日曜日
19世紀イギリス、自由主義の流行。
政治的な自由とともに、
経済的な自由が正当化された。
経済的な自由とはお金のやりとりのことである。
そしてこの自由なお金のやりとりは、強者に都合のよいものである。
買いたい者がいるからそれを売って何が悪いんだと言われれば、なかなか反論できない。
自由な金のやりとりは正しいのだ。
押し売りでも強奪でもなく、お金が介在する物の取引は、一見すると非常に合法的である。
お金は一見平等に見えて、実は強い者の味方である。
政治的な自由は弱い者の味方であるが、
経済的な自由は強い者の味方である。
イギリスでは政治的な弱者が、経済的な自由のもとに強い者の味方をするという構造を確立していった。
だから選挙権の拡大とともに、自由貿易が支持された。
たとえ僅差であろうと、イギリス議会は中国へのアヘンの密売を承認した。
ここにイギリスが求めた「自由」の本当の意味が隠されている。
近代史の歴史的論証に必要なのは、この「自由」のもつ論理構造である。
しかし、前にも書いたが、イギリス史にはこのアヘン戦争が出てこない。イギリス史として書かれていないのである。
中国史の一部としてしか書かれていない。
このことは何を意味しているか。
イギリスの論理で考えなければならないものを、中国史として書くことにより、歴史の論証を思考停止にしてしまうのだ。
アヘン戦争は中国の論理で考えるべきものではなく、あくまでイギリスの論理として考えるべきものだ。
それは「自由」を考えるときに、避けては通れないものである。
この避けてはならないものを避けているのが、イギリスの近現代史である。
経済的な自由は強者の味方である。
この強者の味方に、政治的な弱者をいかに引き込むか、そのことに成功したのがイギリスである。
他方、アイルランドでは、ジャガイモ飢饉により、大量の餓死者とアメリカへの国外移民をだした。
政治的な自由が、経済的な自由のために使われたのである。
19世紀の近代イギリス史の書き方は巧妙である。
政治的な自由の成功のみが賞賛されている。
経済的な自由の負の側面は、うまくごまかされている。