晴走雨読

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朝倉喬司 『戦争の日々(上・下巻)』  その2 怪傑ハリマオ 

2020-11-24 16:06:30 | Weblog

めっきりと人との交流が減って閉塞感に包まれているコロナ禍生活だが、少しいいなと思うこともある。ひとつは、予定というものが無い生活、家の中でじっくりと本を読んだり、考えごとをしたりほぼ自分のペースで時間を使えることだ。もう一つは、もしコロナが無かったら、この夏は「ニッポン、ニッポン」という国威発揚のカラ騒ぎがあり、その余韻に乗じてアへが今ごろ憲法改悪を発議していた可能性があったのではないかと思うことだ。スカにその力も無いし、彼には誰も期待しなくなっている。

 

『戦争の日々―天皇から娼婦まで、戦時下日本の実況ドキュメントー(上・下巻)』(朝倉喬司著 現代書館 2009年刊) その2 怪傑ハリマオ

長年に渡って知りたいと思っていた疑問がもう一つ解決した。小学生の頃放映されていたテレビドラマ『怪傑ハリマオ』。アンコールワットのような石崫が主な舞台で、日本人青年のハリマオが現地の人たちとともに悪人たちと闘うストーリーだった。ただ、ハリマオ自身にも悪党の雰囲気があり、なぜ彼が現地で何のために誰と闘っているのかが子どもの僕には今ひとつ理解できなかった。

(下巻42Pから要約引用)「1942(昭和17)年4月3日『読売』社会面トップに『翻然起つ祖国の急 義賊“マレーの虎(ハリマオ)” 死の報恩・昭南に薫る』の見出し。マレー作戦から帰還した藤原岩一少佐が語る陣中秘話が掲載されている。」著者は、これが『怪傑ハリマオ』の原型という。

「大東亜戦争の火蓋が切られる直前、某任務を帯びて南泰(タイ)を国境へ急ぐ藤原少佐。藤原(F機関)の『某任務』とは、タイに拠点があったインド独立連盟(IIL)との連携による英軍編入インド兵の寝返り工作(インドへの独立支援)。彼は一人の日本人と出会う。その名は、福岡県筑紫郡日佐川村五十川出身の谷清吉の息子、豊。豊の両親は大正初年ころ北部マレーのコタバルに移住。豊はそこで成長したが、満州事変後にマレーを襲った華僑の排日ボイコットで8歳になる妹を殺され、両親は帰国。マレーに残った豊は『復讐の鬼』となって『悪の道に踏み込み、強大な強盗団を組織しケランタン、バハン両州を荒し廻った。しかし、彼は決して良民を襲わず常に英人と華僑を襲撃し』虎王(ハリマオ)と称された。そして、藤原の指揮下に入り、インド兵の宣撫、反英的マレー人の組織化、鉄道破壊、後方攪乱などの活躍をしたが、マラリアに犯され、シンガポール陥落の翌日、藤原の手を握りながら亡くなった。」とされる。

ハリマオには実在のモデルがいて、アジア・太平洋戦争中の出来事であったことがわかった。そして、彼は、妹を殺した華僑に対して私怨を抱いていて、日本軍が進めていた英国植民地からのインド独立工作に義を感じていたのだ。ではなぜ藤原を信じたのか。当時の日本軍指揮官の中には、軍の戦略上の独立工作命令の枠を超えて、本気でアジアの植民地を欧米列強から独立させるために動いた人もいた。藤原少佐もそのひとりであったのであろう。だからハリマオが藤原のために本気で働いたと想像する。

 

まっかな太陽燃えている 

果てない南の大空に 

とどろきわたる雄叫びは 

正しい者に味方する 

ハリマオ ハリマオ 

僕らのハリマオ

 

 


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