岡城(日本100名城)1 歴史 | みどりの木のブログ

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今回から岡城の紹介です。

今回はその歴史からです。

 

海抜325mの台地上にある、岡城阯その

広さは実面積で100万㎡、東京ドームの

22個分あります。 大野川支流稲葉川と

白滝川が合流する間の舌状台地上に築

かれ、川岸からそそり立つその姿はかつ

て「難攻不落」と言われた天然の要塞で

した。

現地の案内板です。(日光反射あり)

 


駐車場から見た城跡

 


現地案内板より

 

案内板にあった岡城絵図です。

 

現地案内板より


鎌倉時代
岡城は文治元年(1185)大野郡緒方

 

 

 

荘の武将緒方三郎惟栄(これよし)が

源頼朝と仲違いをしていた弟の義経

を迎えるため築城したと伝えられます。

惟栄は大持浦(兵庫県)を出航しよう

として捕らえられ、翌年上野国(群馬

県)沼田荘に流されています。

 

南北朝時代
南朝建武のころ豊後国守護大友氏の

分家で大野荘志賀村南方に住む大友

一族の志賀貞朝は、後醍醐天皇の命

令をうけて、岡城を修理して北朝と戦

ったとされますが、志賀氏の直入郡

への進出は南北朝なかばの、応安2

年(1369年)から後で(「豊後国志」

巻六)、直入郡代官職・検断職を預

けられて以降です。建武の頃その城

は、きむれ(騎(木)牟礼)の城でした。

のちに志賀氏の居城は岡城に移りま

す。

安土桃山時代
 天正14年(1586年)から翌年の

豊薩戦争では島津の大軍が岡城を

おそい、わずか18歳の志賀親次

(親善)は城を守り、よく戦って豊臣

秀吉から感状を与えられます。しか

し、文禄2年(1593)豊後の大友

義統が、文禄の役で秀吉から鳳山

撤退を責められ所領を没収される

と、重臣の志賀親次も城を撤退し

ました。
 文禄3年(1594)2月に播磨国

三木城(兵庫県)から中川秀成

摂津国茨木城主中川清秀次男で、

父・清秀が賤ヶ岳の戦いで戦死し

た後、家督は兄の秀政が継いで

いました。兄の秀政は文禄の役

の朝鮮半島で、1592年10月頃

の鷹狩り中に、敵に包囲され殺さ

ます。 この失態による改易を恐

れた中川家では「戦死」と報告し

ますが露見し、豊臣秀吉の怒りを

買うも、特に父清秀の賤ヶ岳の

戦いでの武功に免じて、秀成は

兄の遺領の半分、播磨国三木6

万6千石の相続を許されます

総勢4千人余で入部します。築城

にあたり志賀氏の館を仮の住居

とし、(「中川御年譜」には「志賀

湖左衛門親次が旧居に御住居」

とあり、戦国時代の城郭を基礎と

して、近世城郭の整備・城下の町

割りなどをおこないます)近世城

郭の形を整えました。

 

中川秀成肖像画です。

 

本丸は慶長元年(1597)に完成

します。

 

江戸時代後期ですが城下町が西側

にあります。

 

1596年の図から書いた絵図です。

現在地とあるところの下が駐車場

です。(現地案内板)

 

江戸時代

寛文3年(1663)に重臣屋敷が

取り壊されて、新しく西の丸御殿

がつくられ、城の中心部分とされ

ていきます。(岡城は山城的殿舎、

平山城的殿舎(本丸・二の丸・三

の丸)、平城的殿舎(西の丸)で

構成され、これらが一体となって

いることは近世城郭史上特異な

城です。)

 

西の丸御殿絵図です。(現地案内板)


現在残されている城郭は、明治

に至るまで岡藩を統治した中川

氏によって築城されたものです。
趣味人であった第5代藩主 中川

久通は、城の北側にある絶壁に

弦長約3mの三日月を彫らせて、

月の無い夜も明かりを灯し、月見

の宴を楽しんだそうです。

 

宝暦(ほうれき)( 1751年~1764年)の絵図です。

明治時代
明治2年(1869)版籍奉還後の

明治4年(1871)には、14代(

277年間)続いた中川氏が廃藩

置県によって東京に移住し、城

の建物は明治7年(1874)大分

県による入札・払い下げで(明治

7年「大分県布告書」で県内五城

の建造物(岡城は69棟)が入札

されて、すべてが取り壊されます。
瀧廉太郎は少年時代を竹田で

過ごし、荒れ果てた岡城に登っ

て遊んだ印象が深かったとされ、

明治34年(1900)には中学校

唱歌「荒城の月」を作曲し発表

しています。

 

現地二の丸にある瀧廉太郎銅像です。

 

駐車場(現在地)にある現在の竹田町図

です。

 

岡城部分を拡大すると

 

駐車場(現在地)にある岡城図です。

 

1936年)12月に「岡城址」と

して国の史跡に指定されます。

平成18年(2006年)4月に、

日本100名城(95番)に選定

されました。

         (岡城Webページより)

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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