小田原城 11 天守3 最上階からの眺望 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は最上階からの眺めです。

 

最上階5階に上がると、江戸時代天守に

あったという、摩利支天像の安置空間を

再現しています。

 

江戸時代の天守内部を再現しています。

 

摩利支天像が納められていた天守型厨子です。

 

廃城時に天守七総尊は永久寺に運ばれて

安置されました。さすがに仏像まで破壊す

ることができませんでした。

 

江戸時代天守にあった摩利支天像です。

 

江戸時代に天守は3層4階でしたが、

現在は鉄筋コンクリート製で、3層5階

になっていますが、4階部分が吹き抜

けなので、4階とも言えます。

江戸時代の本物よりは立派な天守と

言えます。2016年に耐震補強工事

も行われて、名古屋城のように木造

に建て替える予定はありません。

 

標高60mの最上階5階からの眺望は

 

南西方向からです。

秀吉の石垣山一夜城が見えます。

 

南西方向です。

拡大すると

 

さらに60倍に拡大すると

 

中央の山が石垣一夜城です。

 

この写真は石垣一夜城から見た小田原城

です。(石垣一夜城は次回紹介します)

 

グーグルから引用の小田原城です。

 

カメラを左に回すと

 

南方向です。相模湾が見えてきます。

 

南東方向です。

さらに左にカメラを回すと

 

 

 

東方向です。

常盤木門と巨松が見えます。

 

東方向です。

さらにカメラを左に回すと

 

江の島が見えます。

三浦半島もうっすらと見えています。

さらにカメラを左に回すと

 

北方向です。

 

北方向に小田原駅が見えます。

右側中央の空き地は御用米曲輪跡です。

 

 

 

さらにカメラを左に回すと

 

北西方向です。

八幡山古郭は小田原城の前身である城

跡です。初めは大森氏が、土の城として

使用し、のちに北条氏が使用しました。

東曲輪とは下地図にある八幡山のにあ

る八幡曲輪のことです。

この後、歩いて御用米曲輪と八幡曲輪

の方にも行きます。

 

これは天守内の床に描かれた江戸時代の

小田原城です。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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