篠山城(日本100名城) 7 篠山城エピソード | みどりの木のブログ

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今年は日本橋ストリートフェスタが

新型コロナで中止になり残念です

が、3年前のこの日に書いた記事

リンクはここです。

 

昨日の続きです。

 

今回は篠山藩にまつわるエピソード

からです。

大書院展示の資料から一部抜粋です。

 

篠山は茶の栽培が盛んで、幕府にも

13石を納めたそうです。

 

大庄屋に当たる役職が郷代官です。

 

 

 

 

 

この時代から松茸や丹波豆が

名産品ですね。

 

8代藩主の形原松平家は厳しかった

ようですね。9代目藩主は国替えで、

青山家に交代しています。

 

どこの藩でも江戸時代後期に藩校を

開校していますが、日本の歴史にも

触れることから、これが尊王思想を

生んだ可能性があります。

隠れキリシタンが篠山にもありました。

 

幕末頃には、村々では自発的に

寺子屋を造りました。

農業や商工業に携わるには、

文字を読んだり、計算する力

が必要だと自覚したのでしょう。

1854年の大地震で城の石垣

が2か所崩れています。

 

西園寺公望が宿泊した福住本陣跡です。

1868年に鳥羽伏見の戦いで徳川家

が敗れたために、朝廷から派遣された

公家の西園寺公望に、14代藩主の

青山忠敏は篠山城を戦わずに明け渡

しています。

徳川慶喜が大政奉還もやっていたので

天皇の命令に従ったのでしょう。

 

今回はここまでで、明日は二の丸御殿

跡です。

 

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