南禅寺の紅葉紹介1 金地院の歴史など | みどりの木のブログ

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今回から南禅寺の紅葉紹介です。

今日は南禅寺の塔頭である金地院の紹介

からです。

京阪電車の蹴上駅で降りて歩くと、最初に

徳川家康と縁のある、塔頭の金地院があ

りますので、ここの紹介です。

 

琵琶湖疎水の施設インクラインがあり、

その下がトンネルになっています。

 

蹴上駅から金地院まで歩きました。(左下が北)

 

トンネルの中です。天井のレンガ積みが見事です。

レンガ造りの蹴上「ねじりまんぽ」といいます。

その上には琵琶湖疏水(びわこそすい)が通り、

船を運んだ傾斜鉄道、インクラインがありました。

「ねじりまんぽ」とはレンガの組み方で、大きな

負荷に耐えられるよう、通常のレンガ組みと違っ

てねじらせた形で組み上げていくものです。

 

トンネルを抜けたところです。

 

 

 

金地院にある東照宮の楼門です。

 

金地院の塀と門です。

 

金地院の門です。

金地院の歴史は14世紀末~15世紀初めに、

室町幕府4代将軍足利義持が大業徳基(南禅寺

68世)を開山として洛北・鷹ケ峯に創建したと伝

えられます。

 

金地院の解説板です。

 

金地院の解説板です。


徳川家康の信任が篤く、1605年に江戸幕府の

幕政に関わった、黒衣の宰相と言われた金地院

崇伝(以心崇伝)によって現在地に移されました。

 

金地院崇伝

 1569年に室町幕府幕臣の一色秀勝の次男として京都に生まれました。

名門の出身で足利将軍家の側近として将来を約束されていたが、1573年に、

足利義昭が織田信長に追放されて室町幕府が滅亡したため、官寺中最も格式

の高い南禅寺にて出家し266世・玄圃霊三の弟子となる。鷹峯金地院の靖叔

徳林に嗣法、更に醍醐寺三宝院で学ぶ。1605年37歳で鎌倉五山第一位の

建長寺住職となり、3月には臨済宗五山派の最高位・南禅寺270世住職となり

官寺の頂点に立ち、後陽成天皇から紫衣を賜りました。


1610年には駿府城内に駿府金地院が、1619

年には江戸城内北ノ丸に江戸金地院が開かれ、

駿府と江戸における崇伝の活動拠点になります。
崇伝は1619年に幕府より僧録に任ぜられて、

それまで相国寺塔頭鹿苑院院主が務めていた

僧録職は以後、幕末まで金地院住持が務めるこ

ととなり、五山十刹以下の禅寺を統括する寺と

なります。寺大名ともいわれ10万石の格式が

ありました。

 

門を入り拝観料を払うと、順路は先に東照宮か

らでした。

 

境内案内図です。

 

明智門です。この唐門は明智光秀が母の菩提のた

めに、黄金千枚を寄進して大徳寺に建立した門を、

明治初年に金地院へ移築したものです。

門をくぐると

 

東照宮(重要文化財)

徳川家康の遺言で建てられ、家康の遺髪と念持仏

を祀っています。幕府の公式記録である『徳川実紀』

では、家康は1616年4月2日に側近の金地院崇伝、

南光坊天海、本多正純を集めて「(遺体は)久能山

に納め奉り、御法会は江戸増上寺にて行はれ、霊

牌は三州大樹寺に置れ、御周忌終て後下野の国

日光山へ小堂を営造して祭奠すべし。京都には南

禅寺中金地院へ小堂をいとなみ、所司代はじめ武

家の輩進拝せしむべし」と遺言したといいます。

江戸期には京都所司代の番所が置かれ、創建当

初は日光東照宮と同程度のものでした。なので、

日光東照宮も創建当時は、下にあるような感じの

社殿だったのでしょう。でも、日光は家光が大金を

使いきらびやかにしました。さらに、家康は以上の

みの東照宮造営を希望したのですが、現実は日本

全国徳川家・松平家のほとんどに、東照宮があり

ます。
社殿は1628年に造営されて、拝殿は総漆塗り、

相の間・本殿は軸部(柱や梁)を丹で、壁や扉は白

・黄・緑といった極彩色で彩られています。また拝

殿の天井には狩野探幽の筆による「鳴龍」が描か

れており、その欄間には土佐光起画・青蓮院宮

尊純法親王の書になる「三十六歌仙」額が掲げら

れています。
1693年に幕府により、1千両をかけて社殿回り

の修復と御門廊下の新設が行われ、1714年に

同じく幕府により社殿回り、門柵の修理が行われ

ました。

 

弁天池とモミジの紅葉が見れます。

 

 

 

左に進むと

 

東照宮の楼門があり、内側から撮影しました。

この反対側は東照宮に続きます。

 

坂道を登り進むと

 

東照宮の内門があります。台風で屋根に被害がありました。

中に入ると

 

東照宮拝殿です。

 

1714年から修理が無いので、漆が剥げています。

 

拝殿内部の様子です。

欄間には土佐光起画・青蓮院宮尊純法親王の

書になる「三十六歌仙」額が掲げられています。

 

斜め横から見ると、手前から拝殿・石の間・本殿が見えます。

本殿には徳川家康の遺髪と持仏が祀られています。

 

最後に

徳川家康遺訓もありました。

家康の遺訓とてもいいですね。

 

今日はここまでで、明日に続きます。

 

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