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95歳の大往生 ~父、旅立ちました~

2018年02月08日 | 介護部

2/8 午後10時26分 父が旅立ちました。

2年ほど前から施設に入所しており足腰は衰えたものの他は大変健康かつ気力も十分で
昨年11月に行った血液検査の値は僕より正常なほど(笑)
これはまだまだ長生きしてくれるなと誰もが思っていました。

しかしそんな父も昨年末より「傾眠」の傾向が強まり、正月明けには風邪をこじらせ肺炎を起こし入院。
一時は重篤な状況に陥り主治医からもその旨を宣告され家族も覚悟をしていたものの、
持ち前の体力を見せその後見事に回復を果たし退院へ。
しかし喜んでいたのもつかの間、施設に戻った当日午後に急変が起こり・・・という慌ただしい展開でした。

約10年前に要介護認定を受けてから前半は母が、後半は主に僕が介護を担ってきましたが
最後の看取りに立ち会えたのは僅かながらでも親孝行ができたかなと思っています。
(最期は僕が午後9時55分に父の自発呼吸及び脈がなくなったのを確認し、その後職員さんに連絡→病院へ)



父が49歳の時に僕が生まれました。
年齢的にもいわゆる「恥かきっ子」でありその照れもあってか学校行事などには一切顔は出してくれませんでしたが、
父なりの表現で大変かわいがってくれたことをよく覚えています。
(ただ、父の趣味である「釣り」「狩猟(ハンティング)」の場や、父の職場である建築現場やはたまた酒席など
およそ子供にはあまり適さないであろう場所へ僕が幼少期から連れまわされている図に母はあまりいい顔をしていませんでしたが(笑)
でもそういう場所の記憶って強烈に印象に残ってるんですよね。今となっては貴重な財産です。)

年齢的に軍隊経験もあって厳格で仕事にも厳しく、戦後は鳶の親方から建設会社を興しその後78歳まで現場に立ち、
退職後は更にシルバー人材センターにて84歳まで常に働き続けていた父。
それでいて(上記に記したように)遊ぶときは遊ぶ!とばかり多趣味な人でもありました。
僕も仕事が好きで(時代遅れなワーカホリックなタイプかもしれません)
更にプライベートも充実させるべく励んできたつもりですがまだまだ父の足元にも及んでません。

また現在「人と仕事の関係」を生業とする仕事についているのも、そんな父の後ろ姿から無意識に何かを学んでいたのかもです。


晩年の介護を担わせてもらったおかげで父との「絆」や「思い出」を改めて沢山作ることが出来たのが
振り返れば最後の親孝行にもなったかなと思っています。
しかし介護中にはこちらの都合でいろいろと希望しないことで振り回したり、
介護ストレスからついついひどい言葉を投げつけてしまったこともあったよなあ・・・その時はホントゴメンなあ。
心から謝ります。


生まれてから今まで、本当に本当にお世話になりました。ここまで育ててくれてありがとう。
ずいぶんと長生きした分、どうぞゆっくり休んでな。

合掌



2/14日に告別式を済ませ、ちょうどひと月となる本日になってようやくブログに記す余裕も出来ました。
と思ったら来週にはもう四十九日法要が!そして諸手続きの数々はまだまだ・・・
「人がひとり旅立つ」ってのはこんなにも様々なことが発生するんですね。ふう。。。

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