傍目八目的広島にて月曜8時の男

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日常のさまざまな疑問に向かっていこうと‥
臭いものには蓋をする(面倒くさいものは考えない)ってことが大嫌いなんでね。

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受動的な学びと能動的な学びについて考えてみた

一般的には小中高は教育を受けるもの、つまり与えられたものを学ぶ場で受動的。
大学や大学院は学業を修めるもので、専門的に興味がある学部なり研究をする場であるため能動的と言えるだろう。

別に大学や大学院に行かなくても、社会に出るということはこの能動的(能動性)が重要だなとつくづく思う今日この頃。


能動的な学びとは、その物事に対して考えること。
考えるということはその物事を理解した上で成り立ち、そこから疑問を持ち、興味が湧きその物事について調べてみたくなる。


例えば血液占い。
血液型と性格の間には何の根拠もない、非科学的なもの。血液占いや星座占いで、性格や運命を話すことを社会心理学では「しろうと理論」という。
先の受動的学びは、「A型はこういう人ですよ」と聞く。なるほどそうなんだと何の疑問もなく納得するとする。


能動的学びでは、「血液型占いってあるんだ~、A型はこんな人なんだ」と理解し、「ではなぜA型はそういう性格なの?」と疑問を持つ。そもそも「血液型占いをってなに?」と興味が湧く


そこから、血液型占いは日本人だけが信じられていることや、「なるほど、日本で初めて古川って人が1932年に「血液型と気質」という単行本を初めて刊行したんだ。」


「1971年に刊行された「血液型でわかる相性」を初めとする能見正比古の一連の著作が血液型性格判断ブームの火付け役になったんだわ」と調べたりする。


そこから、日本の文化と血液型占いの関係は?そもそも血液型占いを信じる人の性質は?といったように考えるようになる


ここからはかなり端折るけど、そういった能動的な学びは、結果的に包括的な理解になり、ある意味寛容性といったものが大きくなるのではないかと思っている。
あくまでも仮説だけどね。