 この子なら頼めるかな? と思い、切羽詰って紙切れを見せて頼んだ。 「いいわよ!」と あっさり了解してくれ、手をつないで一緒にゴールした。  結果は2位だったが、それ以上に啓介は初めて女の子と手をつないで走ったことが嬉しくて恥ずかしくて顔を赤らめた。

  あれから箕面のCDショップで偶然出会って立ち話をしたけど、どうやら隣町の中1の子で、あの日 従兄弟の運動会に遊びに来ていたとのことだった。 あれ以来の二人の出会いだった。  彼女は友達らと東京デズニーランドへ遊びに来ての帰りとのこと。 すっかり美しい女性になり、啓介の心を一瞬にして捉えてしまった。 啓介はみんなが食事を終えた後で、その子とメールを交換し、お互いに偶然の再会を喜んだ。 

  それから半年後、二人は遠距離恋愛を実らせスピード結婚したのだ。 啓介22歳、新妻の明美21歳 若い二人の幸せの秋だった。 

 あれからもう25年が経ち、二人は今年銀婚式を迎えていた。 長男は23歳となり、長女22歳、次女も今年で20歳となり、各々が仕事をもち、家を離れ自立したばかりだった。 今年からは夫婦二人暮らし・・ 少し寂しいながらも昔に戻ったような気分で生活を始めたところだった。

  啓介は今まで自分の順調な仕事に誇りを持ち、自分の人生が豊かで幸せに満ちたものであることに満足していた。 それに今 取り組んでいるのは会社の次期主力店舗の業態開発であり、啓介が中心となってその大型企画を進めている最中だ。 「それなのになぜ? 何があったというのだ?」  あのリーマンショックや円高、株安、その他国内外の外的要因もあり、更には食の多様化、時代ニーズの変化、他業種からの参入などで既存の外食産業は厳しい経営に陥っているのは事実だ。  だからこそ我が社も起死回生を図らねば・・ と頑張ってやってきたのに・・ 啓介は半ば夢遊病者のようにフラつきながら家路についた。 しかし、妻には言えなかった。 自分でさえまだ信じられなかったからだが・・

  4月1日 啓介は重い足を引きづりながら、箕面・船場の業務センター第4業務室の戸を開けた。 そこにはすでに10数人の社員がいたが、かつて先輩が言っていたように全員がうつろな目をし、手持ち無沙汰な様子でウロウロとしていた。 「なぜオレがここにいるんだ・・ なぜなんだ・・?」 啓介は怒りと絶望感で呟き続けた。

  結局あれから二ヶ月足らずで啓介は会社を辞めざるを得なかった。 どう頑張ってみたところで、この部署で先を見通すことなど出来なかった。 「すぐに次の職場をみつけるさ~ それから妻に伝えても遅くはないし~」 啓介は自分にそう言い聞かせていた。

  7年前、40歳になった時に、啓介は箕面・彩都の新しい街に3LDKのマンションを買っていた。 初めて手にする自分と家族の城に満足していた。 しかし、まだローンの返済はこれからだ。 あの頃は、定年前には無理なく完済できる予定だったのに・・ 「まあ 何とかなるさ~」 半分は不安ながらも、まだこの時は気楽に考えていた。 

 啓介は退職した次の日から、毎日ハローワークに通った。 求人誌も手当たり次第に見ては履歴書を書き、次々と応募した。 しかし、60余件ほど応募したが、面接にこぎつけたのはうち3件だけ。 それも3件とも数分で「うちでは難しいですね」とか、「ちょっと無理かな」 そして「不採用・・」と言われた。 啓介は焦った・・ 腹も立った。 「このやりきれなさは何なんだろう?」

  それから更に一ヶ月ほど、同じような状態が繰り返された。 すぐに次の職を見つけるさ! との目論見はあえなく挫折し、余りにも厳しい現実の社会に打ちのめされた。 それまでのプライドはズタズタに引き裂かれてしまった。 「しかし・・ 何とかせねば・・」  毎朝、啓介は自分に鞭打ち、妻に見送られながら会社に行くふりをして定時に家を出ていた。

  啓介が倒れたのは、その数日後だった。  いつもの通り二人で朝食後、出かける支度をして玄関に出た所で急に崩れるようにして倒れた。 明美がビックリして「すぐ救急車を・・」と言う言葉を制し 「ちょっと待ってくれ! 大丈夫だ! 少し休んだら出かける・・」と、ひとまずベットで横になった。

 明美は最近夫の状態がおかしいと感じていたが、「ちょっと今忙しいからだ! 大丈夫だから・・」 と言う夫の言葉を信じ、何かあればちゃんと話してくれるだろう・・ とわざと平然と日常生活を過ごしていたのだが・・ 「何か会社であったのかしら・・?」

 昼前、落ち着いたところで明美は嫌がる夫を連れ、近くの内科へ診てもらいに出かけた。  先生は症状、状態を診た後・・「すぐに今から紹介状を書きますから、別の先生に診てもらって下さい」と言われた。 「えっ 一体何なんだろうか  何かおかしいわ?」 明美は少しふらつく啓介を車に乗せると、紹介された箕面市内の心療内科へ向かった。

