先日の私のインスタ投稿です。


3年前の昨日。

別府の老舗大衆ホテル、亀の井ホテル滞在中にて。

私の子供の頃のお話しです。

私がまだ両親の元にいた高校生までは、

両親に将来の方向性も決められそうになっていました。

受験でさえも、地元大分、どんなに遠くても九州内しか許さないという両親でした。

当時、高校1年生だった私は、

3者面談で、母が「この子は看護学校に行って、看護士になります」

と、担任教師に話したのに衝撃を受けました。

私は人生で一度でさえ、看護士になりたいと思ったことはないのです!

面談中、ギョッとした私の顔を、やはり驚きを含んだ表情で見返した先生のお顔、しっかりと覚えています。

その時、確信しました。

このままだと、親に全てコントロールされてしまう!!

こええはヤバイ😨と。。。
自分の人生は自分で決める、と。

それからは、当時は洋楽プロデューサーになりたかった私は、

英語をしっかり勉強できる大学、

卒業生に両親が尊敬出来る人がいる大学、

を受験すれば、うるさい事は言わないだろう、と思いました。

そんな時、福岡に住む叔母に相談しました。

彼女は男の子3人をみんなそれぞれの特性みつけてそれぞれ違う方向性へと導いている人だからです。

叔母の長男(従兄弟1番目)は、医者になる、と言って、ラサールから医大へ。

2番目従兄弟は、建築家になる、といって、京大から大手ゼネコンへ。

3番目従兄弟は、車のデザイナーになりたい、といい、

美大から日本の車メーカーへ。

そんな叔母だったら、私にも何かアドバイスくれるかも、と、こっそり電話相談してみました。

叔母のアドバイスは、

聖心女子大でした。

当時の美智子妃殿下(.現上皇様)の出身校であり、

故 緒方貞子さんの母校であります。

両親が女子大しかダメだと言い張るので、その範囲内で反抗しない程度に😝

本音としては直ぐにでも海外留学したかったですが、

頭の硬い両親にお金を出してもらう限りは、

ある程度、親の言い分も受け入れないと。

大学時代は広尾の学寮生活。

大分から出してもらう条件が学寮に暮らすことでした。

1人暮らしなど、とんでもない❗️と、許してもらえませんでした。

でも、結果的に、大学の学寮生活で得た友人達との友情は、宝物となりました。

その後、海外の大学院への留学チャンスもありましたが、

これは両親に反対を受け、金銭面でのサポートも得られませんでした。

弟には大学院までいかせたのに。。。と後でも卑屈になりました😭

やはり九州の人は男尊女卑なのか?と悲しく思ったこともあります。

そんなことなら、さっさと自立しなきゃ、と就職し念願の1人暮らしスタートでした。

結局、夫との結婚式も母校
聖心女子大のお聖堂であげていただきました。

大学時代の恩師である神父様が式とごミサを挙げてくださったのです。

そんな感じで、ダラダラと語ってしまいましたが、

私の子供達の将来については、勉強したいことがあれば、

出来るだけの援助とサポートをしたいと思います。

自分の子供に限らず、サポートが必要な子供達にも、手を差し伸べていきたい。

親の考えを押し付けるのではなく、

未来を担う子供達のお役に立てれば嬉しい、

そう思いつつ子育て励んでいます。

そして最後に、今読書中の桐島洋子さんのご著書から抜粋。

子供達には、世界を見て欲しい!!
そして、経験した事を皆んなで語り合う日が来たらいいな。

以下、桐島洋子さんのご著書から。

「我が家から子どもたちがいなくなったのは、ずいぶん早かったと思います。かれんとノエルは、二十歳で独立した私よりそれぞれ数年ずつ早く、ごく自然にさりげなく親から離れていきました。ローランドも、高校卒業後はニューヨークの大学へ。ちょうど私が五十歳を迎えた年で、みんなでアジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカを巡る大旅行をして、親子で横並びになって世界を見て回った後、私はめでたく母親業を卒業しました。  未練がましさは全くなく、「やった ー、終わった ー」という気分でしたね。その後は月に一度くらい、どちらともなく誘い合わせて食事する程度のつき合いが続いています。各自の世界が広がった分だけ話題も増え、刺激的な会話にいつも時を忘れます。」

—『あなたの思うように生きればいいのよ』桐島 洋子著
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