昨日の続きです。
関西城郭サミットの山城探訪で、堺台場研究会の
方がガイドさんです。
今回は駐車場からです。
下図①の駐車場です。上に見えるのは阪神高速道路です。
幕末はこの辺りが砂浜でした。阪神高速の辺りは海でした。
駐車場の木が秋の台風で倒れそうになっています。
グーグルから引用の写真です。
台場一帯は現在大浜公園です。
下図と番号を合わせました。
1886年の絵図です。
西側の砂浜にも堀を計画したようで、
慶応大学図書館の絵図では西側に
堀が描かれていますが、堀跡が無
いそうで、計画だけした絵図のよう
です。
上図②の所です。先の方に台場の石垣
が見えます。
ここも台風で倒木があります。
③の先端部分で石垣は丸くなっています。
彦根藩が積んだ布積の石垣です。
現地案内板の地図です。
石垣には赤丸のような矢穴石垣もあります。
石垣下の草地のは堀でした。
⑬の所です。高い石垣の所まで砲台の土塁で、
石垣の低いところは砲台が無い土塁でした。
土塁の上には木の柵があったようです。
⑬の右端です。手前が堀でした。
次に⑬から戻って④方向に行きます。
③の所です。④に移動しています。
右側は下図にあるテニスコートです。
④の辺りです。石垣が積み直された所が
手前のきれいに積んだ石垣です。
上でも書いたように、この草地にも堀を造
る計画だったようです。今のところ堀跡が
発見されていません。
この④の辺りも積みなおされた石垣です。
低くなる先の方に、台場内に入る坂道が
後世に造られています。
ここを上がると台場土塁の上です。
土塁の上に公園の道があります。
砲台跡の窪みは築山にして土が
盛られています。
土塁の内部です。
下図⑤の所です。稜堡の先端部分を見たところです。
この石垣は⑤の右にある砲台の跡でしょうか。
砲台跡は土が盛られているそうです。
台場内部です。砲弾庫は安全のために厚く
盛った土の下に造られました。
今回はここまでで、明日に続きます。
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