ひょうきちの疑問

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2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

新「授業でいえない世界史」 1話の5 農耕の開始

2020-03-28 10:54:40 | 新世界史1 人類の誕生

【新石器時代】
【アメリカ大陸】 ちょっとだけアメリカ大陸のインディアンのことを言います。アメリカ大陸の原住民、つまりインディアンという人たちはどういう人か。なぜそこに住んでいたか。

 やはり渡って来たのです。約4万年前の氷河時代には、陸に氷があるから海面が低い。海面が低いベーリング海峡はアラスカと陸続きだった。そこを渡っていく。アジアからアメリカへです。アジアから北のほうを回って、アメリカに渡っていったのは、アジア人種のモンゴロイドです。我々日本人の仲間です。北アメリカ大陸に、こうやって約2万年前に渡っていった人たちがいた。そして約1万年前には南アメリカ大陸の南端まで到達します。これでほぼ世界全域に人類が住みつくようになったわけです。


※【王権の抑制】
※ (インディアン社会に)冬がやってきました。・・・・・・冬になるとみんないっせいに夏の小屋を放棄して、一つの場所に集まってきます。・・・・・・ここには大きな共同の祭りのための建物が建てられていて、その建物を中心にして、冬の村がつくられます。社会構造も一変してしまいます。それまでは家族中心の生活でしたが、になるといくつもの「秘密結社」がつくられ、人々はそれぞれのポジションにしたがって、どれかの結社に属することになります。・・・・・・まったく冬は「聖なる時間」だったのです。・・・・・・
 インディアンたちは自分たちがほかの生き物の命を奪っていることを、はっきり自覚しながら鮭捕りをしていました。夏は、人間が動物を殺す季節なのです。しかし、夏の狩猟期が過ぎても、この非対称的な関係を続けていくことは危険であり、悪であると、彼らは思考しました。・・・・・・だから、夏の間だけは、人間が動物を殺して食べる。しかし、冬の季節には、この関係は逆転して、今度は動物(自然)によって人間は食べられなければならない。・・・・・・冬の期間、自然権力が人間の社会を支配するのです。(カイエ・ソバージュ2 熊から王へ 中沢新一 講談社選書メチエ P171~175)

※ 結社の成員や戦士やシャーマンたちは、すすんで自然が秘めもつ力=権力の源泉に近づいていこうとします。「文化」に「自然」が流れ込んでくるのです。これを象徴しているのが、冬の祭りにおびただしい数で出現してくる仮面でしょう。どの仮面も動物や森の精霊をあらわしています。・・・・・・それまでは「自然」の内部に隠されていた権力を、仮面をつけた結社員は、人間の社会の内部に持ち込んでしまおうとしているのです。これこそ「王」ではありませんか。・・・・・・王は、ほんらい「自然」のものであった力の源泉を、人間である自分のもとに取り込んで、そこに社会があるかぎり君臨し続ける者であることをめざすものです。・・・・・・
 ところが、同じその対称性社会が「冬の季節」になると、あと一歩で王の存在に手をかけているさまざまな「人喰い」の存在たちに、華やかな活動の場所を明け渡しているのです。この「人食い」たちが、世俗的な時間のリーダーである首長と合体したときに、首長はまぎれもないとなります。・・・・・・王が生まれれば、クニ=国家が発生します。・・・・・・が生まれれば、彼らの社会を支えている対称性の原理は、たちまちにして崩壊していくでしょう。・・・・・・シャーマンから見たら首長などは、なんと凡庸なのでしょう。ところが、人間の社会にとっては、この理性の限界内に断固としてとどまる首長の存在こそが、重要なのです。・・・・・・首長と「人食い」たちを分離しておくこと。これこそが、対称性社会の抱いた最大の知恵であり、人間が国家を持った瞬間から、とりかえしのつかないかたちで失ってしまった知恵にほかなりません。(カイエ・ソバージュ2 熊から王へ 中沢新一 講談社選書メチエ P185)

