◇幻想詩人YO=YO◇    □Visionary Poet Yo=Yo□

【死刑囚】エリク君が覚醒するような詩・死刑への依存と甘え なお著作権は放棄しておりません、無断転載はお断りいたします

 ◇ 星期二から星期四までSaint-Saënsを聴いていた ◇

2019-12-13 01:24:22 | 小説
もう眠らない猫と、勃起した犬の話は止めにしよう。

私は戦争の噂を聞くのも厭きてきてしまった。

月曜日までは健康だった。




人生とは、一瞬で様相が変わる瞬間があるのだから、仕方がない。

53回の冬と52回の春と52回の夏と52回の秋を過ごしてきた私は、

52回の春を31回の春と21回の春に分けることを精神世界の結界としている。

健康でいられることも、人生の中ではとても大切なことだ。

あと、ギャンブルと酒におぼれていた時間や、売り専で若い男の子の身体を撫でまわしていた

時間もそれと同じくらい大切なことだ。



自分を見ることも大切な時間だ。

自分を見すぎて、いつしか自分に興味がなくなってから、私はそれがいかに大切だったかに

気づかされた。

自分に一切の興味がなくなり、私は精神世界の乞食になった。

「美」も「季節」も「果実」も「野菜」も「みんな」も人から与えられることで、

命を繋ぎとめている。私から誰かに、いや「社会の中にむかって」何かを還元している事は

もうすでにないのだから。


ああ、そうだ。言葉だけが残ったのかもしれない。

それが、まだ人間に理解できる言葉だとしたら。それが、まだ誰かに届く言葉だとして、

それが誰に届けられようとも、私にはその誰に対しての興味はなくなってしまっている。

しかし、人知の及ばない宇宙の果てに向かって、私は言葉を発し続けたい。


意味のない言葉などない。人生の最後の時は、太陽が沈み薄暗くなりつつも,太陽が完全に消えるまでの

一刻がしみじみとその時間を味わうことができる。それが一刻だとわかるのも、人生を53回の冬と、52回の春

と、52回の夏と、52回の秋を過ごしてきたからだ。そしてその一刻が一番美しいことは、歳を取ったものなら

ば、誰もが知っている。

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