環境問題はついに自由の女神の逆鱗に触れてしまった!! | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

環境問題はついに自由の女神の逆鱗に触れてしまった。

グレタという少女を軸に、閑居問題で色々と指摘し始めたが、

彼らの論理に行きつく先は人類こそ地球に害悪なものゆえに、

人類すべてを消滅させた方が地球の為に良いという話に成る。

それを差し置いて自分たちだけ生き残って幸せを享受できれば良いというのであるならば、全く筋道が異なって来る。

 

キリスト教国にこういうう環境問題を唱える人間が多い点から、

彼らにキリストの言葉を浴びせよう。

「隣人を愛せ」

彼らは地球の事を盾に自分たちが興味を持たずとも幸せに感じられる事だけを主張し、それ以外の人「隣人」の幸せを犠牲にしろと言っている。

牛肉一つにしても、ステーキを食べる事を楽しみに生きている人も居ることを考えず、彼らにその楽しみを放棄しろと平気で言えることに、

既に憤りを感じます。

 

【WTOも含めて身体的健康と精神的健康のバランスをもっと研究すべし。】

タバコ一つにしても身体的健康の部分のみに焦点を当てて

それによって抑制される喫煙者の「精神的健康」は全く考慮していません。

何故精神的な健康を考えなくてはならないのか?

身体的な健康を維持しても事件に巻き込まれれればその健康維持の努力はむっだに成ります。

精神的に健康な状態であれば、憤怒の気持ちを抑える機能が有りますが、精神的な健康を阻害されるとこの抑制が狂って制御を失います。

人をツイツイ殴ってrしまった。

勿論、これらは法律違反です。

しかし、法律違反だからという概念で抑止できるのは、

精神的健康状態にバランスが保たれているからであって、

このバランスが崩壊すると、法律違反という抑止を無視して、

憤怒の感情を優先させ、最悪いな場合、自暴自棄という状態に成ります。

いわば自爆テロなどを考える精神状態に近づくわけです。

中には自殺で終わる人も居れば、銃乱射行為の下で怒りを示して死ぬ人も居ます。

 

【自由を享受する事で精神は満たされ、お互いにその自由を尊重し合う事でその環境が守られる】

キリストの隣人を愛せという言葉はココに着きます。

人には様々な趣味趣向が有り、それを認めてもらう事で解放感を得る。

オタクと言われる人たちがかつての疎外感を受ける状態で、自分の趣味を隠すして生活する状態よりも、今の認知してもらえる状態の方が居心地が良いと感じるのにも近いかも知れません。

認知されない社会状態で、仮に自分の趣味趣向が変質者扱いの下で曝け出されたらその人の精神は大いに蝕まれます。

その状態で何か衝撃を受けると、自信の生きていく価値観が崩落し始め、時には自部時期の行動を起こすケースも有る訳です。

今でも変な目で見られる事は有っても、趣味を共有できる環境があるだけで竿外観は緩和され、精神的なバランスもかなり保てる社会機能が存在します。

「これらは自由を認められた環境で有り、マイノリティの保護という人権機能が働いている故に保たれる社会構成です。」

 

【自由の女神の怒り】

アメリカをUSAと表記して進めますが、

USAの憲法上、個人の自由でありマイノリティの保護は盛り込まれており、それ故にニューヨークの自由の女神を象徴する国家だと言えます。

日本も戦後それがベースとなって現行の日本国憲法が誕生したように

自由が享受された国家です。

USAのかつての犯罪は、格差に於ける貧困が齎いた症状で、その改善に伴い犯罪もかなり減りました。

貧困が齎す犯罪との精神的因果関係は、生活満足度に於ける精神崩壊とも言うべき点です。

特に格差を感じる状態において、豊かな人間は美味しいモノを好きなだけ食べれて、貧しい方は空腹すら満たされない。

その空腹感と社会的にそれ以下が無いという底辺に対する環境への絶望感が、犯罪で何かを失う抑止力を崩して実行の決断へ結びつけるのです。そしてそれによって達成感と満足感が得られると、リスクは考えなくなっていきます。

現行、北朝鮮の精神状態はここに近い点でも言えます。

また、マフィアやヤクザの理論で、4~5年塀の中で我慢すれば幹部候補だという話に成れば、犯罪で捕まるリスクよりも美味しい話に聞こえてしまうのも事実です。

それが生活の安定によって犯罪リスク<安定した生活となれば、人間は自然犯罪への抑止力が働きます。

しかし、安定した生活の中で全ての欲求を満たすほどの豊かさは一部の人しか達成できず、その他の人は限られた生活条件から厳選して選ぶモノと成ります。

例えばタバコ…単純に愛煙家という人にとっては、刑務所に入ればその制約を余儀なくされ、自由気ままに吸える環境という点でも犯罪リスクを考えるポイントに成ります。

更には食事に関しても同じで、ステーキを食べられるのが安定した生活にある訳で、制約の中ではその自由は奪われます。

こうした些細な自由であっても、それが安定した生活も制約の生活も同じだと成って行けば犯罪を犯して制約を受けても全然変わらないし、捕まらなければ儲けが出ると感じてしまう状態に成ると、完全い犯罪抑止としての労役効果は薄れていく訳です。

