みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

*生きがいに生きる(1)

2020-11-01 | 第9話(生きがいに生きる)

箕面の森の小さな物語(NO-9)

<生きがいに生きる>(1)

 「・・もう二度と ここへ 来る事はないんだな・・」 嶋 哲也は、色づき始めたモミジの葉が初秋の風に吹かれ、舞い落ちるさまをじっと眺めていた。 「来年 この枝につける新しい葉をもう見ることはできない・・ いままで ありがとう・・」 こらえていた涙がポロポロと流れ落ちた。

  やがて哲也は立ち上がると、この箕面の森の中で共に過ごした小さな山小屋の鍵を閉めた。 その隣にはあの日に植えた梅の木の葉が色づき、一枚一枚と葉を落としている・・「春になったらまたしっかりと花を咲かせ実をつけてくれよ・・ 今まで生きる希望を与えてくれてありがとう」

  哲也は振り返り振り返りながら歩きなれた山道を一歩一歩とかみしめるように山を歩いた。 途中 天上ヶ岳の役行者昇天の地でその像に手を合わせ、今まで守られてきたことに感謝した。 やがて箕面自然歩道(旧修験道)を下りつつ、周囲の景色を心に留めると一つ一つにありがとう ありがとう! とつぶやきながら山を下った。 

 明治の森 箕面国定公園の森の中にある箕面ビジターセンター前には、車を停めた妻の紀子がGPSを見つめながら夫がゆっくりと山を下ってくるのを待っていた。

 

  七年前のこと・・ 哲也は65歳を機に妻の紀子と共に、経営していた小さな会社を後継者に引継ぎ引退した。 その時すでに独立している子供たちから「二人の引退記念に・・」と、プレゼントされたのが<一泊二日の人間ドック券>だった。 それまで病気一つしたこともなく健康そのものだった哲也は「有難いけどそんなものはまだまだ必要ないよ・・」と言ったが、「もうお母さんと二人分予約済みだし、これから二人であちこち旅行したりするとか言ってたから、その前に先ず健康チェックも必要だからね・・」と説得され、二人で渋々出かけたのだった。

  その結果がでた時・・ 紀子は健康そのもので何も問題は無かったが、哲也に問題が発見され、それから何度か再検査が行われた。 そしてある日、哲也は妻と共に病院に呼ばれ、医師から精密なデータに画像などを前に詳しい説明がなされた。 そして最後に医師から伝えられたのは・・ 「ご主人はガンで余命六ヶ月ほどで・・」との余りにもダイレクトな死の宣告だった。

  「まさか!? オレが? ウソでしょ! 冗談でしょ!? こんなに元気だし 今まで病気一つしなかったし、TVドラマじゃあるまし、そんなことがあるわけないよ 何かの間違いだ!」 哲也は声を荒げて一気にまくし立てたものの、医師の冷静沈着な説明と真摯な態度、それに横で妻の流す涙と嗚咽に、哲也はそれが現実の話しなのだと我に返った。

  家にどうやってたどり着いたか分からなかったが、哲也はそれでも「間違いだ 何かの手違いだ そうだそうに決まってるオレの オレの命が後半年だなんて・・・そんなバカなことがあってたまるか!」と心の中で叫び続けた。 しかし 妻の紀子がそれぞれに家庭を持っている遠くに住む子供たちに電話している手が大きく震えているのを、哲也はボーと眺めていた。 

 主因は肺ガンだが、もう各所に転移している・・ とのこと。 若い頃からヘビースモーカーで、家族や医師からはいつも注意されていた。 しかし 仕事上のストレスもあり、つい最近までやめられなかった。 しかし 子供たちがそれぞれ結婚し、やがて孫たちをつれてやってくるようになり、その都度 哲也は甘いジイジぶりを発揮して抱っこし頬づりして喜んでいたものの「ジイジは臭い・・ イヤ!」敬遠されるようになり、あれだけ周りから言われても禁煙できなかったのに、きっぱりとやめたところだった。 「遅かったのか・・」

  それから数日後 哲也はガクン と急激な体調の変化に見舞われた。  初めて体験する吐き気、だるさ、鈍痛、食欲もなくどうしようもない体の辛さ、息苦しさに・・ 「なんだろ? これがそうなのか? やっぱりそうなのか?」

  あの宣告の日から僅か10日余りで哲也の体は別人のように衰え、否応なしに自分の病気を認識せざるを得なくなっていた。哲也は医師の治療方針を他人事のように放心状態で聞いていた。 「このまま死ぬのは嫌だ やりたいことがいっぱいあるんだ 何でオレが・・オレなんだよ!」 リタイアする一年ほど前から、哲也は紀子と共にあれこれ旅の計画を立てたり、あれしたい これしたいと、夢や希望で若者のように満ち溢れていたのに、それは一転絶望へと変わってしまった。 「それまで命がもたない・・」 哲也は恐怖と不安、怒りと焦り、絶望感からパニックになるのを必死でこらえていた。

