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タイの大地の上で - 2 ( 東京裁判史観に染まった外務官僚 ? )

2019-07-15 13:28:33 | 徒然の記
 タイは、知るほどに私を虜にする国です。アジアでは、日本だけかと思っていましたのに、タイもまた植民地にされたことが一度もない国でした。
 
 しかも国民が王様を崇敬し、21世紀の現在でも不敬罪が存在する、数少ない君主国です。周辺を社会主義国に囲まれていながら、自由主義を守っている不思議な国でもあります。
 
 タイの民族構成は、タイ族75%、中国人(華僑)が14%で、その他がマレー系、インド系、モン族、カレン族などとなっています。平成27年現在、タイ国内で暮らす外国人のトップは、アメリカ人で、次いで中国人、オーストラリア人、イギリス人、そして日本人は第5位で、6万7000人です。
 
 「第二次世界大戦後の東西冷戦期には、ベトナムやカンボジア、ラオスのような、近隣諸国の共産主義化に脅かされたものの、共産主義の防波堤として、アメリカの大々的な支援を受けたことも影響し、共産主義化は免れた。」
 
 「国民の高い教育水準や、豊かな国土を背景に、徐々に工業国への道を模索し、1967 ( 昭和42 ) 年には、東南アジア諸国連合( ASEAN )に結成時から加盟。」「1989 ( 昭和64 ) 年に、アジア太平洋経済協力( APEC )にも、結成時から参加した。」
 
 「映画館では、上映の前に『国王賛歌』と共に、国王の映像が流され、観客は起立し、敬意を表すのが慣わしとなっている。」「特に前国王であったラーマ9世(プーミポン国王)は、その人柄と高い見識から多くの国民に敬愛されていた。」「国王を侮辱する画像や、動画が掲載されたことを理由に、YouTubeへのアクセスが長期にわたり遮断される等の事例もある。」
 
 「タイの歴代王朝( アユタヤ王朝、トンブリー王朝、チャクリー王朝 )は、日本の皇室とも、およそ600年前から親密な関係を持っており(当時の日本は室町時代)、皇室と王室の親密な間柄が、両国の緊密な関係の基礎になっている。」
 
 「秋篠宮文仁親王のほか、両国の皇室、王室メンバーの公的または私的訪問が、頻繁に行われている。」
 
 そういえば、秋篠宮さまが、タイで研究されていたという報道が、記憶の片隅にあります。皇室と王室の深い関係、しかも室町時代からとは知りませんでした。
 
 いつだったか、クーデターを起こした将軍たちが、プーミポン国王の前でへりくだって膝行している様子を、NHKのニュースで見たことがあります。クーデターを起こした将軍と政府の間を調整し、国の乱れを防止した国王に、敬意を覚えたことを思い出します。
 
 「国王の政治介入」「国王の権力乱用」などと、日本のマスコミも、野党政治家も言いませんでした。私たちはもっと、タイ王室を知る必要があるのかもしれません。
 
 「日本とタイの間には、すでに六百年もの交流の歴史がありながら、交流の内容は、商品の交換であることが多く、人と人との交流は、思いの外少なかったように思われます。」
 
  神田外語大学学長の石井氏が、「推薦の言葉」て述べていましたが、そうなると氏は、皇室とタイ王朝が、室町時代から交流していたと知っていたことになります。ならば氏はどうして、このような言い方をしたのでしょう。
 
 「交流の内容は、商品の交換であることが多く、人と人との交流は、思いの外少なかったように思われます。」
 
 皇室との関係に注目すれば、タイとの交流が、商品の交換で済んでいたとも、交流が少なかったとも断定で気なくなります。皇室とタイ王室の親密な関係を重要視すれば、600年に及ぶタイとの歴史の中で、皇室との話を省略することはできません。
 
 「皇室と王室の親密な間柄が、両国の緊密な関係の基礎になっている。」
 
 この説明が正しいとするなら、人と人との交流が少なかったと言えるのでしょうか。もしかすると氏は、皇室を軽視する左翼学者なのでしょうか。
 
 別途氏の略歴を調べ、驚きました。
 
 「石井米雄は、日本の歴史学者。」「京都大学名誉教授、神田外語大学名誉教授。」「文化功労者。専門は東南アジア史、特にタイ王国研究。」
 
 氏はすでに故人となっていますが、歴史学者で京都大学の名誉教授でした。皇室とタイ王室の関係を知らないどころか、専門が「タイ王国研究」です。不信感が生じ、さらに調べたくなりました。
 
 息子たちに言います。氏の履歴については説明せず、知り得た事実だけを紹介します。自分たちで判断してください。後味の悪い、ブログとなりました。
 
 「昭和4年生まれ、東京出身。」「戦後 ( 昭和22年 ) に、旧制早稲田第一高等学院に入学するも、」「東京工業大学の言語学者、小林英夫の言語学講義にのめり込み、」「早稲田大学での学業は進まず、除籍されることになる。」「昭和30年1月に公務員試験に通り、外務省外務事務官に採用されたため、大学を中退。 」「外務省アジア局第4課に配属。その後官房長付となり、来日要人の応対を行っていた。」
 
 「その後、在タイ日本大使館に勤務し、昭和38年に日本に帰国。」「帰国後、南西アジア課タイ班に所属し、タイ関連の政務に携わる。」「昭和40年、京都大学東南アジア研究センター助教授。」「昭和56年、京都大学法学博士。」「その後、第3代神田外語大学学長、人間文化研究機構機構長、」「国立公文書館アジア歴史資料センター長。」
 
 「平成12年、文化功労者、平成20年瑞宝重光章受勲。」
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