霊が見える
8月に「霊が見えるという体験」という記事を書きました。
その中で、自分ではなぜ霊が見えるのか、その意味がわからないというような趣旨のことを書いています。
今朝わかったのは、知識や記憶で理解しようとしていたから、わからなかったのだということです。
五感ではないところからの情報を感知しているのだということと、霊能力とか、超能力とかの、決して特殊な能力ではないということは、記事に書いてあるとおり、これまでもなんとなくわかっていました。
感知しているものを、知識や記憶に照らすのではなく、そのまま受け止めれば良かったのです。
そのときに、自分の頭の中が知識や記憶で溢れている状態だと、感知したものを、ただ乏しいイメージに変換して終わりです。
ジャズのアドリブにたとえると
頭の中が、スケールや和音、ジャズ理論でいっぱいの状態のとき、理系の大学を主席で卒業できるくらいの頭脳があれば、器用にジャズのアドリブもそつなくこなすことができます。
それほどの頭脳がなくても、がんばって、時間をかけて熟練すれば、そこそこのプレイヤーにはなれます。一生かかって、そこを目指すのも人生です。それが楽しい人は、それでいいと思います。
他の芸術でも、スポーツ、仕事でも同じです。
ひとまず、頭を空っぽにする
やるだけのことはやっていいし、詰め込むときもあっていい。
ただずっと、詰め込んだままだと、受け取れないし、理解できない。と、今朝いきなり理解したのは、そういうことだったということです。
煮詰まってきたなと思うときに、いっぺん頭の中を空っぽにする。そして、五感の外から感知したものを放っておいたり、安易に知識に変換したりしないで、とことん、味わう。
これから、感覚がまたぐぐっと、開けそうです。