見もの・読みもの日記

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データベースは語る/奴隷船の世界史(布留川正博)

2019-10-12 23:17:29 | 読んだもの(書籍)

〇布留川正博『奴隷船の世界史』(岩波新書) 岩波書店 2019.8

 奴隷船を主題として大西洋奴隷貿易をめぐる世界史をたどる。まず驚かされるのは、本書の基礎データとして、奴隷貿易に従事した船舶のデータベースが公開されているということ。その名は「奴隷航海」(Slave Voyage)と言って、400年間(15世紀後半~19世紀半ば)・3万5000件以上のデータ(詳しいものは、船の国籍・トン数・船主・出航地・奴隷積み上げ地・荷揚げ地・積み込まれた奴隷数・荷揚げされた奴隷数など)が公開されている。すごい。これ以前にも、個別のデータ収集は行われていたが、二人の歴史家がロンドンの公文書館で出会ったことから統合データセットのアイディアが生まれたとか、データの不足を補うため、研究者たちが各国の公文書館を掘り起こしたとか、オープンデータって具体的にこういうことか!と非常に興味く読んだ。

 さてそのデータベースに基づき、分かってきたことを整理していく。15世紀末から16世紀半ばまでにスペインは、南北アメリカに広大な植民地を築く。伝染病と植民地支配によって南北アメリカとカリブ海諸島の先住民人口は激減し、労働力の穴埋めのため、アフリカ各地から黒人奴隷が連行された。ただしスペイン人は直接奴隷貿易に参画することなく「アシエント」(請負契約)によって、ポルトガル、オランダ、次いでイギリス、フランス商人が活躍した。イギリスには南海会社が設立された(そうか、東インド会社だけじゃないんだ。さらにアフリカ会社というのもあったのか)。

 次に具体的な奴隷船の構造、船長と水夫の仕事、航海の実態、奴隷商人の人物像などが描かれる。積み荷としての奴隷には、まっすぐ立つこともできない程度の空間しか与えられなかったが、毎日一回は甲板でダンスを踊らせたり、目的地が近づくと肉を食べさせて体重を増やしたりしたというのは、商品管理の知恵として納得できた。

 なお大西洋奴隷貿易と言えば「三角貿易」(欧州→西アメリカへ繊維製品;西アフリカ→カリブ海諸島へ奴隷;カリブ海諸島→欧州へ砂糖)のイメージが強いが、18世紀後半になると、奴隷船は奴隷を売却したあと、バラストを積んで本国に帰った。砂糖などの植民地物産を本国に運ぶシャトル便には、奴隷船よりずっと大きな船舶が使われたという。

 最後に奴隷貿易廃止と奴隷制廃止の長い道のりを紹介する。18世紀のイギリスでは、奴隷の存在に否定的な風潮が醸成されつつあった。この時代に「イングランド法の下に奴隷は存在し得ない」(黒人奴隷はイングランドに入国するや否や自由になる)と主張した人がいるのがすごい。人権と法に対する意識が、今の我が国のずっと先に進んでいる。クウェイカー教徒や人道主義者(女性が多くかかわった)を中心とする奴隷貿易廃止キャンペーンと砂糖不買運動は、いったんは不成功に終わるが、ハイチの奴隷反乱(1791)、フランス革命(1789)を経て、イギリスは奴隷貿易の全面禁止を達成する。ただし、その裏面には黒人奴隷の移送地シエラ・レオネの悲劇もあった。

 その後、イギリスの圧力外交、奴隷たちの抵抗、アボリショニスト(奴隷解放主義者)の努力などによって19世紀半ばには奴隷貿易が終焉し、さらに奴隷制そのものの廃止に至る。しかし、西インドのプランテーションでは、奴隷に近い年季契約労働者が中国・インドから流入した。また、イギリスは奴隷貿易禁止を旗印に、アフリカ諸国を「文明化」するという理屈によって、アフリカの植民地化を正当化した。

 ということで、最後の章段には「奴隷制は終わっていない」という見出しがついている、奴隷制・奴隷貿易というものが、思った以上に深い爪痕をいまの世界に残していることを感じた。


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