 診察後、先生から・・ 「・・うつ病ですね  当面この薬を飲んで体を休ませてください  しばらく仕事は休まれて安静にして過ごしてください・・ 何か変化があったらすぐに知らせてください・・」 明美はうつ病という名前は知っていても、いつも他人事だった。 「まさか主人が・・ なぜなんだろう? 何があったの?」 帰宅しすぐに貰った薬を飲んでベットに入った啓介は、それから二日ニ晩眠り続けた。 心配になった明美は、途中何度か起こして水を飲ませたり、トイレに立たせたりしたものの、啓介は昏々と眠り続けた。

  三日目の朝、明美が起きる前に啓介はもう目を覚ましていた。 「ああ~ よお寝たな~ 腹へったわ・・」 啓介は妻の作る朝食を次々と食べながら、それまでの強固な防波堤が一気に崩れるかのように、たまり溜まった事実の山を妻へ話し始めた。  退職した事、ハローワークに通い応募した先から次々と断られた事、プライドも人間性も否定され辛かった事、あがいてもがいて苦しかった事、「もうオレはダメ人間や  社会では受け入れられないクズ人間なんや  もう生きる望みも無くなってしまった・・」 そして、何度かビルの屋上を見上げていたり、電車の踏み切りで佇んでいたりしたこと・・ などを素直に妻に話した。

  黙って全てを聞いていた明美は、涙をポロポロ流しながら静かに立ち上がると、座っている啓介をそっと抱きしめた。

(2) へつづく


森で人生の一休み(2)

2021-04-29 | 第18話(森で人生の一休み)

箕面の森の小さな物語 

 <森で人生の一休み>(2)

  明美は夫を静かに抱きしめながら二人で涙を流した。 「けいちゃん 辛かったのね・・ ごめんね!  私 気がついてあげられなくてね  でももういいのよ  貴方の今までの仕事ぶりは私が一番良く知っているわ  子供たちもみんなしっかりと自立したじゃない・・ 私は幸せよ  みんな貴方のお陰なのよ 本当に感謝しているわ  だから今はゆっくり休んでね  これは神様からのきっと贈り物だわ  きっとうまくいくわよ  私はいつまでも貴方と一緒よ  いいわね  さあ 笑って 笑って!  私ね けいちゃんの笑顔が大好きなのよ  昔、渋谷の店で貴方を見たとき、誰よりも素敵な笑顔で接客していたけいちゃんに一目ぼれしたんだからね・・ それに私ね 実はヘソクリ上手なのよ 貴方に黙ってたけどたっぷりあるの  だから一年や二年収入がなくても私ヘッチャラなのよ・・」 啓介はやっと笑いながら、もっと早く妻へ全てを話すべきだったと思った。

 「そうだわ 次の日曜日 子供たちも呼んで、昔2、3度行った箕面の滝へ一緒に出かけてみない?  森の中を歩くのも気持ちいいんじゃないかしら・・」 明美は人の力より、今 大自然の力が必要だと直感したからだった。  子供たちには電話で父親の失業とうつ病のこと、今の状況を詳しく正直に話し、それもあって・・ と 一緒に箕面の滝行きを誘った。  

 

 日曜日の朝、三人の子供たちはそれぞれ少し心配顔をしながら集まってきた。  しかし、表面はみんな明るくし20数年ぶりに家族5人揃って箕面駅前に向かった。 啓介は全く気が進まなかったが、妻や子供たちに心配かけたことと、今まで仕事ばかりで家族みんなが揃って遊びに行くことなど無かったので渋々ながら腰をあげていた。

  真夏の太陽が照りつける暑い日だが、瀧道から一歩森の木陰に入ると予想外に涼しかった。  賑やかなセミの大合唱に負けじと大声で喋り、カジカ蛙の鳴き声をみんなで真似てみたり、つるしま橋から箕面川に下り、裸足になって川遊びをしたり、緑の森の中で明美が作ったお弁当を広げ、昔話に花を咲かせたりした。  丁度、瀧安寺前広場では「箕面の森の音楽会」が開かれていて、みんなで手拍子をしながら音楽を楽しんだ。 

 夕暮れになると、箕面川渓流に飛び交うホタル を追ったりして一日 家族五人が楽しい一時を過ごした。 「今日 来てよかったね お父さんの笑顔を久しぶりに見たわ」  家族が一つになれたような心地よさをみんなが感じていた。 そして啓介と明美の新しい二人の人生がスタートした。

 

  啓介は家族揃って歩いた瀧道の光景を思い出しながら、少なからず感動を覚えていた。 「箕面の山や森を一人で歩いてみたいな~」 その気持ちを明美に素直に伝えた。 「それはいいわね  私美味しいお弁当を作ってあげるわ  貴方の好きなコーヒーもポットに入れてあげるわ・・」

