田中城 3 下屋敷2階櫓  田中藩 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は下屋敷2階櫓です。

 

2階櫓です。

高さ2.7mの石垣(新築)の上にあります。

もともとは本丸にありました。

 

解説板です。

 

本丸周辺の江戸時代初期の古絵図です。

本丸は西益津小学校に、左の清水御殿は

西益津中学校になっています。

 

現地の解説板です。

 

明治維新になり静岡が徳川宗家の領地と

なったときに、高橋伊勢守(泥舟)がこの

田中城を預かりました。廃藩置県以前の

話です。高橋伊勢守(泥舟)は江戸で、

旗本山岡正業の次男として生まれますが、

母方を継いで高橋包承の養子となります。
生家の山岡家は槍の自得院流(忍心流)

の名家で、長兄・山岡静山に就いて槍を

修行、海内無双、神業に達したとの評を

得るまでになります。
生家の男子がみな他家へ出た後で兄の

静山が27歳で早世します。婿養子に迎

えた門人の小野鉄太郎が後の山岡鉄舟

で、泥舟の義弟義弟になります。

高橋伊勢守(泥舟)は勝海舟、山岡鉄舟

と並んで「幕末の三舟」と呼ばれています。

山岡鉄舟が亡くなったとき山岡家に借金

が残り、その返済を義兄の泥舟が工面

することになり、自分にも大金があるは

ずがなく、金貸しに借用を頼むとき「この

顔が担保でござる」と堂々と言い、相手

も「高橋様なら決して人を欺くことなどな

いでしょう」と顔一つの担保を信用して

引き受けたといいます。

 

高橋泥舟の肖像です。

 

石段を上がり1階に入った所にある、

アイスキャンディーの棒て造られた

2階櫓模型です。

1階奥には田中城のジオラマがあ

ります。

 

江戸時代後半の本田家時代のものです。

下の新宿部分は下級武士の住宅です。

 

2階櫓の2階に上がる階段は

 

1階から2階に上がる階段です。

 

2階櫓の2階から見た風景は

 

 

 

ここに移築された郷蔵が見えています。

 

 

2階では田中藩関係の資料展示されています。

 

4万石の田中藩本多家では、田中城内で

400人あまりの藩士が住んでいて、その他

江戸には110人、その他の飛び地には57

名ほどが住んでいました。

 

4万石ですが実質5万石です。(2階櫓2階資料より)

グリーン色の郡内に領地がありました。

 

江戸後期の田中城周辺の領地分布図です(2階櫓2階資料より)

 

田中城周辺は水質が悪くて飲めないの

ですが、下図左上の蛭が池は唯一きれ

いな水が湧き出ていました。なので、こ

の池から竹や木で上水道を城まで引い

ていました。

 

 

 

蛭が池です。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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