  やがてそのストレスは身も心も激しく蝕み始め、全く精気を失い、ベットの上でまるで生きる屍のような姿に変わり果てていった。 紀子は急激に変わりゆく夫の姿に、表面では明るく元気に振舞い励ましながらも、裏では為す術もなくただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 

  二人の出会いはもう40年ほど前のこと・・ 哲也の勤務する精密機械メーカーに事務社員として入社してきた紀子に哲也が一目ぼれし、猛烈にアタックして結婚したのだった。 しかし、二人の持って生まれた性分、性格、それに生活環境から趣味、趣向、人生の目標なども全てが180度正反対でよく喧嘩もしてきた。  

 時折り 箕面の山を一緒に歩いても、紀子は遠くの山々や海を眺めて「すごくきれいね・・」と感動しているのに、哲也は足元に咲いた小さなタチツボスミレの花に「きれいだな・・」と感動してたりして、同時に同じところに立っても見る視点、感動する場面が上とした、右と左、白と黒・・ と、全て違うのが常だった。 それだけに一つ屋根の下での生活はトラブルも多かったが、それでもお互いのそれを利点として補完しあう時はすごい力を発揮してきた。

 それは哲也がサラリーマンから独立し、小さな精密加工の会社を創業した頃から存分に発揮され、哲也の夢みたいな発想やアィデア、企画アドバルーンを紀子がしっかり受け止め、その行動力から現実化し、着実に具現化していくという二人のコンビはついに20数年を経て、それなりに業界での地位を築きてきた。 その育て上げてきた会社を後継者にバトンタッチし、二人ともあっさりと引退し、夢見た黄金のリタイア生活に入ったところでの哲也の余命宣告だったのだ。 それに紀子も若い頃から健康の為と始めたヨガもすでにインストラクターの資格を得、教室をもって多くの人に教え始めているところだった。

  朽ちていく森の古木のように生きる望みを失い、日毎見るたびにやつれ、気力を失っていく哲也に紀子は何とか生きがいを見つけてあげたい・・ 一日でも長く一緒にいたい・・ と必死だった。  

 夫は自分と違い,いつも危なっかしい子供のような計画ばかり立て、周りをハラハラさせてきたので、紀子はある時期からそれらを全て封印し、やめなければ離婚します・・ と宣言し、力づくでやめさせてきたし、それによる大喧嘩を何度もしてきた。 その哲也のエネルギーを抑えるのは並大抵の事ではなかったが、紀子もそれ以上のパワーを全開し、家庭や家族を、それに会社を守る為と信じ抑え込んで生活してきた。 でも・・ でも・・ 

 紀子は1日考えた末、ここにきてその抑え込んできた哲也のエネルギーの封印を解き、残された僅かな時間でも希望を持って前向きに生きてもらいたい・・ と心に決めた。 ベットでうつろな目をして天井を見つめている夫に、紀子は朝食を運びながら自分の考えを話し始めた。

 「貴方は今までよく頑張ってきたわね。 私ね 最近友達の悩み事なんかよく聞くんだけど、ご主人の浮気とか女性問題、それにパワハラとかDVとかもね。 それにご主人のギャンブルや借金問題、酒癖の悪さやおかしな趣味で悩んでいる人多いのよ。 でも貴方はそんな心配は一切なくて仕事一筋だったわね。 しかしね 今まで貴方が個人的にやりたいと言う事の全てを私は許してこなかったわね。 不安だったのよ 一度やりだすと突っ走るほうだから、何をしでかすか分からないという恐怖もあったわ。 でも その分 貴方の夢や希望を抑えてきたから不満もたまり、ストレスいっぱいだったようだわね。 ごめんね・・

こんな事になったから言うのも変なんだけど、もう貴方のやりたいこと何をやってもいいのよ  何でもよ・・ 私ね 貴方が仕事していた時のように生き生きと生きがいを持って明るく元気に最後まで生きて欲しいの・・ 一日でも長く一緒にいたいから前を向いて生きて・・」 紀子はそう言うともうそれ以上 涙で話すことができなかった。

  一日が過ぎ、夕食を持っていった紀子は少し驚いた。 あれ程ぐったりしていた哲也が起き上がり、古いノートをめくっている。「それな~に・・」「これはボクの夢ノートさ  学生時代からのね・・」 紀子はそのノートの存在は知っていたが、今までいつも何か夢を書き込んでいる哲也の姿が別人のように見え嫌悪感さえ覚えていた。 「何か これからやりたいことは見つかったの・・?」 その時、紀子は哲也の体に少し精気が戻っているのを感じた。 それは消えかけの暖炉に、小さな種火が ぽ~ と輝き、かすかな灯りが部屋に広がったかのようだった。

(2)へ続く



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