戦艦大和の記憶が残る兵庫県 | 同床異夢

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 4月7日は、九州沖で日本の象徴でもあった戦艦大和が沈没した日でした。

日本海軍の最後の艦隊は、4月1日沖縄に襲来した米軍と戦うために

航空支援がない状態で沖縄に向かいました。

作戦名を天一号作戦といいます。

 

   (米軍の激しい航空攻撃を受ける大和 昭和20年4月7日)

 

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 大和は、9隻の駆逐艦を伴って沖縄に向かいました。

 

「沖縄に、たどり着けないことはわかっていた」とか

「航空支援がない無謀な作戦だった」

などと、よく言われますが、そんなことは当時の人達もよくわかっていました。

「沖縄の人達をなんとしても助ける」

これが、日本の考え方で、その答えが天一号作戦になったわけです。

 

「無謀」だとか「不可能」というのは、二の次なのです。

困った同胞がいれば、助けに行くのです。

沖縄も大八洲の一つだから、先人達は必死になって助けにいったのです。

 

 

(大和を中心に沖縄に向かった駆逐艦9隻)

 

 

大和の主砲は46㎝(内径)三連装砲で、当時、戦艦に搭載している中では、

世界最大でした。

 

(戦艦大和の主砲から発射される砲弾 大和ミュージアムより)

 

命中すれば、戦艦や空母を一撃で轟沈することが出来る威力があり、

射程も40㎞程度あったので、敵の攻撃が届かない所からの攻撃が可能でした。

 

その大和の砲身を作った旋盤が、なんと!播磨町に現在も残っているのです。

 

 世界一の大きさの砲身を加工するのだから、その旋盤も巨大です。

 

旋盤というのは、水平方向に材料を固定し(挟む)、回転させて

母材を削っていく機械です。

 

    (ドイツ ワーグナー社製の巨大旋盤)

 

しかも、この大型旋盤、平成25年まで使っていた、というのだから驚きです。

船のエンジンの、クランクシャフトを荒削りするために、使っていたそうです。

 

 この旋盤が設置されている会社は、兵庫県播磨町の新島にある

「きしろ播磨工場」です。

 

 また、この旋盤の隣に、もう一台巨大旋盤があり、

偶然、その旋盤が兄弟機だったことがわかったそうです。

 

詳しくは、リンクを貼っておくので日経新聞の記事をご覧下さい。

戦艦「大和」の主砲削った巨大旋盤、70年経て現存

(令和元年6月20日 日経新聞)

    (隣にある兄弟機の旋盤は現在も使われている)

 

(当時、戦艦に搭載される砲身を作っている工場内)

 

世界最大で最強の、戦艦だった大和の砲身を作った機械が残っているのは、

貴重なことだと思います。

 

なぜなら、先人達と我々が繋がっていることが実感できて、

日本は昔も今も、重工業が盛んであることが、うかがえるからです。

 

兵庫県の工業高校などであれば、是非見学のコースにしてもらいたいと

思います。そして、先人達の熱い思いを現地で想像してもらいたいと思います。

 

 因みに広島の呉には、大和を作ったドックが今でも活躍しています。

大和ミュージアムの近くなので、先人達のことを想像しながら訪れてみるのも

よいでしょう。

(左側の・・・マリンユナイテッド呉工場と書かれている所で大和は作られました)

 

公の場や教育では、大東亜戦争というのを、現在と完全に切り離していますが

身近に、繋がっているものが残っているのは貴重です。

多くの人に知ってもらいたいと思います。

 

最後までお読み下さりありがとうございました。

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