見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

見逃せない古筆/東西数寄者の審美眼(五島美術館)

2018-12-03 22:44:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
五島美術館 特別展『東西数寄者の審美眼-阪急・小林一三と東急・五島慶太のコレクション』(2018年10月20日~12月9日)

 阪急電鉄の創業者小林一三(逸翁、1873-1957)と、東急グループの基礎を築いた五島慶太(古経楼、1882-1959)が蒐集した美術品約100点を紹介する展覧会。9月に大阪・池田の逸翁美術館でも見てきたのだが、東京・五島美術館にも来てみた。はじめに五島慶太から小林一三宛ての書簡が2点あって、東京人ではやや知名度の低い小林一三という人物を紹介するかたちになっている。

 前半で妍を競うのは、五彩蓮華文呼継茶碗(銘:家光公)(逸翁美術館)と鼠志野茶碗(銘:峯紅葉)(五島美術館)。二人それぞれのコレクションを象徴する逸品として、ポスターのビジュアルにも取り上げられている。大坂でも見たが、五島美術館のほうが展示位置が低いため、自然と茶碗の中を覗き込むかたちになり、違う姿を見ることができて面白かった。前者は、継ぎ目にたっぷり垂らし込まれた金泥が贅沢でいい感じ。「呼継」とは、異なる器を継ぎ合わせる技法だというのを初めて知って驚く。「峯紅葉」は、茶碗の内側にも模様が描かれていることに初めて気づいた。

 壁まわりの展示ケースには、絵画(平安・鎌倉絵画→江戸絵画)、古経、古筆、墨蹟を並べ、中央の低い展示ケースには陶芸を並べていた。絵画は『佐竹本三十六歌仙絵』の藤原高光(逸翁)と清原元輔(五島)に再会。多武峯少将高光はさすがのダンディぶり(前回も同じことを書いた)。下襲の裾の裏側が少し見えている。芦雪の『降雪狗児図』は東京まで来てくれてありがとう!

 古筆は、大阪会場で見られなかった継色紙を見ることができて感激。五島の「めづらしき」は何度か見たことがあるが、逸翁の「あまつかぜ」は、初見かもしれない。私がこの作品に惚れたのは『芸術新潮』2006年2月号「特集・古今和歌集1100年 ひらがなの謎を解く」だと思うので、12年間、恋焦がれてきたのである。もちろん文化遺産オンラインなどのデータベースで画像を見ることはできるのだが、今回、この作品の表具がとてもオシャレであることを知った。継色紙は、2枚の方形の料紙を並べたかたちをしているが、右側のほうが少し茶色が濃い。そしてこれに合わせたように中回しに茶色の市松模様が使われている。上下の一文字も焦げ茶で、たいへん品がよい。

 ヘンな表現だが、石山切が惜しげもなくガンガン並んでいるのもすごかった。逸翁・五島両館の石山切(伊勢集1、伊勢集2)のほか、逸翁美術館所蔵の手鑑『谷水帖』は、石山切(貫之集1、伊勢集3)が開けてあった。私は伝・定頼筆「烏丸切」も好き。墨蹟が五島ものばかりなのは大阪会場と同じ。

 展示室2は、漆芸・染織に加え、逸翁の茶会(昭和22/1947年11月1日)と古経楼の茶会(昭和25/1950年5月1日)が再現されていた。前者には五島慶太が招かれており、後者には小林一三に加え、畠山即翁や松永耳庵が招かれている。最後に二人の年表を眺めて、逸翁は翌日の茶会の準備中に発作で倒れ、急逝したことを知る。宝塚の音楽葬で送られたというのは、創設者だから当然だけど、心温まる話だ。1957年1月に亡くなったあと、同年10月に逸翁美術館が開館。美術館を見ることがなかったのは残念である。五島慶太の場合は、五島美術館の起工式には列席しているが、やはり開館を見ることなく亡くなっている。心残りだったかもしれないが、素晴らしいコレクションを残してくれてありがとう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伝世の名品と出土資料/新・... | トップ | 2018年12月:湯島で歳末フレンチ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

行ったもの(美術館・見仏)」カテゴリの最新記事