野菜ソムリエPro. AndyのBlog

「奈良・吉野」の玄関口を中心に活動する、吉野郡唯一の野菜ソムリエPro.&果物ソムリエのベジフルライフをつづっています。

シモイチの天誅組激戦地と古代史を巡る

2019年12月12日 21時10分19秒 | ハタケのソトからの「学び」
11/28(木)
下市町内の天誅組激戦地と古代史を巡るツアー
が行われ、参加しました。

「天誅組」は、江戸幕府を倒して新しい日本を創るさきがけになろうと、各地から集まった尊皇攘夷派の志士で構成。

幕末には、五條・吉野で「天誅組の変」が起こり、江戸幕府を倒す戦いが繰り広げられました。

下市町も例外ではなくその舞台となり、町の大半を焼き尽くされました。

そのため、地元では「天誅組=悪者」と認識されています。

実際、私が小学生のころに地元の郷土史を学びましたが、
「下市の大半を焼き尽くす。」と書かれているだけ。
悪者という印象しかありませんでした。

しかし、町内に沢山残っている史料や遺跡を紐解いていくと、今だからこそ学ぶべき考え方や功績が沢山隠されています。

実際、天誅組の活動は、明治新政府の設立につながり、お隣の五條市は、明治維新のさきがけの地ともいわれています。

そうした天誅組の歴史を見直す動きが高まり、このほど「しもいち天忠さきがけの会」が立ち上がりました。
そして、今回のイベントが実現されました。

講師として、天誅組の真相を紐解いてくださったのが、
草村 克彦 氏(天忠組記念館館長) 
松田 度 氏(大淀町教育委員会学芸員)
大西 一則氏(下市町文化連盟会長)

まず、下市観光文化センターにある資料を見学




つづいて、秋津城という城跡であった下市八幡神社へ。





町内の景色を眺めながら、天誅組がどうやって下市に来て、どうやって焼き討ちされたかなどのお話をお聞きしました。


そして、下市温泉秋津荘にある「こんた食堂」で昼食を経て、


幕府軍(天誅組の敵になります)が撃った大砲の跡や天誅組のお墓が残っている「永全寺」へ。








これが、幕府軍が撃った大砲が刺さった跡です。

そして、天誅組も眺めたと思われる広橋峠から、紅葉に囲まれた景色を眺めることに。




ところで、”天誅組の雄”に、橋本若狭という人物がいます。
彼は日本最古の水の神様、丹生川上神社下社の“イケメン宮司”だったとのこと。

天誅組を通じて、沢山の発見のあった、1日でした。
しかも食と農関係の知人の参加も。
今回をキッカケに、地元の歴史の理解を深めて行きたいと思います。

いずれは、食とリンクさせて、新しいフードツーリズムも実現させたいですね。

ご一緒させていただいた皆様、
「しもいち天忠さきがけの会」の皆様、
草村様、松田様、大西様、
ありがとうございました。

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