※ 首長と「人食い」の合体がおこる。・・・・・・その「人食い」があらわす自然権力をみずからのうちに体現していると主張する王が出現する。・・・・・・
 王は社会の中に常駐している「人食い」です。・・・・・・こうして出現した王は、自分の権力の内部に、同じ社会の周縁部にうろついているシャーマン戦士の機能を組み込むことになるでしょう。・・・・・・こうして「人食い」+シャーマン+戦士が、それまでの社会の指導者であった首長の地位までも奪って、ここに「社会の内部に取り込まれた自然権力=王権」を体現するものとしての王が生まれます。(カイエ・ソバージュ2 熊から王へ 中沢新一 講談社選書メチエ P193)

※ アメリカ北西海岸のインディアン社会にも、階層性が発達して、そこには貴族もいれば奴隷だっていました。・・・・・・そういうところだと首長は必ずや王に変貌するというのが、歴史学の常識でしょう。それなのに、そこにクニ=国家は生まれなかったのです。いったいそれはどうしてなのでしょう。・・・・・・社会が階層化されているということは、国家が発生するための必要条件ではあっても、けっして十分条件とはならないのです。・・・・・・豊かな自然環境は、そこにごく自然なかたちで階層化社会をつくりだしていきますが、クニ=国家というものの誕生の寸前にまで達していながら、対称性社会の「社会思想」を何よりも重要と考えた人々は、さまざまな方策を用いて、クニが生まれようとするその臨界点で絶妙なターンを切って、対称性社会への着地をおこなってみせるのです。(カイエ・ソバージュ2 熊から王へ 中沢新一 講談社選書メチエ P159)

※【殺されるシャーマン】
※ (アメリカ・インディアンの)ナッチェス族の精神的な生活は、シャーマンが担当した。・・・・・・病気がなおると多額の礼をしたが、病人が死ぬと患者の親類がシャーマンを殺すことになっていた。・・・・・・晴天担当のシャーマンは、屋根の上にあがって雨を追い払う努力をした。雨が降らなかったり、よい天気にならなかったりすると、それぞれ失敗したシャーマンが殺されることになっていた。(アメリカ・インディアン 青木晴夫 講談社現代新書 P55)

※ (アメリカ・インディアンのクリーク族は)戦争中に形勢が悪くなって、タスタナギ(武官の最高位の者)が敵の手中に落ちそうになると、近くの味方の兵隊が彼を殺し、頭の皮をはぎとった。そして退却し、会議を開いて後任を決めた。反対に戦争が勝利に終わって無事帰ってくると、みなタスタナギの着ていたものをはぎとって、ズタズタに切りきざみ、お守りとしてみなが分けて取ったそうである。こういったタスタナギに対する処置も、インディアンの霊に対する考えから出ている。タスタナギは、その町の兵士たちの霊力の最高司令官である。だからその霊の統制力が敵の手に渡る前に、タスタナギを殺して霊的敗北を阻止しなくてはいけない。それを保証するためには霊の宿る場所の象徴である、頭の皮をはぎとる必要がある。また逆に戦争で勝利をおさめた時には、敵にうち勝ったタスタナギの霊力にあやかるため、彼の衣服を切り分けて持つ。(アメリカ・インディアン 青木晴夫 講談社現代新書 P72)

※ 「魏志倭人伝」に、中国へ行くヤマタイの船には、髪の毛を切らず櫛もいれない男が一人ずつ乗っていて、船に何かが起こると殺されたという記事があるが、これは航海安全の責任を負わされたシャーマンであったのではないかと思われる。担当の船に事故が起こるとヤマタイのシャーマンが、殺されたと同様に、アメリカ・インディアンのシャーマンが、頼まれた病気が治せなかったり、不漁であったりした時に、たどらなければならなかった運命も、まったく同じ死であった。(アメリカ・インディアン 青木晴夫 講談社現代新書 P123)


 われわれ新人はアフリカを脱出して、ユーラシア大陸に渡り、そこから北東に進んでシベリアに至ります。当時は氷河期で海面が低く今よりも陸地が広がっていましたから、今のベーリング海峡はアメリカ大陸のアラスカと陸続きでした。
 その陸橋を渡って北アメリカ大陸に渡ります。そこからまた南下して中米にいたり、赤道を越えて南アメリカ大陸に渡り、アメリカ大陸の南端にまで到達します。それが今から約1万年前です。
 オーストラリアには東南アジアから人が渡りました。ここで我々は全世界に分布したことになります。世界中どこに行っても新人がいるわけです。いわば地球が新人によって満杯になったのです。

