さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

(12)ディアドコイ戦争とヘレニズム3国

2020-01-31 | ユダヤ人の旅

 

セレウコス1世(BC358~281)

BC4世紀に突然現れ、それまでのオリエント世界を一変させ、忽然と姿を消したアレクサンドロス。その後は戦国乱世の時代となり後継者を巡る争いは、会談、陰謀、裏切り、暗殺、政略結婚、戦争、骨肉の争いを繰り返した。30年から40年続いた争いは後継者(ディアドコイ)戦争という。その結果、大帝国は3つに分裂して混乱の中から新しい国が建国された。すなわちセレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプトである。3国はギリシャ風の文化が移行したのでヘレニズム3国と言われる。

その中でアレクサンドロスの大帝国の大部分広大な領地を支配下に置いたのはセレウコス朝シリアであった。セレウコスは後継者としては本命ではなかったが、次第に頭角を現してきた。アレクサンドロスの部下でペルシャ人との合同結婚式で敵の将軍の娘と結婚していた。合同結婚式で結婚した部下たちの殆どは離婚したが、セレウコスは終生その妻と添い遂げた。その妻の存在がペルシャ人からの信頼を得たと言われる。その息子が2代目のアンティオコス王であるが文化面では活躍したが、父ほどには軍事的才能はなかった。次々と領土内から離反され領地は縮小していった。中でも中央アジアのバクトリア、遊牧民イラン人のパルティアは勢力を拡大し、BC2世紀には次々領土を奪われ、シリアだけになってしまった。

 

プトレマイオス1世(BC367~282)

アレクサンドロス大王の生前小アジア地方の太守だったアンティゴノスは後継者争いの最大勢力となった。しかし、他の後継者たちに反アンティゴノス同盟を結ばれ、BC301年のイプソスの戦いで戦死した。生き残った息子デメトリオスも一旦マケドニアの王位に就くがかつての盟友に国を追われる。セレウコスの領土を狙って小アジアに侵攻するがセレウコスに捕えられ、獄中死する。その息子アンティゴノス2世がマケドニア王国を奪回し、BC276年にアンティゴノス朝マケドニアを建国する。ライバル関係にあったプトレマイオス朝エジプトとの和議も成立し、ギリシャにおける派遣を確立した。しかし、その後勢力を増してきたローマ帝国と3度に渡る戦争の結果、BC146年、ローマに滅ぼされた。

3国の中で最もアレクサンドロスの遺志を継いでヘレニズム文化を発展させたのがプトレマイオス朝エジプトを建国したプトレマイオスである。プトレマイオスの母アルシノエは父と結婚する直前までアレクサンドロスの父フィリッポス2世の愛人であり、既に身ごもっていたという。つまりプトレマイオスはアレクサンドロスの異母兄弟になるという話である。プトレマイオスは少年時代にはアレクサンドロスの学友としてアリストテレスの学園で学んだ。アレクサンドロスの東方遠征に共に従事し、エジプト平定にも重要な任務を果たした。後継者会議ではエジプトの支配権を主張する。マケドニアに搬送中のアレクサンドロスの遺体を奪取して、エジプトに運び込みアレクサンドリアに埋葬した。

 

アレクサンドリア図書館

プトレマイオス朝の2世、3世の時代になるとエジプトは豊かになり、壮大な宮殿、神殿、ギリシャ風学堂、アレクサンドリア図書館を建設し、各地から優れた学者を招聘した。中でも図書館には50万とも70万ともいわれる蔵書を抱え、古典古代の学術発展に影響を残した。アレクサンドロスが構想した一大都市アレクサンドリアは、プトレマイオス朝によって建設され、地中海最大の学芸の中心都市となった。3国中で軍事的にも強国でシリアや地中海周辺にも勢力を伸ばした。プトレマイオス朝の特徴は王家をギリシアの神々に連なるものと神格化し、国民を統治する体制を整えたことである。神として崇拝を受けるために一般人間との接触を避け、結婚は親族、兄弟姉妹の間で行われることが慣例になった。

アケメネス朝ペルシャ帝国時代にエルサレムに復活したユダヤ人たちは自治的集団を維持していたが、相当数のユダヤ人が自発的にエジプトに移住した。ユダヤ人たちの統治は大祭司と長老会議が行っており、王に対する税の徴収も大祭司が行った。アレクサンドリアはギリシャの知識階級が支配していたが、ユダヤ人たちはヘレニズム文化を吸収しギリシャ語も用いて次第に重要視されていった。ギリシャ系知識人に対してユダヤ教の聖典をギリシャ語訳にして作成された。ギリシャ語訳聖書は「七十人訳聖書」と呼ばれ、今日の旧約聖書としてその後のキリスト教成立に重要な影響を与えている。

~~さわやか易の見方~~

「地雷復」の卦。一陽来復である。世界が破壊され、何もなくなってしまったところに新たな建設が始まる。長い冬の後にようやく春が巡ってくる。あせって芽を出そうとすると忽ちくじかれる。じっくりと将来の大計を立てながら、勇気をもって進むことである。

アレクサンドロスの快進撃の後の物語である。アレクサンドロスの人生は32年だった。彼の死後、新たな世界が始まるのが約30年後だった。一世代かかることになる。アレクサンドロスの前と後では世界が違っている。それだけアレクサンドロス一人の存在は大きかったと言える。復活後の3国の中ではプトレマイオス朝エジプトが最も繁栄したという。しかし、王家を神とした体制は考えさせられる。後半は親が子を殺し、兄弟同士で暗殺を繰り返したという。神の家族のすることか。(笑わせるんじゃない。) そうは言っても、それで300年近く王朝を維持したのだから大したものだ。他の2国はもっと早くローマに支配されている。いよいよローマ帝国の出番である。この時代の世界史はたまらなく面白い。

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