  数日後、啓介は明美が渡してくれたランチボックスを手に、初めて箕面の山への一人歩きに出かけた。  本当は明美も心配で一緒について行きたかったけど、事前に相談した心療内科の医師からは・・ 「それはいいことですよ 大自然に接する事は大切です うつの改善に効果的との臨床結果もちゃんとでていますから、ぜひどんどん行かせてあげて下さい・・」と言われていた。  それでも心配は尽きなかった 「一人で大丈夫かしら?」

  啓介は明美に箕面・外院の交差点まで車で送ってもらった。  事前に明美は箕面の山をよく歩いている友達から、山の地図とコースを教えてもらっていたので助かった。

  啓介が歩いて外院の山里に入ると、すぐにのどかな田園風景が広がっていた。 なぜか初めての山歩きなのに、今までに無いワクワク感を覚えていた。 もう何十年とこんな穏やかな風景を見たことがなかった・・ と言うより仕事、仕事で心も目も見て見えなかったのだろう。

  水田には青々とした稲が育ち、畑では家庭菜園のご夫婦連れが野菜の手入れをしている・・ ナス、キュウリ、カボチャ、トマト、トウモロコシ・・ いろんな作物が夏の太陽をいっぱいに浴び、元気に育っている。 生き生きとしたその実りに啓介は目を輝かせ、しばし佇みながらそんな懐かしい田園風景を楽しんだ。 「みんな 生きているんだな・・」

  外院の山里から細い山道に入った。 すぐに穏やかな登りが続く・・ 体力がないのか? すぐに息切れる。 しかし、その都度一休みしながら深呼吸して見上げると、今まで見たことのないような深い緑豊かな森が広がっている・・ そこに一筋の木漏れ日が差込み幻想的な光景が生まれ、野鳥が飛び交いさえずっている。  風が吹くと枝が揺れ、葉が舞い、まるで森が自分を歓迎してくれているかのような感動を覚える。  啓介は一歩一歩山道を踏みしめながら、大自然の営みに感動しつつ、なぜか涙が零れ落ちた。

  やがて丸太を組み合わせた素朴なベンチが見えてきたので一休みにした。 汗いっぱいの額をタオルで拭いながら・・ 「この爽快感はなんなんだ?」と、初めて歩く森の風景に感動していた。  水を飲みながら足元を見ると、子供の頃に図鑑で見たような昆虫がノシノシという感じで歩いている。 目の前を黒い大きなアゲハ蝶が飛んでいった・・ 前方の松の枯れ木のてっぺんから姿は見えないが ホーホーケキョ~ と鶯の鳴き声が森に響いた・・ すごい声量に感激する。 横にはピンクの見慣れない花が風に揺れている・・ 「きれいだな~」

  ボンヤリと遠くを眺めていると・・ 何か先で動くものが・・? 「あっ あれはモノレールでは?」  いつも啓介が彩都の駅から千里中央駅まで通勤で乗っていた電車が走っているのが見える・・ 「と 言うことは、この左方が自宅マンションか?」 啓介は自分の位置関係を知り、住む家の窓からいつも見ていた山を今自分が歩いている事に感激していた。

 (彩都は10数年前に街開きした新しい街で、箕面市と茨木市にまたがる743ha、予定人口5万人、大阪大学・箕面キャンパスや粟生間谷住宅地に隣接し、住宅以外に生命科学、医療、製薬などの研究施設と関連企業も進出している国際文化公園都市だ。)

  啓介はゆっくり腰をあげ再び山道を登った。 やがて二ヶ所目の丸太ベンチが見えてきたのでお昼にした。 啓介は妻が朝作ってくれたランチボックスを広げた。 「ピクニックに来たみたいだ・・ ハラ減ったな! おっ 美味そうだ」 好物の卵焼きとサツマイモ、マメなどと可愛いおにぎりが4個入っている。 啓介にとってこんな空気のいい森の中で、しかも自然の感動や感激を味わった後での食事は最高に心癒された。

  しばらくすると食べている頭上で急に鳥がさえずり始めた。 ツーツーピー ツーツーピー 啓介は生まれて初めて身近で聞く野鳥の鳴き声に聞き入った。 「いいもんだな~ そうだ!」 食べていた芋の端切れを手のひらに載せて上に掲げてみた・・ すると何と! 二羽の野鳥がやってきてその一羽が啓介の手に乗りその芋を口にくわえて飛び立った・・ 「あっ 落とした」 それを拾ってまた手のひらに乗せているとまたやってきて親指にとまった・・ 「すごい すごい!」 啓介は親指に野鳥の足のつめを感じながら、その感激にうろたえた。 次は上手く口にくわえ森に飛んでいった・・ その後をもう一羽が飛んでいった。 「あれは恋人かな? 夫婦かな?」 今頃二羽で仲良くあの芋をついばんでいると思うと笑みがこぼれた。 「こんなフレンドリーな野鳥に出会えるなんて・・」 啓介はしばし自然の営みに感動し動けなかった。 (家に帰って子供の図鑑で調べてみたらそれは ヤマガラ だった)