 インディアンが南アメリカの南端にまで到達したのは約1万年前です。ここで人類がほぼ全世界に分布したわけです。そのとたんに農耕が始まる。ここからを新石器時代といいます。
 
万年前に何が起こったか。氷河時代が終わって、地球が温暖化していったんです。
 ちなみに日本で農耕が始まるのはもっと後ですが、それ以前からかなり高度な文化は発生していました。


▼ 青森県三内丸山遺跡。縄文時代、約5000年前の遺跡。



※【農業の種子】
※ 農業をもたらす種子が1万年前に最初に蒔かれたかもしれない一方で、心の中に最初に蒔かれたのは、中部旧石器時代(8万年前~)から上部旧石器時代(約4万年前~)へ移行する時期のことである。(心の先史時代 スティーヴン・ミズン 青土社 P297)

※【植物と人間の社会的関係】
※ 動植物と社会関係を立てられるという能力は、実は農業が現れるかどうかを左右するものである。心理学者のニコラス・ハンフリーは、人が植物との間にもつ関係には、他の人ともつ関係と構造的によく似たところがあるという事実に目を向けた。彼の言うことを引用しよう。「・・・・・・植物は通常の社会的圧力には反応しない(人は植物に話しかけるが)が、植物が園芸家に与え、またそこから受け取るありさまには、まさに社会関係と言えるものと構造的に非常に近いものがあると筆者は言いたい。・・・・・・」(心の先史時代 スティーブン・ミズン 青土社 P295)



【農耕と牧畜】

 新人が全世界に広がると同時に新たなルールが発生します。気候の温暖化も手伝って農耕・牧畜が始まります。これが1万年前です。人間の力によって植物を育てることを農耕といいます。それと同じように人間の力で動物を育てていくことを牧畜といいます。

 この農耕と牧畜という2つはまったく違うようでいて、自然界のものを人間の作業によって作っているという点では同じです。植物を作るものを農耕といいます。動物を育てることを牧畜といいます。植物か動物かの違いだけで、どちらも人間が作っていくという点では同じです。違うのは、農耕がおもに女性の手で行われたのに対して、牧畜はおもに男性によって行われたということです。

※【農耕と女性】
※ 動物の飼育、牧畜のいとなみが、男性の狩猟生活のなかから生まれ出たように、植物の栽培、農耕は、女性の植物採集の活動の延長であり、発展であったと考えられる。(神話の話 大林太良 講談社学術文庫 P129)


※ 生産経済の開始は、世界女性史にとってもたいへん重要な意味をもっている。それは、一つには農耕の発明者自身が女性であると考えられることである。・・・・・・未開農耕民のところでは、開墾のような力仕事は男がやるのが普通であるけれども、そのほかの、種まき、イモの植えつけ、除草、収穫のような仕事はだいたいにおいて女性の手に委ねられている。(神話の話 大林太良 講談社学術文庫 P128)

※ 植物の栽培は、以前のものとは異なる傾向を持った分業を課した。というのは、それからは、生活の手段を確保することにおける主たる責任は、女性のものとなったからである。(世界宗教史1 ミルチア・エリアーデ ちくま学芸文庫 P69)

※【農耕と母系社会】
※ (アメリカ・インディアンのズニ族は)農業は男子の仕事で、親類の男たちがみんな集まり、順を追ってみなの畑を耕した。・・・・・・作るのは男性であるが、採れた物は女性の物と考えられた。・・・・・・畑も女の物であった。男は必要なら新しい畑を、いつでも焼きひらくことができるから、既成の畑は女にやっておけという考えであったらしい。・・・・・・過去においては狩猟が重要だったけれども、時がたつにつれて農業が中心になってきたものと思われる。しかし農作物がよくできない年は、狩猟が一時的に大切になった。(アメリカ・インディアン 青木晴夫 講談社現代新書 P148)

※ (アメリカ・インディアンのズニ族では)ヒツジは男性の物で父からむすこに伝えられた。これは畑が母からむすめへ伝えられたのと、大きな対照をなしていた。(アメリカ・インディアン 青木晴夫 講談社現代新書 P149)

