ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい。
2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

授業でいえない日本史 42話 現代 ミッドウェー海戦~敗戦

2020-08-26 01:00:00 | 旧日本史5 20C前半
【東条英機内閣】続き
太平洋戦争という名前ですけど、もともとは大東亜戦争なんですけれども、戦後は太平洋戦争というんです。しかしこれまで説明してきたように、もともとはアメリカとの戦いではなかったから、最近ではアジア太平洋戦争ともいいます。いま太平洋戦争は、アジア太平洋戦争という言い方がだんだん多くなってきている。
もともとは日中戦争だから、アジアをつけないとどこかおかしい。アメリカとばかりやっていたんじゃない。真珠湾、真珠湾というけれども、真珠湾攻撃の時も、同時にシンガポールとか、インドネシアとか、フィリピンとか東南アジアに軍を進めています。真珠湾攻撃は日本海軍だけの動きです。東南アジアには、オランダの植民地、、イギリス植民地、アメリカの植民地、フランスの植民地、いっぱいある。そこで戦っているわけです。


【ミッドウェー海戦】 当初半年はよかったけれども、逆転される。これは、予想されたことです。短期決戦しか勝つ道がないだけでも、その短期決戦が無理になったのが、6ヶ月後です。
開戦は1941年12月です。次の年1942年6月に、ミッドウェー海戦がある。太平洋上でやって、ものの見事に敗北した。この裏には日本の暗号がすべて読まれていた、という事情がある。だから何時何分に、日本はこうする、とアメリカは全部知ってる。
大敗北なんだけれども、ここから日本では報道統制がかかる。マスコミ統制が効いていますから、負けは伝えない。伝えないのは、ウソ言ったことにはならない。伝えなければ分からない。たまに勝ったことだけ伝えるから、ほとんどの人は敗戦直前になるまで、日本が負けることを知らないです。ニュースをみて日本が負けると思った人は、日本人に100人に1人もいないですね。あとの99人は、日本ずっと直前まで、私の母も、このとき二十歳前ですが、知らない。ほとんどの人間はそれを知らない。

そのなかで国内体制は、政党がない翼賛選挙ということをやって、自由に立候補できない。政府が推薦した候補者しか立候補できない。そういう状態になる。


【スターリングラードの戦い】 海の向こうのヨーロッパでは、ドイツとイギリスが戦っています。ドイツはソ連とも戦っています。ドイツの快進撃がストップされた戦いが、やはり1942.8月スターリングラードの戦いです。今は名前を変えてボルゴグラードという都市になっています。

次の1943年になると、アメリカ優勢の中で、アメリカは頭いいから、日本がずっと南に前戦を伸ばしてる。そういう時に、日本の戦艦と戦うよりも、日本と戦うためには、兵站といって、軍需物資を輸送する必要があるんですね。その輸送経路をプツッと切るだけでいい。これが潜水艦作戦です。
だから日本の南洋諸島にいた兵隊さんは、君たちと同じ年齢ぐらいの人たち、鉄砲があっても、弾がない。その上にだんだん食い物が、届かなくなる。非常に悲惨な状態で負けていくことになる。こういったことも、何時何分、どこの海峡を通るという、暗号が読めないとなかなかできない。アメリカは暗号を読むんです。


【劣勢】 日本の劣勢は明らかになり、1943.2月、日本軍はガダルカナル島という南方の島を撤退します。これが日本が勝てない、ということがはっきりした。日本の勝算の見込みが消滅したんだけど、このときも敗退と言わずに、転進とかいう不思議な言葉を使う。
そうすると庶民は、忙しいから新聞の見出しだけ読んで、中身を読まない。転進して進んでいるんだから、勝っているんだと思う。

例えば、敵機3機撃墜と見出しで書いて、ずっと読んでいくと、一番最後に我が方の損害は10機であった、これは負けている。でもみんな気づかない。某新聞などは、そういうことをやっていくんです。

一番、人気が高かった海軍の山本五十六元帥、
「してみせて いってきかせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」
これけっこう有名な歌です。
1943.4月、南方ニューギニア島の東あたり、島から島へと飛行機で飛ぶ予定のところを、敵機に発見され、撃墜されて死亡です。こんなところでめったに敵機と遭遇しないです。国のトップが。暗号がすべて読まれてる。狙いうちです。こんな広い大空のしたで、小型飛行機が飛んでいるのを、アメリカがなぜ分かるのか。動きが読まれているわけです。