  我に返りランチボックスを片付けていると、下からメッセージカードが出てきた・・ 妻からだ・・ 「けいちゃん 何十年ぶりかで貴方にラヴレターを書きます。 少し恥ずかしいわね。 でも私が貴方をずっと愛していること、子供達も貴方が大好きな事を伝えたかったの・・ 貴方が仕事をしなくとも、何もしなくても、どんな格好でいようとも、貴方がいてくれるだけで、私も子供達も幸せなのよ。 そして家族はみんな希望を持って生活できるの。 貴方は一人じゃないのよ。 3本の矢の話があるじゃない・・ 一本では折れてしまうけど、私たちには5本の矢があるのよ。 絶対に束ねたら折れることはないわ。 だから安心してゆっくりと山歩きを楽しんでね。 そんな貴方を見ているだけで、私は幸せなのよ。 いつまでも愛しているわ・・・ 明美」 啓介の目から涙があふれ止まらなかった。

 その日 帰宅した啓介は、照れながらも妻のラヴレターが嬉しかった事を素直に伝え感謝すると、一日森の中であった出来事を一気に話し続けた。 「けいちゃんの目が生き生きしているわ これなら大丈夫だわ・・・」 明美は心底安堵した。

 

  やがて啓介は息子や娘が買ってくれた山歩き用の靴、ウエアー、ストックにリュック、万歩計などを身に着け、毎日のように箕面の山々へ出かけていった。 明美はその都度、あの心療内科の先生にその日の状況を連絡し、相談していたが、先生は・・ 「~どんどん行かせてあげてください。 自然の力は人間の知識や知恵など人知をはるかに超えた最高の治癒力をもっています。 薬などと違い副作用もなく安心ですからね・・」 と応援してくれた。

  啓介のお気に入りは、箕面の山々から大パノラマの広がる大阪平野を眺めながら、妻の作ってくれたランチボックスを開くことだった。  特に教学の森の<わくわく展望所>やその少し上の<あおぞら展望所>は、その名の通り、木を切り開いただけの何もない所だが、ここからの180度見渡せる眺望はすごかった。  お天気のいい日には、西は神戸、西宮、その先の淡路島、四国の島影も見える。 大阪湾の波間に大型タンカーの姿が見えるし、その先の関空島、その先の和歌山の方までも見えるのだ。 南には林立する大都市・大阪の高層ビル群がみえ、東にかけては奈良の山々、金剛山、生駒山 そして京都の山並みまで一望できる。

  啓介の生まれ育った箕面の家、学校、遊んだところ、勤めた会社、関係した店舗や仕事先、それに妻と出会った中学校の校庭から家族との思い出の場所なども上からみえる・・ すぐ先にみえる大阪国際空港の滑走路から一機の大型旅客機が飛び立っていった。

  ここから下を眺めていると、自分の過ごした人生の大半の場所を見下ろすことができ、走馬灯のようにその一つ一つがよみがえってくる。 天上からみれば、こんな小さな狭い街であくせくしながら悩み、苦しんできたのか~ と最近の自分を省みていた。

  ランチボックスにはいつも妻・明美からの温かいラブレターが入っていて、啓介はそれを涙を流しながら読んだ。  そして、いつしか心の底からじわじわと湧き出る活力を感じていた。 こうして啓介は、箕面の山々を歩きながら妻に励まされ、大自然からの感動や感激を味わい、いろいろと人生のパラダイムの転換を体験し、心身ともに元気を取り戻していった。

  季節はいつしか夏から秋、そして初冬に移っていた。  啓介はこの半年ほどの山歩きですっかり顔つきが変わり、健康的で柔和、穏やかな顔に変わっていた。 話し方も、いつもせわしなかったがゆっくりと、力強い自信のある話し方に変わっていた。 行動もバタバタとした動きから、いつしか静かで落ち着きのある動きへと変わっていた。 あの切迫感、威圧感、焦燥感といったものや、油ギラギラの闘争心も消えていた。

  明美は久しぶりに啓介を連れ、あの心療内科を訪ねた。 「この分なら余り無理をしない程度に、ゆっくりと求職活動を再開されても問題ないでしょう・・ それにしてもすごいですね」 と医師はその短期間での変わりように驚いていた。 啓介は半年ぶりにハローワークを訪れた。

(3)へつづく


森で人生の一休み(3)

2021-04-29 | 第18話(森で人生の一休み)

箕面の森の小さな物語

 <森で人生の一休み>(3)

  半年ぶりにハローワークを訪れた啓介は、それから一ヶ月ほどの間に3社の紹介を受け、面接に望んだ。

  AP社では、200人以上の応募者があり、午前中のペーパーテストで70人に絞られた。 それは英語や数学、理科系の問題から一般常識など幅広く、啓介は習った事も聞いた事もない言葉や問題に戸惑った。 しかし、それでも何とか70番目のどん尻で一次試験をパスした。 