※ (アメリカ・インディアンの)ズニ族の家系は女系中心であった。娘たちが結婚すると、その主人たちが移ってきて同じ家に住んだ。・・・・・・このため女性は生まれた家で一生をすごした。一軒の家にはまずおばあさんが住み、そのむすめさんたち、まごむすめたちが住み、これら女性のおむこさんたちが全部住み、その上に未婚の男子が住んでいた。時には一軒に住んでる人の数が、30人以上になることもあった。家は、畑と同じように女性の財産であったから、結婚した男性はよそ者扱いで、自分の家は生まれた家で、今住んでいるのは自分の家ではないという考えを持っていた。(アメリカ・インディアン 青木晴夫 講談社現代新書 P151)

※  多神教社会にあっては多産と豊穣こそが人々の願いであり、さらに再生への希望であった。それらを生み出すものは何よりも女性であった。女性だけが自然の営みで生命を創造することができる。女性原理こそがこの世に共通する根源である。そのことを古代人は熟知していた。(多神教と一神教 本村俊二 岩波新書 P199)

※ 宗教の歴史において、樹木崇拝とはおそらく、漁師と羊飼いの宗教(その神々はおもに動物である)と、農夫の宗教(その崇拝の形式では栽培される植物が主要な位置を占める)の、中間に位置するものとみなし得る。・・・・・・殺される神が穀物であったり、穀物を象徴する人間であったなら、その風習は農耕の段階にある社会に生き残っていた。(初版金枝篇 上 J.G.フレイザー ちくま学芸文庫 P349)


 今までは狩猟・採集の生活でしたが、ここからは農耕・牧畜という新しいルールの生活に入ります。ここでルールが変わったのです。何もない大地から豊かな食糧が実る。この食糧はどこからやって来たのか。当時の人々にとって不思議なことだったに違いありません。そのことは女性の胎内から新たな命が誕生することと似ています。性行為は農耕儀礼に結びついていきます。

 人間にとっては「意味を与える」ということが、社会を維持するうえで大事なのです。意味があって人は納得できるのです。納得できない意味は、意味ではありません。農耕に意味を見いだしうるかどうか、人はそういう試練に立たされます。
 




【女神の死】 しかしここで問題になるのは、農地を開くためには、まず木を切り倒し、土地を掘り起こさなければならなかったことです。何が問題だろう、と思うでしょう。動物に心があるように、木には精霊が宿り、大地には神が宿っているんですよ。彼らはそれを恐れたのです。

 先日、私の知り合いの一級建築士がこんなことを言いました。「ビルを建てるために大木を切り倒してから、どうも体の調子が悪い。地鎮祭に会社のトップの代わりにオレが出たら、オレの体調が悪くなった」と。
 するとそれを横で聞いていた別の友人はこう言いました。「建築関係者からはよくそんな話を聞くよ。早くお祓いに行った方がいい」と。
 21世紀の現代でも、これは当事者にとっては切実な問題なのです。建築の現場では、今も木を切り倒すことに対して、心理的なリスクがつきまとっているのです。

 現代でもそうであるなら、古代人にとって農耕開始のハードルはもっと高いのです。現代人でもお祓いに行くように、古代人にとっても木の精霊を鎮め、大地の神を鎮める、新たな呪術が必要なのです。これはそれまでの自然に対する考え方を変えていくものです。
 多くの神話のなかでは、大地の女神を殺すことによって農耕が始まっています。このことが人間にとってどういう意味をもったのかまだよく分かっていませんが、このことは神々の許しをえて狩猟・採集の生活をしていたそれまでの人間たちと大きく違うところです。
 神を敬い、悪魔を恐れることは、人間にとって本質的なことだと思います。

※【女神の死】
※ 農業をやれ、といわれた時、インディアンたちは、アメリカ政府の代表者たちに、「大地はわれわれの母親だ、母の皮膚に傷をつけることは出来ない」という表現で、農業を拒否したことが何度もある。(アメリカ・インディアン 青木晴夫 講談社現代新書 P218)