逆に、死刑になるというレベルならばまた別ですが、死刑廃止を唱えて、制約の社会を齎すなんて話は格差でもなく成らない限り、犯罪をした方がマシな環境を生み出すだけです。

 

【環境問題は他人に制約を与えない範囲で努力するモノ】

小泉進次郎がこの事を説明してセクシーにと言えば、彼の言葉は大きな意味を持ったでしょうが、説明できない時点で彼はこの論理に達していなかったと断定します。

「牛肉を食べるのを諦めろ!!」

こんな話に賛同する人も居れば、反対する人も出る。

地球を守るためにと大義を唱えても、

その為に楽しみを奪われるのなら地球の破滅と一緒に死ぬ方が良い。

ある意味、先に話したように地球の害悪は人間でしか無くなるのだから、だったら人間が滅ぶしかない様な話にまで進んでいく。

二酸化炭素排出と出生率の関係も関わることに成り、

人口が増えれば排出量はそれだけ増えるなんて話に成ると、

強制的に一人っ子政策みたいな話が持ち上がる。

あれ…という事は、中国の且つての政策は正しかったという話に成るのかな?

カトリック教の人たちは避妊すら危ぶまれる状態で、性交渉事態を制約しろなんて話にもなりかねない。

そこまで話をしていないと言っても、制約を用いればキリがないという事で、現状、現時点で認められている環境に制約を用いるべきではないという事です。

ベジタリアンなら牛肉食べなくても平気だろうけど、そうで無い人からすると物凄いストレスとなって、下手したら環境論者に対する迫害犯罪に発展しかねないです。

何故か…ベジタリアンがマジョリティを取れば、肉食者の歴史的に認められた享受が奪われるから。

彼らのマジョリティを抑えるべくベジタリアンを排斥すべしというヘイトが生まれてきます。魔女狩りの社会的審理に近いです。

健康だとか環境だとかという点に注視して、社会的に破壊するのでは結局元も子もなく、国家間の話に成れば戦争に成るというのも有り得る事に成ります。

それで最終的に環境問題を唱えた事で、より一層殺伐とした環境破壊に発展させて何の意味が有るのでしょうか。

ある意味、環境論者嫌いのオッサン先生が死んでも、これ自然発生する現象だから、ほっとけば人類は最悪な状態を齎してより一層苦しむから、死んだ後で笑いものにするだけだと言っているほどです。

寧ろ、社会的に精神的な健康をもっと重視しつつ、その適切なバランスの中で科学技術の投資と進歩を以て解決していく方が、平和的かつ自然な形で徐々に馴染んでいくと言える。

 

【科学技術の発展を信じなさい!!】

とは言え、牛肉に関してもホルモン活性技術、クロン技術、たんぱく質造成技術など様々な技術が進行しており、何れは牛肉を家畜では無く、人工的に工場のみで製造できるように成り、家畜製造のモノより美味しく感じられるレベルに達すれば、自然と家畜の牛は必要なくなる。

そうなれば牛肉生産を禁止する必要も無く、自然とその人口牛肉が市場を占めることに成り問題は解決する。

ここで万が一牛肉の生産を禁止すれば、牛肉の人口生産技術の魅力が削がれその達成も遅れる事となる。

環境問題論者は禁止を謳う前にそういう技術への投資を呼びかけ、研究を加速させる方に尽力を尽くすべしだ!!

そうで無ければ対立を生み、社会的により悪い方向へ進むことに成る。

その他に於いても同じで、二酸化炭素の排出を問題視する前に、森林構築へ投資して酸素供給をより促進させる技術へ投資すべし!!

現状10年前の日本の技術でも砂漠に植物を植えられる技術が既にあった訳だから、砂漠地帯の植林化への投資を各国に促し、酸素供給を加速化させる方がもっと建設的だ。

また、IT技術の発達で、紙の消費を抑え、I-Padの様なタブレットの一般ノート機能化を促して、森林伐採を抑制する事も出来る。

様々な制約を用いる前に、その対案として進める事業は山ほど存在し、それを基金などによって加速させるのなら環境問題を考える意味ではより協調性を仰げる。

こういう事を知らずに、不用意に制約を用いて社会の自由を侵害するのなら、それは自由の女神の敵でしか無いと断言します!!

ということで、実際に環境問題ブームは

日本の技術を売り込むチャンスと言ってもよい現象なのです。

砂漠地帯への植林技術などの研究を加速させて、

世界中からその資金を搔き集めて、

植林産業を充実させる。

製紙企業に紙の需要減少の台替えとして

環境植林管理への事業移転を促せば、

それで起こる失業も抑えられる。

グレタの言い分を上手く逆手に取って、

日本の優位技術を武器に売り込めば、

世界中とWinWinな形でアピールできるはず。

 

敵を知り己を知らば百戦危うからず。

地球環境の敵を知り、日本に何が出来るかの己を知れば、

他国に遅れたIT技術に打って出るよりも、

遥かに大きな国益を齎すことに気づくべき。

 

何とも日本は情けの無い国家と言うしかないのも残念です。