 昼からの試験は論文形式だった。 「自分が今最も熱中している事は何か? その意義と問題点について述べよ」 啓介は迷うことなく、この半年間過ごしてきた箕面の山歩きと、自然から受けた感動や感激、それにより自分の人生観が変わった事、それをこれからの実生活で活かしていくことの意義や問題点について、2時間の制限時間以内に存分に書き綴った。

  3日後、電話で「2次試験にパスしたので、次の役員面接に・・」との通知があった。

  当日、AP社の会議室に座ったのは、二次試験にパスしたという7人だけで啓介は少しビックリした。 居並ぶ面接役員の前で、社長から啓介に言われたのは・・ 「仕事以外のことで、これだけ理路整然と自分の気持ちを素直に書いたのは貴方一人でした とても意欲的で感動的でした 全員の心に響くものがありました」 と、笑いながらのコメントがあった。

  啓介の応募したAP社は、今まで自分の働いてきた会社とは縁のないIT関連だったが、その豊富な資金力を使い経営の多角化を図り、外食産業への進出を考えているからとのことで応募したのだった。

  二次面接は仕事に対する姿勢、専門職の世界観など多岐にわたった。 しかし啓介はあの時の経験が役に立った。 それはグッドスター社に入社して10年目に、アメリカのコーネル大学で開かれた外食産業の研修プログラムに会社から派遣され、半年間デンバーで過ごした事があった。 この大学には日本にないホテル・レストラン学部があり、世界中から若い人たちが研修に訪れていた。 啓介は主に外食産業の新業態開発を勉強し、時間を見つけてはアメリカの急成長店舗を巡り、自分なりの研究もしていた。 だからこそ、本社で今までの国内店舗での経験を携え、新たな使命感をもって、会社の新事業企画に全力をそそいでいたのに・・ それなのに。  でも、もうそんな悔しさも徐々に薄らいでいたが、この面接に活かす事ができた。

  役員面接が終わった翌日、AP社から「採用内定」の連絡があった。 実はこの日、他のB社、C社からも内定通知があり、啓介は妻と共に手を取り合って喜んだ。 そして啓介は妻と相談し、あの社長コメントが嬉しかった事と、何かピンとくるものがあってAP社にお世話になる事を決めた。  ほんの半年前、あの暑い日に汗だくで何十社も訪問し、連日不採用通知を受け取り、もう生きていくのさえ嫌になり、息たえだえになっていたあの日々を思うと、夢のような隔世の感があった。

  啓介はAP社に正式に採用され、本社・新規事業開発部門で外食事業担当となった。 直属の上司は社長だった。 自分より若い社長だが、即断即決型で次々と新企画を軌道に乗せていった。

  そして一年後、ある案件が入ってきた。  会議室でその名前を聞いて啓介は驚きのあまりのけぞった。 かつて自分が30年間働いてきたグッドスター社だった。 社長はM&Aを実施し、買収するかどうかの検討チームに啓介を加えた。

  次の週、AP社の社長と検討チームはグッドスター社を初めて訪問した。 啓介にとって、2年ぶりに訪れる本社ビルは懐かしくもあり、複雑な思いにかられた。 案内された社長応接室に入るのは初めてだった。

  グッドスター社は巨額の債務超過に陥り、もはや銀行からも見放され、外部からの資金導入以外に生き残る道はなかった。 グットスター社全役員12名が居並ぶ中、AP社側4名が対峙した。 名刺交換をしたとき、2年ぶりに会うあの専務は「まさか お前!?」と啓介を睨みつけた。

  交渉が始まった。 先ずグッドスター社を代表し専務から、いかにこの会社が素晴らしい会社かと延々と説明があった後、身勝手極まりない条件を提示してきた。 

 AP社の事前資料にはグッドスター社が傾いた原因の一つに、新規事業の大失敗があった。 当時 啓介が担当していた業態開発部門の後任に、業界では名の知れた他社の大物を破格の高給でスカウトし就けていた。 あの専務が啓介を突然 理不尽な理由をつけて退社に追い込んだ事情がそれで分かった。 しかし、そのスカウトした大物は次々と失敗を繰り返し、巨額の損失を出していた。 そしてそれは専務の仕組んだ新規事業計画が大失敗に終わった結末だった。

  初交渉から日を重ね、4回目のM&A交渉の前だった。 事前に啓介は社長から・・ 「グッドスター社のいろんな問題点を精査し、思い切った経営改善策を作成するように・・ 全責任は私が負うから、それを次の交渉で具体的に示すように・・」との指示を受けた。

  啓介は中学校をでて15歳で入社し、45歳で退職するまで30年間下積みを重ね、裏の裏まで知り尽くした前会社の経営体質、同族人事、システム上の欠陥、仕入体制、店舗サービス、人材の育成など156もの改善策を詳細にまとめ上げた。 

  当日、啓介は居並ぶ12人のグッドスター社経営陣を前に、一つ一つを詳細に説明し、問題点を鋭く指摘し、大胆な改善策を次々と提示した。 それらの事柄全てが的確な指摘であり、全役員がグーの根もでなかった。 そして最後に啓介は強い口調で付け加えた。 役員ではないがあの三郎氏(3男)を残し、「同族役職員の引退、経営陣全員の退陣を求める」とし、経営の抜本的刷新を求めた。