※ 蛮人にとって、世界は概して、動物のように生きているものであり、樹木もその例外ではない。蛮人は、樹木もまた人間のように魂を持つものと考え、またそのようなものとして扱う。たとえば東アフリカのワニカ族は、すべての木、とりわけすべてのココヤシの木は、を備えていると考える。「ココヤシの木を殺すことは母殺しと同じと考えられている。なぜならこの木は、母親が子どもにするように、生命を与え栄養分を与えるからである」。(初版金枝篇 上 J.G.フレイザー ちくま学芸文庫 P97)

※ それ(農耕)は、新石器時代以前の人々の精神世界を根本的に変革する、価値の創造と転倒をひき起こしたのである。・・・・・・
  相当広範に見いだされる主題は、芋類や果樹は殺された神から生じたと説明するものである。そのもっとも有名な例は、ニューギニア沖の島のひとつ、セラム島の神話である。それによれば、ハイヌヴェレと呼ばれる半神的少女の、切断され、埋葬された死骸から、それまで未知であった植物、とくに芋類が生まれた。この原初の殺害は人間的条件を根本的に変えた。というのは、それが性と死を導入し、依然として生きている宗教・社会制度をはじめて確立したからである。ハイヌヴェレの非業の死は、「創造的」死であるのみならず、人間の生においても死においても、この女神をつねに現前させる。女神の死骸から生じた作物から養分を得ることは、実際、神性の本体から養分を得ることなのである。・・・・・・
 耕作民が殺害を、自分の生存を保証する、すぐれて平和な仕事と関連づけているのにたいして、狩猟民社会では殺害の責任を他人、「よそ者」に負わせていることは、意義深いことである。狩猟者は次のように理解される。彼は殺した動物(より正確にはその霊)の復讐を恐れるが、動物主の前で自分を正当化する。初期栽培民のほうは、原初の殺人の神話が、人身供犠や食人儀礼のような流血の儀礼を正当化しているということはたしかであるが、その最初の宗教的文脈を確定することは困難である。・・・・・・
 食用植物は、神の身体(排泄物や汗も、等しく神の実体の一部を成す)から生じたのであるから神聖である。食事をすることによって、人間は、つまり神を食べているのである。食用植物は動物のように、世界の内に「与えられている」のではない。それは原初の劇的事件の結果であり、この場合は、殺害の生み出したものである。(世界宗教史1 ミルチア・エリアーデ ちくま学芸文庫 P69~71)

※ アッサムのミリ族は、休閑地がある限り、農耕のために新たに土地を開拓することはしない。不必要に木々を伐採して森の霊たちを怒らせないようにである。(初版金枝篇 上 J.G.フレイザー ちくま学芸文庫 P101)

※ 大事なことは、女神が殺されることを契機として農耕が始まっていることである。(神話の話 大林太良 講談社学術文庫 P142)

※【農業の生贄】
※ かつてグアヤキル(エクアドル)のインディオたちは、畑に種を蒔く際に、人間の生き血と男たちの心臓を捧げ物とした。メキシコの収穫の祭りでは、その季節で最初の実りが太陽に捧げられる際に、ひとりの罪人が、互いに立てかけられてバランスを保っている二つの巨大な石の間に入れられ、石が一度に倒れる時に押し潰された。遺体は埋められ、その後宴と踊りが始まった。(初版金枝篇 上 J.G.フレイザー ちくま学芸文庫 P518)

※【豊饒の祈り】
※ 未開人にとって、何かが魔法のように姿を変えるということはごく普通に信じられる事態であるから、穀物霊は穀物という住処から追い出されるのだ、手鎌で刈り倒されてゆく最後の区画から、動物に姿を変えて逃走していくのだ、という考え方はきわめて自然に導き出される。(初版金枝篇 下 J.G.フレイザー ちくま学芸文庫 P43)


 人は、時間の推移に耐えうる意味のなかでしか生きられないのです。もしそうでないと、獲得した重層的思考や流動的知性、または認知的流動性が壊れてしまいます。新人は、獲得した重層的思考のなかで、思考の領域同士がバランスを維持しながら生きてきました。このバランスが取れなくなったときが人間の危機なのです。なぜなら、相互の思考のバランスが取れず、どれか一つの心的エネルギーの制御が効かなくなってしまうからです。
 頭のなかの複数の領域で、多くのことを同時に考えている人間は、その考えていること同士の相互のバランスを取ることに、非常に多くのエネルギーを費やしています。それは動物の比ではありません。人間が知的探求がおもしろくてやめられなくなるのは、このバランスを取るためなのです。


