さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

(11)アレクサンダー大王の奇跡

2020-01-27 | ユダヤ人の旅

アレクサンドロスとアリストテレス

ユダヤ人たちはバビロン捕囚を体験した後、宗主国アケメネス朝ペルシャ帝国のもとで約200年間を比較的に平穏に過ごすことが出来た。しかし、BC330年、大ペルシャ帝国はマケドニア王の若干26歳の若きアレクサンダー大王(BC356~323)によって滅ぼされ、世界は大転換した。アレクサンドロスの父フィリポス2世はサリッサと呼ばれる長槍を開発し、ギリシャを統一していった。アテネとテーバイの連合軍をカイロネイヤの戦いで破り、コリントス同盟を締結、全ギリシャの覇権を握った。この戦いには18歳のアレクサンドロスが初陣として出征している。父は続いてペルシャへの東征を計画していた矢先に暗殺された。離婚していた元妻(アレクサンドロスの母)が関与したと取りざたされている。

一方でフィリポス2世は「王たるものは学問にも秀でなければならない。」の信念があった。アレクサンドロスが13歳の時、ギリシャ第一の哲学者アリストテレスを家庭教師として招いた。アレクサンドロスは終生師を尊敬した。「両親から生を受けたが、高貴に生きることはアリストテレスから学んだ。」という言葉を残している。共に学んだ学友たちはマケドニアの貴族たちであり、教養を身に着けた彼らはそれぞれ王国を支える将軍になっている。師弟の関係は後の東征中も続き、アレクサンドロスは各地から師の研究用に動物や植物を送り、師は「王道論」「植民論」の著書を送っている。

 

Battle of Issus mosaic - Museo Archeologico Nazionale - Naples 2013-05-16 16-25-06 BW.jpg

イッソスの戦い

20歳の若さで国王を継承したアレクサンドロスは、混乱に乗じて反旗を翻したテーバイを忽ち破壊し、全ギリシャに再び覇を唱えた。幸いに重臣アンティパトロスが有能だったので、本国の守りを任せ、父の遺志を受け継ぎペルシャ東征に出発する。最初に激突したBC334年の「グラニコス川の戦い」は現在のトルコにある。マケドニア軍38000を率いたアレクサンドロスは4万の連合軍と対峙した。敵将はダレイオス三世の娘婿のミトリダテスだったが、自ら騎馬隊の先頭に立ち大将めがけて突進すると長槍で一撃、即死させた。この鮮やかな戦闘によって、敵にも味方にも計り知れない驚きを与える。一気に勢いづいたマケドニア軍はペルシャ軍を蹴散らせながら進軍する。

存亡の危機に直面したペルシャ帝国のダレイオス3世はBC333年、自ら10万の軍隊を率いて「イッソスの戦い」に臨むが完敗だった。アレクサンドロスはダレイオスの母、妻、娘を捕虜にした。ダレイオスは和睦を申し出るが、拒否される。アレクサンドロスは次にエジプトを平定する。ユダヤ人たちの住むカナンの地もこの時からマケドニアの傘下になった。BC331年、捲土重来を図るペルシャ帝国は25万とも30万とも言われる大軍隊を編成、「ガウカメラの戦い」に挑むが又しても完敗する。ダレイオス3世は仲間の裏切りにより殺され、200年間君臨したアケメネス朝ペルシャ帝国は滅亡した。

 

愛馬ブケファロス

ペルシャ帝国を征服したアレクサンドロスは続いてインド遠征を開始した。諸部族を平定しながら進軍して行ったが、部下たちが「もうやめてくれ」と悲鳴を上げ始め、やむなくバビロンに引き返す。稀に見る戦略家のアレクサンドロスは一方で有能な政治家でもあった。捕虜にした女性たちにも礼儀をつくして安心感を与えた。ペルシャ人とマケドニア人の融和を進めるため、自らはペルシャ風の王衣を身にまとい儀礼や統治を導入し、マケドニア人とペルシャ人の1万人規模の合同結婚も行った。しかし、ある日アレクサンドロスは蜂に刺され、10日間高熱を発し、「最強の者が帝国を継承せよ。」と遺言し、BC323年、32歳の若さで世を去った。アレクサンドロスの後継の座を巡って30年~40年、配下の武将らの間で戦争を繰り広げた末、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニアが建国された。

アレクサンドロスの王子時代のことである。国王への貢物として一頭の軍馬が贈られてきた。しかし、この馬は暴れ馬で誰も乗りこなすことが出来なかった。アレクサンドロス少年はこの馬が気に入り額の模様が牛の角のようだったので、ブケファロス(雄牛の頭)と名付け毎日世話をした。いつしかアレクサンドロスだけが乗りこなせる愛馬となった。父のフィリッポス2世は驚きと同時に恐れを抱き、「そなたは自分の王国を作るが良い。」と言ったという。アレクサンドロスの戦場には常にブケファロスが一緒だった。

~~さわやか易の見方~~

「火地晋」の卦。晋は進む。太陽が地上に登り、輝き始める旭日昇天の象である。何をやっても上手くいく。天が味方してくれるからである。自信を持って、堂々と思いのままを歩けば良い。周囲からも認められ、万事は順調である。しかし、「充ちれば欠ける」の法則をやがて思い知ることになる。

アレクサンドロスの活躍は目を見張るばかりである。しかし、アレキサンドロスは何世紀も先を行っていた人物のような気がする。マケドニア人とペルシャ人との融合を自らペルシャ帝国の王女と結婚したり、合同結婚式を挙げたりして進めたが、大方のマケドニア人は反発していたという。自分だけが先を行っても、ついて来る者はいなかった。融合は無理に出来るものではない。時間をかけて自然に行われるものだろう。ただ、アレキサンドロスがペルシャ文化を取り入れようとしたのは、当時ペルシャの方が文化的には進んでいたことが伺える。しかし、戦争だけはギリシャのポリスは競争が激しかったので、進んでいたのだろう。ユダヤ人の民たちは大国の間にいて、どうなることかと見ているしかなかっただろう。今日も小国では同じ立場に立たされている。変わっていないのだと感じてしまう。

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