昨日の続きです。
今回は三日月堀から本丸までです。
三の丸から見た天守です。
右の方にある下図⑪の三日月堀の方
に行きます。
下図⑪から見た三日月堀です。
背景に太鼓櫓が見えます。
太鼓櫓は下図の二の丸にあったのですが、
本丸に移築されています。
江戸時代初期1643年の掛川城です。
これも三日月堀です。
三日月堀の解説板です。
三日月堀の横には掛川城公園の石碑があります。
掛川城公園の石碑です。
次に⑫にある十露盤堀です。
⑫から見た十露盤堀です。
上が北です。
北の端から十露盤堀全体です。
十露盤堀の解説板です。
この辺りには掛川城のジオラマもあります
掛川城のジオラマです。
手前が天守丸とその右に本丸です。
⑬所に行くと
⑬の横に櫓門があります。
⑬から見たところです。
ここに大手二の門がありましたが、
廃城後に油山寺の山門として移築
されました。
油山寺にある大手二の門です。
先に進むと料金所があります
本丸の中に入り振り向いて、歩いて来た
所を撮影しました。
右に入場券売り場があります。
売り場の上に太鼓櫓が見えます。
本丸は花と緑の公園になっています。
この本丸には関ヶ原の戦いのときに、
江戸から来た徳川家康の宿所になり
ました。城主だった山内一豊がこの
城と兵糧を家康に差し出しました。
このおかげで関ヶ原の合戦後には
一豊は土佐の国を貰い、高知城の
城主となれました。
下図⑭の所にある腰石垣と排水溝です。
見える石垣と溝は復元で、本物はこの下
に埋まっています。
発掘された腰石垣の解説板です。
今回はここまでで、明日に続きます。
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