【学徒出陣】 だんだんと働き手がいなくなって、学生は、もう授業はいい、軍需工場に手伝いに行け、これが学徒動員です。これが1943.6月です。
さらに、だんだんと戦う兵隊が少なくなって、ついには学生に、戦争に行け、ということになっていく。それまで学生は兵役を免除されていたけれども。半年後の1943.12月には、学徒出陣です。戦争に行け。学生にも赤紙が来る。赤紙というのは分かりますか。召集令状です。赤い紙に書かれていたから。


【大東亜会議】 ただ日本の仲間もある。それはイギリスやオランダに植民地にされてる地域とか。こういったタイ、フィリピン、ビルマ、インドなどの地域の代表を集めて、大東亜会議という国際会議を開きます。1943.9月です。そこで共存共栄、独立を目指すぞ、と宣言するんだけれども、同じ月には同盟国のイタリアは降伏している。

日本はこのあとまだまだ2年戦う。今まで無条件降伏などなかったです。しかし、負けたからには何でも言うことを聞け、と無条件降伏を要求された。何をされるかわからんから、降伏できない。最終的にはも原爆を落とされて、相手の要求を飲まざるをえない、ということになっていく。


【疎開命令】 そういう悲惨な状況の中で、空襲が来るのは、田舎よりも都会です。都会に住む人たちの命にも危険が迫る。東京大空襲、大阪大空襲、博多もやられてます。山笠がある中心地とか。それで地方に引っ越そうとする。これを疎開という。でも事情があってなかなか引っ越せないと、子供たちだけは、安全な田舎に引っ越させようとする。親元を離れて学童疎開をさせる。


【インパール作戦】 日本の方は、次、中国軍ともずっと戦ってます。アメリカだけじゃなくて。その中国軍の武器弾薬は、全く不足にならない。豊富にもっている。これが援蒋ルートです。イギリス、アメリカが、中国を援助している。密林の中を。
それを断ち切るためにもビルマ方面に日本軍が侵攻する。
しかしこの作戦が1944.3月からのインパール作戦といいます。しかし、ものの無残に負けます。ひどい戦いです。ここでの、戦いというのは、食い物がないどころか、水がない。水がないときに、密林の中でもう、不衛生な中で、たまに小川が流れていると、兵隊は、上官の命令を無視して、走っていって水をガブガブと飲む。どうなるとおもいますか。頭を川に突っ込んだまま死ぬんですよ。急に水をガブ飲みすると。何日も水分が欠乏状態で、ゴクゴク飲んで、そのまま動かなくなる。

それが、1ヶ月後に別の部隊がまた来て、川に青々と海藻がただよっている、といって近づいてみると、白骨化した1ヶ月前の兵隊の髪の毛が、川の水面に漂って海藻のごとく揺られている。そんな戦いです。
腹が減ったときには、だんだん頭やられてきて、腕に傷があると、意識朦朧となって、メシ食いたい、腹減ったとか、わけ分からないことをいいながら、おいしいおいしいといって、米粒を食べている。腕からとって。ウジ虫です。傷口にウジ虫がわいて、それを米粒と思って、おいしいおいしいと食べ出す。そして死ぬ。戦争映画で見る勇ましい世界と違うんです。ぜんぜん悲惨さが違う。


【サイパン陥落】 東京空襲が可能になるきっかけとなったのが、南のサイパン島の陥落です。1944.7月です。いくらなんでも、B29戦闘爆撃機が爆弾を積んで、ニューヨークから東京まで太平洋を横断して爆弾を落として帰る、なんてことはできないです。
フィリピンからだいぶ東のサイパン島を米軍が占領して、まず滑走路を作る。
そこは往復可能だから、そこからB29戦闘機を東京に向けて出撃させる。往復可能な射程距離になると空爆ができる。空爆は無差別です。ここから本土爆撃が始まる。
無差別爆撃の始まりです。兵隊で死んだ人よりも、日本は非戦闘員つまり普通の庶民のほうが多い。何十万も死んでいく。
サイパン島が陥落したこの1944.7月に、東条英機内閣は総辞職していく。


【ブレトンウッズ会議】 まだ戦争が終わってない。ここからあと1年戦争は続きますが、戦争が終わらないうちから、勝ったあとのことをアメリカは相談し始める。手回しが良すぎるほどいい。このことは3年前の大西洋憲章の時からそうです。大西洋憲章では戦う前から計画を練っている。ここでは、戦争が終わる前から、戦後の世界の通貨体制の計画を練っています。そして戦争が終わったときには、すべて決まっています。それほど手回しが良いのです。こういうところにアメリカの意図を見ることができます。通貨政策と金融政策は相通じるものですが、アメリカの動きにはアメリカ金融界の動きが見え隠れします。


