蜜柑のつぶやき ~演出家の独り言~

NPO法人劇空間夢幻工房の演出家/青木由里の日々の呟き。脚本執筆・役者・ワークショップ講師も兼業する舞台人日記♪

治水 ~柳のような“しなやかさ”で~

2020年07月03日 16時30分20秒 | 日記

長野市の雨、また降りだした・・・

明日にかけて、全国的に大雨が降るらしい。

竜巻や雷の恐れもあるようだ。

何事もなく無事に梅雨前線が通り過ぎてくれますように・・・

 

北斎ホールシアター2020の題材は「福島正則」公

正則公は、豊臣秀吉公に仕え
戦国時代~江戸時代初期に生きた武将で
賤ケ岳の七本槍の一番槍として名を馳せたお殿様。

治水事業や築城技術の手腕もあり
改易で北信濃に左遷されてからも
小布施町の治水を行い田畑を整備して
稲穂が黄金色に光る村を創出した。

この時代に限らず、人類の歴史は
治水の歴史と言っても過言ではない。

現代も洪水災害は世界各地で起きている。

昨年秋、長野県も千曲川の決壊により大災害に見舞われ
コロナで中断した復興事業がようやく再開したところだ。

中国には「水を治める者は天下を治める」という
ことわざがあるそうで。

世界四大文明の一つ黄河文明の歴史は
黄河との戦いの歴史だった。

その黄河の治水事業を行った人が
ことわざどおり王になった伝説がある。

名前は「禹(う)」で大禹とも呼ばれ
4000年ほど前の古代夏王朝(かおうちょう)の初代王。

伝説だと言われてきたが、近年考古学的な発掘によって
実際に存在したことが認められるようになったそうで。

古代中国には、堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹という伝説上の聖人がいた。

堯王は、黄河の氾濫が治まらないため
誰かに治水を命じようと考えていた。

臣下たちは「鯀(こん)より賢い者はいない」と言って鯀を推薦。

は堤防を固定し、高地を削って低地を埋める
「湮」と「障」呼ばれる方法を用いたが
9年経っても成果を上げることができなかった。

 湮(いん):ふさぐ
 障(しょう):さえぎる

堯は鯀に代えて(しゅん)を登用した。

舜は、前任者である鯀のおこなった治水の様子を視察したところ
羽山(うざん)で死んでいる鯀を発見。

人々は、舜が鯀を殺したのではないかと疑った。

舜はその疑いを解くために
鯀の遺児である(う)に鯀の事業を引き継がせた。

禹は放水路を作って排水を行う「導」と「疏」と呼ばれる方法を用いて
黄河の治水に成功したという。

 導(どう):みちびく。水を導いて流す。
 疏(そ):とおる。とおす。ふさがったものを切り開いて通す。

鯀は堤を高く築くことで洪水を抑えようとしたが
結局国力ばかりを消耗する結果に終わった。

禹は、父の失敗を教訓とし
洪水を起こさせる中国の地勢に目を向けた。
全土を13年にわたり調査して
そのデータを基に築くべき堤を築き
流すべき水は流して洪水を鎮圧した。

鯀は9年間も必死に土を運搬し堤をつくり続けたが徒労に終わった。

禹は13年も調査に費やしたが、その後
大自然に柔軟に対応しつつ対処した。

柔軟な知恵と広い視野があれば

 これしか方法はない!

と思い込むことなく、別の良き知恵が閃くんだろうな。

これ、現代に生きる私たちにとっても大切なことだよねー

思い込みが視野を狭くして
悩みや苦しみを倍加させる。

柳のような「しなやかさ」を持ちたいものだ。

 

この禹の伝説は論語にも書かれていて
孔子、孟子、墨子が長たる者の在り方について
言及している。

論語は戦国時代~江戸時代にかけて
武士の間で広く読まれた書物。


信長公も秀吉公も読んだだろうし
きっと正則公も・・・

残念ながら論語を読んだという記述は見つからないが
兄弟のように親しかった加藤清正公は
論語を常に読んでいたという記述があった。

ならば、きっと・・・

こうやって想像を膨らませながら
芝居は出来上がっていくのです♪



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