 詩的思考もこのことと結びついています。詩を読んで心が落ち着くことは多くの人が経験することです。たとえば、詩人の三好達治が「乳母車」で、「母よ 私の乳母車を押せ」というとき、押そうとしている母は、母ではない。母に託した別のものです。押して欲しい乳母車は、乳母車ではない。それは乳母車に託した何か別のものです。しかしそれが何であろうと、意味を感じて納得したときに、心の浄化や安定が生まれます。その何か分からないものが、究極的な根源にまで近づこうとすると宗教的思考になります。こういう心の動きは非常に大切なことです。
 なぜなら、このバランスが崩れると、人はその苦痛に耐えられず、心を病むことになるからです。壊れた機械が暴走するように、壊れた人間も暴走します。人は意味づけに失敗すると、破壊的な行動を取ります。

 多くの犯罪者は悪いと知って犯罪を犯すものですが、人が重層的思考全体の意味づけに失敗した場合、自分勝手な意味づけを行い、人を殺すことさえ正当化できるようになります。そのことは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読めば分かることです。彼は言いました、「神がいなければ、すべてが許される」と。人間の重層的思考のすごさや恐ろしさは、そのようなことを正当化する思考を、包括的に思考全体に対して行うことができることです。
 現代社会のなかで起こっている様々な悲惨な事件は、多くの人が心を病んでいることを理解するには十分ではないでしょうか。
しかし、そういう苦悩からまた新たな宗教が生みだされていきます。

※【宗教的思考】
※ 思考について考える思考というものが、こうして流動的知性がニューロン間を活発に動き出すのと同時に、私たちの脳の内部に活動をはじめるのです。それは具体的なイメージに縛られることなく活動できる知性ですから、それ自体では形も色ももたない「抽象性」を本質としています。しかもそれは、脳内をダイナミックに運動していきますから、とてつもない力動性にあふれています。あらゆる思考がこの流動的知性から生まれてくるのですから、それは根源的なものです。心の働きの根源に、心を超越したもの、思考や感覚がとらえることのできる領域を超えたものが動いている。この直感から宗教的思考が生まれ出るのです。(カイエソバージュ4 神の発明 中沢新一 講談社選書メチエ P60)


※【神話による意味づけ】
※ いかなる民族であれ、それがある風習を守るのは、かつて神話的な存在がしかじかの行いをしたと語られているからではない。むしろその逆であって、すべての民族は、自分たちがある種の風習を守っている理由を説明するために、神話を作り出すのである。(初版金枝篇 下 J.G.フレイザー ちくま学芸文庫 P158)

※ 宗教の歴史は、古い風習を新しい理性と和解させるためのーー不合理な慣習に確固たる理論を見出すためのーー長年にわたる試みの歴史である。・・・・・・神話のほうが風習よりも現代に近いものである。(初版金枝篇 下 J.G.フレイザー ちくま学芸文庫 P71)


※(●筆者注) 詩的思考と宗教的思考は似たところがあるが、それらは脳内の思考のパーツを重層的に行き来して全体像をとらえ、その全体像に意味を与えるものである。そこに矛盾があれば、その全体の意味が破壊される。各パーツは鍋とフタのように相補うものでなければならない。そこに矛盾が生じると、鍋の水を温めることができず、人格が破壊される。人間が他の動物と違うところは、衣食住を奪われることの他に、この人格を奪われることによっても死に至ることである。今のところ、思考全体に意味づけをなしうる思考は宗教的思考以外に見いだされていない。宗教的思考は思考全体を重層的にとらえることにもっとも適している。しかし、それ以外に思考の重層的把握の仕方がないのかどうかは、誰も確かめた者がいない。