 最後のその言葉を聞いた経営陣全員が青ざめた。「まさか そこまで・・」 特に専務は真っ赤な顔をし、大声で怒りをあらわにした。 喧々諤々の怒り声があがり、その撤回要求があがった。 しばらくしてAP社の社長が静かに立ち上がった。 「ただ今弊社の浜崎啓介が述べ伝えた事を100% 受け入れられない限り、当社は本日を持って貴社とのM&A交渉を打ち切ります」と告げた。 ここで交渉を打ち切られるとグッドスター社の倒産は必至だ。 更に全役員は株主から個人的にも損害賠償請求で告訴される可能性が高い。 そうすれば大きな借金まで個人的に背負わねばならなくなるのだ。

  一週間後、AP社がクッドスター社に示した条件はそのまま100%受諾され、М&Aが正式に成立した。 しかも、当初 AP社が用意していた買収額の三分の一の額で買収が完了したのだった。

  啓介はその後、AP社の外食事業部門の責任者となり、買収したグッドスター社を含め、子会社化した数社の社長を兼務する事になった。 「グッドスター社の実務は副社長に就けたあの三郎氏に任せておけば大丈夫だ、社員や取引先からも絶大に信頼されているからな・・」

 

  日曜日・・ あの教学の森の<あおぞら展望所>には、啓介と明美の姿があった。  二人並んで座り、目の前に広がる大阪平野を眺めていた。  恵子が朝作ったランチボックスを広げると・・ 「これは美味そうだな・・」 啓介は早速好物の玉子焼きとサツマイモを両手につまみ口に運んだ。

 明美は啓介の肩に頭をのせ、遠くにキラキラ輝く大阪湾を眺めながら・・ 「また私 けいちゃんにラヴレター書こうかしら? それとももういらない?」 と笑いながら啓介の顔を見た。

 二人が並ぶ箕面の森の頭上を二羽のヤマガラが仲良く飛んでいった。

(完)


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2021-04-29 | Myブログ!

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2021-04-21 | 第23話(森の埋蔵金)

箕面の森の小さな物語(NO-23)

 <箕面の森の埋蔵金>(1)

 「今からもう何十年前の昔の話しやがな~ 箕面大瀧までの瀧道沿いに、多くの高級料亭や旅館、それに企業の保養所、金持ちの別邸なんかあったらしいわ~ そんでな、ある金持ちのその別邸で不思議な噂話しがあったんや・・ と」

  高橋杜夫は、意味深長な言い回しで、同僚の山口健に話し始めた。 二人は会社の同期で、若い頃から気が合い、時々一緒に飲んでは仕事のグチ話しや憂さ話しをしたりしていた。 金曜日の夜になると、いつもの行きつけの店、箕面の小さな居酒屋の常連になっていた。 しかし今夜は雨のせいか客は二人だけだった。

  杜夫は早くもろれつが回らなくなってきたので、女将に水をいっぱいもらい、自分の頬っぺたをパチンと張ると・・ 「これはとっておきの内緒の秘密の話しやねん・・ 誰にも言うとらん話しやけど、お前だけに教えるんやで・・」 健はそれから一時間、杜夫が一方的に話す秘密と言う話しにだんだんと身を乗り出し引きずられていった。

  「その箕面の別邸というか館にはな 富さんちゅう未亡人が住んでてな  それに昔から仕えてたオトはんちゅう女中はんと二人で住んでたんや  ダンナはんは綾小路何とか言うてな、なんでも皇室に縁のある人とかで財界の大物やったそうな・・ なんでも戦前の満州で大儲けしはってな  今の金にして数十億円ほどの金塊を持ってたやそうな・・ 富はんは京都の舞妓はんやったそうやが、ダンナはんに惚れられて、後家はんとして嫁にきはったんや  そんで箕面の山深い箕面川の辺に、当時でビックリするぐらいの館を建てはったんやと  ところがな 一年もせんうちにそのダンナはんが心臓発作で急逝しはったんやと  気の毒に富はんは、それからずっと女中はんと二人で、その館で暮らしてきはったんやと

そんでな その噂話しちゅうのはな  そのダンナはんが亡くなる前にその館の近くにな その金塊を埋めたちゅう話しやねん・・  しゃあさかいな 何人もの男はんが、その隠し金塊を目当てに富はんを口説きにかかったそうやけど、身持ちが固とうて誰とも再婚もしはれへんかったんやそうな・・

 ところが富はんには甥が一人と、姪が一人おってな・・ そのまま富はんが亡くなって、そんでその財産が見つかったら、その二人が相続する事になるんやがな・・ しかし何せ その肝心の金塊がどこに埋められてるか、誰も分からんのや・・ そんで甥も姪もこまめに富はんの館を訪ねては、その噂話しを探ろうといろいろ世話をしてたんやそうな・・