この会議をブレトン=ウッズ会議といいます。ブレトン=ウッズというのはアメリカの地名です。ここで1944.7月に会議が開かれました。これは、日本に原爆が落ちるよりも1年以上前です。戦後の通貨体制は、ここですでに決まります。

もともと戦争前の世界の通貨体制は金本位制で、ドルであろうが円であろうが、本物のお金である金と交換できました。しかしアメリカは第二次世界大戦中に、金を一人占めするほど集めています。世界の半分以上の金がアメリカに集まってきて、それにともないアメリカ通貨のドルが一躍、主要通貨になります。

ここでドルはほかの通貨のワンランク上の通貨になる。金はドルでしか買えないことになる。金はドル以外の通貨では買えなくなる。これを金ドル本位制というんですけれども、日本にとって、円では金を直接買えなくなる。
日本人が本物のお金である金を手に入れるためには、円をドルに交換して、このとき手数料が発生して、その手数料はアメリカの銀行に入る。そのドルでもって金と交換する。そういう二度手間をしないと、買えない。イギリスのポンドでも同じです。こうやってドルが世界の基軸通貨になる。アメリカの狙いはこれだったのです。戦後、ヨーロッパは植民地を失って没落していきますが、そのなかでアメリカだけが繁栄を極めていくようになります。そこにはアメリカの軍事力もさることながら、世界の基軸通貨の地位を手に入れたドルの威力が大きくかかわっています。


のちのことを言うと、ちなみにこのドル基軸体制は約30年続いたあと、1971年にストップします。これがドル・ショックです。ドル・ショックで壊れた。ドルと金は交換できなくなります。
こうなればドルももとの地位に落ちないといけないはずです。金とドルのリンクが切れたら、ドルが基軸通貨の位置から落ちなければならないはずですが、不思議なことにドルはそのままです。そういう理屈にあわないことが起こる。これは今も続いています。
戦後、ドルが世界の基軸通貨になった理由は、ドルでしか金は交換できないというのが理由でした。それが交換できなくなったら、ドルが他の通貨の上にいる理由はない。
それにもかかわらずドルが主要通貨の地位にとどまっているのは、アメリカの軍事力があるからです。軍事力を基盤にした政治力があるからです。その影響をいちばん強く受けている国はどこでしょうか。戦争終結時には、そういう体制が、すでに決まっていたということです。




【小磯国昭内閣】
東条英機内閣が総辞職して、陸軍大将であった小磯国昭内閣1944.7月に成立します。


【フィリピン戦】 1944.7月です。いよいよ戦争末期、あとは日本はなす術もなく、フィリピンを奪われます。もとフィリピン総督がマッカーサーです。彼が日本が負けたあと総司令官となって日本を占領する。今の日本国憲法の原案もマッカーサー草案という。


【神風特攻隊】 日本は、1944年10月から、神風特攻隊の出撃が始まる。自由志願とは言っても、生き残った人たちによると、とても断れる雰囲気ではなかったという。手を上げたい人、と言われて、そういうけどあれは手をあげさせられた、とみんな言う。断られない。体当たり攻撃です。100%死ぬ作戦です。これだけは人間の歴史上ないです。
いくら戦争でも、勝ち負け五分五分の作戦をやるんです。負けても4分6ぐらいです。100%死ぬ作戦は作戦としてありえない。これを誰が発案したかは、よく分からない。


彼らは戦争中、「軍神」とまで崇められる。ところが戦争が終わると一転して「この特攻崩れが」と罵られるようになる。この戦後の日本人の変わり身の早さを、ある特攻隊員は「18才のあの屈辱を一生忘れない」と言っています。その屈辱は、自分が特攻隊員であったことへの屈辱ではありません。戦後の日本で味わった屈辱のほうが彼の心の中に消えがたく残るのです。


【東京大空襲】 1944.11月から東京にも空襲が始まる。4ヶ月後の1945.3月、東京大空襲です。一夜で死者10万。東日本大震災が約3万だったから、あの規模を3倍越える。


【沖縄戦】 それで日本に攻めてくるときに、まずは近い所、アメリカはすでにフィリピンを持ってますからね。フィリピンから、アメリカ艦隊は南のほうから来て、まずは沖縄を攻める、ということです。1945.4月沖縄戦です。

