遊爺雑記帳

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令和の日本には、新しい「海洋国家日本の構想」が必要になる

2019-04-24 01:57:26 | 日本を復活させる
 核兵器の出現で軍事力の意義が低下した今の時代。国際政治は、言葉(シンボル)をめぐる争いが重要性を増す。
 平成28年、日本は「自由で開かれたインド・太平洋戦略」という、世界が注目する外交の言葉を生み出している。
 新しく始まる令和の日本には、その言葉を取り込んだ、新しい「海洋国家日本の構想」が必要になると説くのは、坂元一哉大阪大学教授。

 
【正論】新しい海洋国家日本の建設を 大阪大学教授・坂元一哉 - 産経ニュース 2019.4.23

 ≪高坂正堯が指摘した2つの病根≫
 戦後日本を代表する
国際政治学者である高坂正堯は、遺稿となった平成8年の論文「21世紀の国際政治と安全保障の基本問題」(『外交フォーラム・緊急増刊』)のなかで、日本外交には言葉の力が欠けているとして、その「病根」を2つ指摘している。

 
1つは、日本外交の基軸である日米同盟に関して「言い抜け、詭弁(きべん)の類」が積み重なり、率直な物言いが不可能になっていること。日米は共同防衛を行っているのに、「日本には集団的自衛権はあっても行使はできない」といったことを言うのがその最たる例で、高坂は、こういう言葉は「室町以降の公卿(くぎょう)の言葉」を連想させる。それは行動する人々の言葉とは何の関係もない、と批判した。

 
もう1つは、自国のなかで、また他国との関係において、過去の戦争の精神的整理ができておらず、その記憶をめぐる争いが、戦争の代替物のようになって続いていること。戦後半世紀がたち、戦後処理が一応済んで、両当事者もそれを認めているのに、なお「過去の重い荷物」を背負う必要が説かれる。高坂は、それは基本的におかしなことで、「戦争と平和に対する人類の英知を破るもの」だと論じた

 
核兵器の出現で軍事力の意義が低下し、また相互依存の進展により経済競争が戦争につながることも考えにくくなった時代。高坂は、そういう時代の国際政治は、「自由」や「民主主義」あるいは「文明の衝突」といった言葉(シンボル)をめぐる争いが重要性を増すと見た。だが日本には、外交から言葉の力を奪う2つの「病根」がある

 
2つの「病根」はどちらも、第二次世界大戦における未曽有の敗戦、その衝撃が生み出したものだった。高坂は要するに、日本は半世紀前の大戦争から完全には復興しておらず、それが日本外交を「言葉のない」外交にしていると嘆いたのである。

 ≪注目される外交の言葉が生まれた≫
 
だが、それから20年後の平成28年、日本は「自由で開かれたインド・太平洋戦略」という、世界が注目する外交の言葉を生み出している。米欧や豪州、インドなどと協力して、自由世界全体の安全と繁栄に貢献する。その姿勢を明確にする言葉である。単に台頭する中国の海洋進出を牽制(けんせい)するだけでなく、日本と北米、南米、アジア、豪州、欧州、アフリカ、つまり世界をつなぐ2つの巨大な海の平和と安全に積極的に関わる大志を示す言葉といえよう。

 
この言葉を、前年、戦後70年(平成27年)における、政府の2つの努力を抜きにして論じることはできない。高坂が嘆いた「病根」が、それらによりほぼ取り除かれたからである。

 
努力の1つは「安倍談話」。この談話は過去の戦争の精神的整理について、反省はこれからも続くが謝罪は繰り返さない、とすることで問題に一応の決着をつけた。日本は戦争の反省と謝罪ができていないとする内外の誤解をただし、その誤解が、近隣諸国との外交を混乱させることに終止符を打つ。そのために政府は、戦前の日本が国際協調に失敗して大戦争に至った経緯について、非常に簡単にではあるけれど、政府の歴史認識を示すという異例のことも行った。諸外国に同様の例があるとは聞いたことがない。

 
もう1つ、「平和安全法制」の成立は憲法の平和主義のなかで、自衛のための武力行使の範囲をどうするかという問題に一応の決着をつけるものになった。集団的自衛権の行使が可能かどうかが長らく問題の焦点だったが、それについては、憲法が許す自衛のための必要最小限の武力行使のなかに、国際法でいえば集団的自衛権の行使にあたる武力行使も一部含まれると議論を整理した。

 ≪海の安全保障を構想する時代に≫
 
この新しい整理が、日米同盟の安定と抑止力の向上に持つ意義は大きい。国際法上、集団的自衛権を持っているが、憲法上、その行使は一切できない、というそれまでの整理は、日本外交に「室町以降の公卿の言葉」を強いるだけでなく、集団的自衛権に基づいてできている日米同盟の絆を傷つける不条理さがあった。

 
高坂は、最初の書物である『海洋国家日本の構想』(昭和40年)において、日本はアジアの閉じた島国としてでなく、世界のなかで開かれた海洋国家として生きていく必要があると説いた。また海が日本にとって軍事的な意味と貿易の航路としての意味だけでなく、多様な資源の宝庫としての意味も持つようになったと指摘し、日本は国益のためにも、海洋に関わる国際秩序の建設に参与すべきと論じている。

 高坂がそう論じた
昭和の日本には、そのために、広く世界の海の安全保障にまで貢献する準備はなかった。だが平成の日本は、それを目指す言葉を発した

 新しく始まる
令和の日本には、その言葉を取り込んだ、新しい「海洋国家日本の構想」が必要になるだろう。(さかもと かずや)


 戦後日本を代表する国際政治学者である高坂正堯は、日本外交には言葉の力が欠けているとして、その「病根」を2つ指摘していたのだそうです。
 1つは、「日本には集団的自衛権はあっても行使はできない」といったことを言うのがその最たる例で、行動する人々の言葉とは何の関係もない「公卿の言葉」を連想させる、「言い抜け、詭弁(きべん)の類」が積み重なり、率直な物言いが不可能になっていること。
 もう1つは、過去の戦争の精神的整理ができておらず、その記憶をめぐる争いが、戦争の代替物のようになって続いていることだと。

 言葉(シンボル)をめぐる争いが重要性を増した今日、日本には、外交から言葉の力を奪う2つの「病根」があった。
 それはどちらも、第二次世界大戦における未曽有の敗戦、その衝撃が生み出したもの。高坂は要するに、日本は半世紀前の大戦争から完全には復興しておらず、それが日本外交を「言葉のない」外交にしていると嘆いたと。

 しかし、平成28年、日本は「自由で開かれたインド・太平洋戦略」という、世界が注目する外交の言葉を生み出した。中国の海洋進出を牽制(けんせい)するだけでなく、世界をつなぐ2つの巨大な海の平和と安全に、日本が積極的に関わる大志を示す言葉。
 高坂は、日本はアジアの閉じた島国としてでなく、世界のなかで開かれた海洋国家として生きていく必要があると説いたと。
 
 昭和の日本には、そのために、広く世界の海の安全保障にまで貢献する準備はなかった。だが平成の日本は、それを目指す言葉を発した。
 新しく始まる令和の日本には、その言葉を取り込んだ、新しい「海洋国家日本の構想」が必要になると。



 # 冒頭の画像は、海上自衛隊観艦式で航行する艦艇 (2015年、神奈川県沖の相模湾)




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