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ジャパン・アズ・ナンバーワン - 3 ( 母国アメリカへの警告書 )

2019-09-19 07:06:37 | 徒然の記
 最近は書評が批判ばかりで、健康によくありませんでした。ヴォーゲル氏の著作は、どこを読んでも考えされられ、有意義でした。納得できないところがあっても、違う見方もあるのだと肯定的に読みました。
 
 戦後の私たちは、東京裁判のおかげで、すっかり日本人の魂を失ったと、悲観的に考えていましたが、氏の話を聞きますと、そうではありません。欠点と思っていたことを、氏が評価し、評価するだけでなく、アメリカは謙虚に見習うべきだと言います。
 自分たちのことは、自分が一番知っていると思っていましたが、氏が違った観点から考えさせます。
 
 NHKの反日番組を見、村上議員の愚論を聞き、ヴォーゲル氏の本を思いますと、不安に襲われます。氏が日本の長所として、脅威に感じていたものを、40年後の私たちは、ことごとく失ったのではないのかという不安です。
 
 三木内閣以来、23人の総理大臣が生まれ、現在が23人目の安倍総理です。昭和天皇が独立国には軍隊が不可欠と言われ、憲法改正を願われていたのに、23人の総理の中で、「憲法改正」と「再軍備」を口にしたのは安倍総理だけでした。
 
 吉田茂氏は、日本が貧しい間、再軍備は無理だと言いましたが、世界第二の経済大国と言われるようになった後でも、誰も「憲法改正」を口にしませんでした。影の総理と言われた小沢一郎氏が、湾岸戦争時に金だけ出して済ませたため、日本は欧米諸国から軽視されました。
 
 あとは歴代の総理が、アメリカの企業や政府に言われるまま、日本の市場を解放し、社会の仕組みを崩壊させました。米国の手先として活躍した竹中氏は、最後の仕上げに手を貸しただけで、実際は歴代内閣が、大切な日本の制度や伝統を、代替わりの都度、少しずつ壊していました。
 
 最近では、とうとう最後の砦である「皇室」まで、「人権」や「男女平等」などと言い、破壊しようとしています。自民党の中にも賛成する議員がいますから、恐ろしいことです。
 
 「それでもなお、氏が40年前に賞賛した日本の仕組みや、日本人の心は残っているのだろうか。」
 
 書評を始めるにあたり、一番心にかかっているのがここです。反日番組を作り続けるNHKや、中国や韓国・北朝鮮に心を傾ける村上議員を見ていますと、心配になります。
 
 これからやろうとするのは、40年前の氏の意見が、まだ健在なのかどうか・・の検証です。
 
 学者は自分の意見をアピールするため、研究対象をややもすると過大に表現します。忘れてならないのは、書かれていることが、日本への賞賛でなく、母国アメリカへの警告であるということです。その点に留意しつつ、序文の2ページから転記をいたします。
 
 「アメリカはほとんどの分野において、日本よりも、」「ずっと先を行っていた。」「研究能力の点でも、創造性の点でも、比べ物にならず、」「天然資源、人的資源は、共に十分すぎるほど、」「豊かであった。」「それから15年経った、1975 ( 昭和50 ) 年に帰国した時は、」「日本の友人たちに、指摘されるまでもなく、」「私自身が、一体アメリカはどうなっているのかと、」「疑わざるを得ない、状態であった。」
 
 「この同じ時期、日本はGNPの点では、世界一ではないし、」「政治の面でも、文化の面でも、」「世界の指導的立場に立つ国とは、なり得ていないのは確かだが、」「しかしながら、日本の成功を、いろいろな分野において、」「仔細に検討してみると、この国は、」「その少ない資源にも関わらず、世界のどこの国よりも、」「脱工業化社会の直面する、基本的問題の多くを、」「最も巧みに処理してきたという、確信を持つに至った。」
 
 「私が日本に対して、世界一という言葉を使うのは、」「実は、この意味においてなのである。」
 
 氏が日本を訪れたのは、昭和33~34年の ( 岸内閣 )と、昭和50~51年 ( 三木内閣 )の二回ですが、この時の印象が、いかに大きかったのかということです。日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は、1954年( 昭和29年)12月の、第1次鳩山内閣から、1973年( 昭和48年 ) 11月の、第2次田中内閣までの、約19年間だと言われています。この間には「神武景気」や「岩戸景気」、「オリンピック景気」、「いざなぎ景気」、「列島改造景気」、と呼ばれる好景気が続きました。
 
 私が大学を卒業した昭和44年は、高度成長期の最中だったのです。「もうお金はいらないから、休みが欲しい。」と、泊り込みの勤務の続く日に、ため息をついたことを思い出します。日本中が忙しくて、どこも人手不足で、殺気立つほど活気に満ちていました。
 
 現在も多忙で、人手不足だと言われていますが、大きく違っているのは、若者たちの給料です。当時の経営者も、従業員を酷使しましたが、時間外や休日出勤など、誤魔化さずに払ってくれました。働いても貧しいままで、先が見えないという不安はありませんでした。
 
 この点についても、次回から検討し、苦労している息子たちに伝えたいと、思います。 ( こうなりますと、書評が他人事で無くなります。 )
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