  姪の涼子ちゅう娘は、顔も器量も性格も悪い我侭娘やったそうやけど、何人もの男はんからプロポーズされてな、そんで特に西谷ちゅう20歳以上年の離れた中年男から猛烈にアタックされてな  涼子もその気になって結婚したんやと そんでそれからはしょっちゅう二人で富はんを訪ねて来ては、何やらいろいろと探ぐっていたそうや・・

  もう一方の甥の孝太郎はな よう勉強ができたようで、末は博士か大臣か と周りから言われてな 富はんを喜ばせたそうや  孝太郎は月に一回来ては、毎回3日ほどいつも泊まってな なにや いつも地下の書庫で一日中探しもんしとるちゅう噂やったんや・・

 そんな頃や・・ 急に富はんが倒れはったんや と・  そんでな 昔からのかかりつけの医者が馬車に乗って急いでやってきたんや と。 姪の西谷夫婦は、その前に女中はんから連絡を受けて、もしこれが最後やったら その前に富はんが知ってるかもしれん 金塊の隠し場所 聞いとかなあかん・・と 急いで駆けつけはったんや  甥の孝太郎も駆けつけたんやが、何やらいつもの地下の書庫でバタバタしてはったそうな・・

 診察した医者は・・ 「いつものこっちゃ ちょっと疲れはったんやな 富さんは昔から丈夫やから後20年は大丈夫や ハハハハハハ」笑っとったそうや   ほんま言うとな この丸尾はんと言う医者はな ダンナはんが急逝しはった時に看取った医者でな  昔から富はんを取り囲む人らを、いつも苦々しく思ってたんで、何の根拠も無いのに「富さんは元気や問題ないで!」と言いはったんやと  そんで姪夫婦はな、少しガッカリした様子で帰っていきはったんやそうな。

 しかし 甥の孝太郎だけはそれから一週間も泊まって、その間地下の書庫にこもったままやったそうな・・ 何でもその書庫にはな ダンナはんの事業のものらしい膨大な資料が残ってて、孝太郎はそこにお宝の山があると睨んで丹念に調べてたようやねん  そんでその重大な目処がもうすぐつくはずやったんやな・・

 実はな もう一人 あの女中のオトはんやがな・・ ダンナはんとの間に、賢治ちゅう男の子を一人もうけてはったんやと  ややこしい話しやな・・  オトはんはな 子供がおらん兄夫婦へ自分の子供預けてな 育ててもろたんやそうや その息子がもう大きなってな 植木職人やってはってな  それがいきさつはよう分からんけど、富はんの館の植木の手入れを任されてな  富はんは知ってか知らずか  ようやってくれるわ・・ と賢治を随分と気に入って、毎月来てもろてたそうや  勿論 母親である女中のオトはんはそんな息子を見ながらも 表面上は知らん顔してたそうやけどな・・」

 「それからどうなったんや・・」 健は杜夫の話しにその続きをせっついた。 杜夫はトイレから戻ってカウンターにつくと、再び続きを話し始めた。 女将も店が暇なので、先ほどから杜夫の話しに身を乗り出して聞いていた。

 

 「そんで7月のある日のことや・・ この月は珍しく箕面にも大型台風が2つ来てな・・ その影響もあってか大雨が3日間も降り続いてて、夜半にはその風雨がさらに強くなったんや。 そんな時、運悪く再び富はんが倒れはってな それが危篤状態や言うて そんでな オトはんは関係する人みんなに連絡しはってな 各々には目的があるさかい とにかく急いでみんな嵐の中を館に集まってきたんや と」

 その意外な展開に女将も健も目をギラギラさせながら聞き入っていた。

(2)へつづく


箕面の森の埋蔵金(2)

2021-04-21 | 第23話(森の埋蔵金)

箕面の森の小さな物語 

<箕面の森の埋蔵金>(2)

 杜夫は二人を前にもったいぶるように話し始めた。

 「台風による豪雨の中、各々が森の中の館に集まってきたそうな  姪の西谷夫婦はすでに<と<というキーワードをつかんでたんやけど、何のことやらさっぱり分からんかったんや そんで何とか富はんからそのヒントを聞きだそうと、耳元で喋り続けてたんや・・

  甥の孝太郎は、もう少しであの膨大な資料から、宝の山が目前に明らかになる期待でな ある一点だけのヒントを富はんに求めて同じように耳元に張り付いてはったんやそうな・・

 女中のオトはんは、今まで何十年もダンナはんの亡き後、息子・賢治へ遺したと思われる遺言書が、家のどこかに隠してあるはず・・ と仕事の合間合間に富はんに隠れて、広い館の隅々まで探してたんや そんでな それが地下室から箕面川にでる一角に 隠し通路が見つかってな  その先にある扉を見つけはったんや そんで 密かにその日も植木職人の息子を仕事にかこつけて呼んではってな その鍵を富はんに何とか聞こうと思てはったんや・・