 大地の女神を傷つけたというイメージを払拭するため、農耕による新たな収穫は、性行為による新たな命の誕生になぞらえられるようになります。農耕は、女神を傷つけることではなく、女神と性交することだ、という解釈に変化していきます。農耕は、性行為による女神を喜ばせる行為に変わるのです。
 植物が実をむすぶことは、われわれも小学校の時に習った雄しべと雌しべのことですから、そのことはあながち的外れではないわけです。でも古代人はそんなことは知らないでしょうから、何か直感的な類推によって両者を結びつけたのでしょう。

 そのことによって、ここで男女間の性行為が神聖なイメージをともなったものに変わったのだと思います。そしてそれが宗教儀礼によって表現されていきます。

 その儀式を誰が執り行うのか。グループのリーダーか、もしくはシャーマンがそれに選ばれたのでしょう。彼は責任重大です。みんなの命がそのことにかかっているのです。失敗すれば命を取られますが、しかし、もしそれがうまくいけば、彼は絶大なる信頼を集めます。そして植物が実ることは自然の摂理ですから、彼らの性交儀礼は多くの場合、成功することが多いのです。
 ここから絶大な王権が誕生します。つまり農耕の成功とともに、王権が発達してくるのです。そして農耕の成功の原因は、王の性交の結果もたらされたものだと考えられたのです。


※【農耕と聖婚儀礼】
※ 農耕民の宗教においても、穀物の起源は同様に神聖である、とつけ加えておこう。人間に対する穀物の恵与は、(もしくは大気)の神と地母神の聖婚(ヒエロガミー)、あるいは性的結合、死、復活を含む神話劇に往々にして関係づけられているからである。(世界宗教史1 ミルチア・エリアーデ ちくま学芸文庫 P69~71)

※ 農耕の発見の、最初の、そしておそらくもっとも重要な結果は、旧石器時代の狩猟民の価値に危機を招来したことである。・・・・・・それまでは、骨と血液が生の本質と聖性をあらわしていたとすれば、その後、それらを体現するのは精液と血液である。
 それに加えて、女性とその聖性は最上位に高められる。女性は植物栽培において決定的役割を果たしたので、耕作地の所有者となる。それが女性の社会的地位を高め、さらに、たとえば夫が妻の家に住まねばならない妻方居住制のような、特色ある制度を創ることになる。・・・・・・耕作地は女性にたとえられる。後代の鋤の発明後、農作業は性行為になぞらえられる。・・・・・・(世界宗教史1 ミルチア・エリアーデ ちくま学芸文庫 P72)

※ 女性と母性の聖性は、たしかに旧石器時代にも知られていなかったわけではないが、農耕の発見はその力を著しく増大した。性生活の聖性、とりわけ女性の性的特質は、創造の神秘的謎と一体となる。処女生殖、聖婚、オルギー儀礼(陶酔的儀礼)は、性の宗教性を相異なる次元で表現している。人間・宇宙的構造をもつ複雑なシンボリズムは、女性と性を月のリズム、大地(子宮に同化される)、ならびに植物の「神秘」とよぶべきものとに結びつける。それは、新生を保証するために種子の「死」を要求する神秘である。(世界宗教史1 ミルチア・エリアーデ ちくま学芸文庫 P73)

※ (メソポタミアの)ウル第三王朝時代からイシン第一王朝時代(前2017~1794年頃)にかけて、高位の女神官が豊穣の女神イナンナに、が植物神で女神の恋人とされるドゥムジに扮して、交合を含むさまざまな儀式がおこなわれ、おおらかに性の歓喜を歌う「聖婚歌」が作られた。日本の古代にも、男女が集まり、歌いかけ、自由に交わった歌垣という祭りがあり、田植え神事などとかかわりがあったとされる。(シュメル 小林登志子 中公新書 P78)

※ 「聖婚儀礼」は男女の交合により、混沌から秩序を回復し、不毛を豊饒に変えることなどを意味する。シュメルだけの特異な儀礼ではなく、世界中で広く見られる。シュメルでは女神官が「聖婚儀礼」をおこない、豊饒がもたらされると考えられていた。「聖婚儀礼」は元日におこなわれた。元日の持つ意味は現代日本では薄れてしまい、単に1年の最初の休日となってしまっているが、シュメルのみならず古代社会では元日は宇宙の始まりに重ね合わされる日、つまり新しい生の循環が始まる日であった。(シュメル 小林登志子 中公新書 P75)


続く。


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