ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

大河・かこがわ(302) かこがわと洪水(3)・旧流路の語ること

2020-08-08 09:14:41 | 大河・かこがわ

 奈良時代、中央・地方の政治の仕組みも整ってきました。

 地方には国司・里長等の地方官が置かれました。

 これら地方官の仕事は治安、なによりも農民から確実に税を納めさせることでした。

 政府は、税を確実にするために土地制度を整えた。これが条里制です。

 条里制は、七世紀の末には始まっていただろうと思われます。 

     旧水路跡は、何を語る

 条里制の土地があったことは確かめられています。

 しかし、土地だけでは田畑になりません。水が必要です。

 どのようにして水を得たのでしょうか。

 池から得たとも考えられが、池の遺構がありません。

 埋もれてしまったとも考えられますが、これだけ発達した条里制です。どこかで遺構が見つかってもよさそうなものです。

 考えられることは、「かこがわ」の水を利用することです。

  でも、「かこがわ」からの用水を造り作り、条里制の田畑に引いたとも思えないのです。

 「かこがわ」は暴れ川だした。「かこがわ」のような大きな川に堰をつくり水を引いたとも考えられません。

 この時代に大規模な用水作る土木技術はまだありません。

 「かこがわ」は、太古よりその流路を幾度となく変えています。旧流路を見てください。

 これら流路跡と条里制の遺構がたぶんに重なるのです。

 つまり、条里制の土地は「かこがわ」の旧流路を用水として利用したと考えるのが自然です。

 記録はないのですが、流路跡は「かこがわ」は洪水で氾濫し、流れを幾度となく変えたようです。(no5052)

 

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