  そんで医者の丸尾はんは別の目的で富はんを診てはったんや 何でもダンナはんを看取る前、ダンナはんにベットに呼ばれ、かすかに聞こえる声でな 「金・・ 富の背中・・ ホクロ・・ 姫・・ そこ・・」と、言い残して他界してはったんやと。 そんでな 診察のたびに富はんの背中を見ると、少し曲がった背骨の横に2つのホクロがあり、それが金塊の隠し場所を探るヒントやと確信してはったんやな・・

  集まった皆は、富はんのベットの横や前後に陣取ってな 各々の目的の為に、耳元で入れ替わり立ち代りささやきながら探ってたんや・・ と。

 

  館の外は、台風の影響でいつになく激しい風雨で荒れ狂ってたんや  森の樹木は左右に大きく揺れ、時折 その激しい嵐に悲鳴をあげるかのように折れる枝、舞う葉の音が聞こえてくる・・

 杜夫の話しが続く・・ 「その時、外の戸を激しくたたく音がしたんや オトはんが裏玄関に出ると、外はものすごい嵐に山が狂っていた。 訪ねて来た人は箕面警察の若い2人の警察官やったそうな <ここは危ない! 箕面川が氾濫してて早く下の安全な所へ避難してください。 緊急です。 今すぐお願いします・・> そう言い残すと、上流の家の方へ急いで走っていったんや・・と  富はんを囲むみんなは、その話を聞いても誰一人全くお構いなしにただ富はんから何か聞き出そうと必死やったんやな・・

 そんで7月11日の未明のことや・・ ものすごい山崩れの大音響と共に箕面川が暴れだした。 連日の大雨に加え、崩れ落ちた土砂や大岩が、濁流と共にものすごい勢いで山を駆け下った。 突然

ドスン バリバリ バリバリ

 と、大音響と共に、大きな岩がいくつも館にぶつかると同時に、根こそぎ倒れたり折れたりした杉の大木多数が館に突き刺さってきたんや   やがて数分後、次々と襲い掛かる大量の土砂、岩、木々を含む濁流に飲み込まれ、富はんの館は あっという間に粉々に壊れ一気に下流へと流されていったんや・・  富はんを含む7人もろとも、全てが根こそぎ激流のもずくとなり、後には何一つ残らんかったんや・・ と」 店の女将と健は う~ん とうなったままだった。

 

  杜夫の話が続く・・ 「今の箕面大瀧の少し下方にある河鹿荘別館の茶屋<ほととぎす>横手に、<箕面警察長 殉職の碑>があるやろ・・ その石碑に書き刻まれている文 読んだ事やるやろ・・

 <・・昭和26年7月11日 未明に・・ 集中豪雨により、箕面川は未曾有の増水となり、濁流うずを巻いて氾濫し、園内の飲食店、旅館などは押し流され・・ 云々> と今も刻まれているわ  お前 知っとるやろオレはその時の状況やと思てんねんけどな・・ ちょっと違うのは、あの時の館と7人のことは何一つ記録に無いし分からんのやそうや・・?

  そんで問題はこれからやねん・・ あれからもう60年以上も経った今年の夏のこっちゃ  昔 その館があった少し下の方、少し背骨のような所から右へ曲がった付近・・ そこは古場の修験場跡下で、姫岩の近くやな  そのあたりでなぜか砂金がよう採集されるんやそうな・・」 聞いていた健が口を挟んだ。

 「ちょっと待て その古場の<姫岩の< それは箕面川のあのちょっと曲がったとこやな  富はんのホクロの位置やないか?」 聞いてた女将も興奮気味に身を乗り出した。

  杜夫は話し続けた。 「最近のことやけどな  あるハイカーが風呂ケ谷で足を挫きはってな  そのせいでゆっくりゆっくり下りて来たんで、天狗道から姫岩に下りてきた頃にはもう日がとっぷり暮れ、真っ暗闇になってたそうや。 ところがな その姫岩の近くだけが ボー と明るく、何か光り輝くものが見えたんやそうや・・」  健が叫んだ・・

「そこや そこや! 埋蔵金 そこや!」

  杜夫の話を聞いていた女将は、もう発見したかのように・・ 「そりゃすごいわ! ええ話し聞いたわ その場所やったら大体分かるわ・・」 心の中でほくそ笑んだ。 「今日はええ話し聞いたさかい飲み代 タダにしとくわ! ついでにあんたのツケもみんなタダにしとくわ  それにこのレミーマルタンも一本サービスや! 飲んで 飲んで!」

  女将は早速 「明朝にでもスコップとツルハシ持って行かな・・」 と心の中で目論んでいた。

  健は健で はやる気持ちを抑え、こっそり夜明け前にでも一人で確かめに行く算段をたて、一人ほくそ笑んでいた。

  杜夫は杜夫でいつしか自分の妄想話しに酔いしれ、初めて飲む高級酒に存分に酔いしれ、大金持ちになった気分で、雲の上を歩くがごとく家路についた。

  箕面の森を月明かりがこうこうと照らしている。 秋の夜風が、色づき始めた紅葉の木を揺らし、フクロウかミミズクかが 一羽 啼いた・・・ホー ホー ホー アホー ホー ホホホホ ホ ホ・・

 (完)