余談ですが、そのころ私の父は兵隊として鹿児島にいました。高校を卒業したばかりで、そこで「穴掘り」ばかりしていたと言ってました。帰ってきたのはその年の9月の終わり。1ヶ月も何していたのか、と私が聞くと、オレたちは戦争が終わったと知らされていなかった、それどころか沖縄が取られたら次は鹿児島の志布志湾だといわれていたから上陸すると信じていた、と言ってました。「穴掘り」とは何のことか分からなかったのですが、最後の決戦用の地下壕を掘っていたのです。そして1ヶ月ぐらいずっと、臨戦態勢で戦う準備をしていた。本当に11月1日に決戦が予定されていたことを、つい最近NHKのテレビ放送で知って驚きました。父はその予定された決戦の日にちまでは知らなかったようです。
1ヶ月ぐらい経つと、ホントに日本は負けていて鹿児島には上陸しないことが分かった。マッカーサーは東京に行ったから、これはホントに負けたということがやっと分かった。帰還命令が出て、列車に長い時間ゆられて地元の駅に降り立つと、周りの家が空襲で焼けていた。その焼け跡を見ながら家にたどりついたことを、まるで昨日のことのように話していました。それから1年間、何もする気が起きなかったと言ってました。
私が子供のころの父は、誰に言うともなく「日本は敗戦国だ、敗戦国だ」と言ってました。それは子供心に妙に私の耳に残っていますが、私が中学のころからピタリと言わなくなりました。そのことは私が大人になってから、それもだいぶ後になって気づいたことです。

また農業をしていた私の叔父は海軍兵でしたが、戦後、海軍の短刀を家のタンスの奥に隠していました。私は子供のころ、それを従兄弟から「誰にも言うなよ」と言われながら見せてもらったことがあります。朝の光が差し込む部屋で、その短刀のサヤを抜いたときのキラリとした輝きを今でも忘れることができません。

叔父が亡くなって叔母が遺品を整理しているとき、タンスから海軍の短刀が出てきたといって、ちょっとした騒動になりました。叔父は叔母にもそのことを話していなかったのです。
戦争中、その叔父の戦死通知が届いたことがありました。乳飲み子を抱えた叔母が途方に暮れていると、そこに叔父が帰った来たそうです。あとで事情を聞くと、叔父は軍艦に乗って出航する予定だったのが、急に休暇命令が出て帰ってきたそうです。乗るはずだった軍艦は出航するとすぐ攻撃され、沈没したそうです。叔父の代わりには他の人が乗り組みました。それが何かの手違いで叔父の戦死通知となったのです。マジメで無口な叔父でしたが、戦後しばらくは酒を飲むと手がつけられなかったといいます。




【鈴木貫太郎内閣】
1945.4月、海軍大将から枢密院議長になった鈴木貫太郎が首相になります。この内閣が終戦を決定する内閣になります。しかし陸軍は本土決戦論です。とことんやろうとする。無条件降伏だぞ、何されるか分からんぞ、それぐらいだったら1億玉砕だ、と。玉砕とは死ぬということです。当時1億が日本の人口ですから。
しかしこの首相は、それはあんまりだろう、軍人以外の民間人まで全員玉砕したら日本はどうなるか、生きていたら可能性はゼロじゃないじゃないか、と言う。日本の可能性は、ホントにかすかな可能性です。



【日本の敗戦】
【カイロ会談】 日本の敗戦の1年以上前から、アメリカは着々と戦後世界の準備を行ってます。

1943.11月エジプトでカイロ会談が行われます。敗戦の2年も前のことです。アメリカ大統領ルーズベルト、イギリス首相チャーチル、中国は蒋介石の3人の会談です。
日本が負けたあと、どうやって分割しようか、ということです。いま問題の北方領土は入ってないということにも注意してください。ここにはソ連は入ってないから。


【ヤルタ会談】 次はソ連の南方の避寒地・・・・・・冬場に温いところです・・・・・・ヤルタというところで1945.2月ヤルタ会談が行われる。アメリカのルーズベルト、イギリスはチャーチル、ここで初めてソ連のスターリンが入ってくる。ルーズベルトはスターリンと手を組みます。


何が決められたか。公表されたことは当てにならないです。公表されない約束がある。こういうことは今でも結構あります。戦後になってから分かった秘密協定です。ソ連の対日参戦が決定される。
これ聞いて、アレッと思う人、いませんか。これは何がおかしいか。日ソには何があったか。中立条約があったでしょ。日ソ中立条約が。矛盾してる。つまりあんな条約は無視だ、ということです。
この3ヶ月後の1945.5月には、ドイツのヒトラーも無条件降伏をしていく。


【ポツダム宣言】 日本はまだ無条件降伏は飲めない。1945.7月、連合国がドイツのポツダムを占領し、そこで出した宣言がポツダム宣言です。
この時にルーズヴェルトは死にます。ガンだったということです。こんな肝心なところで死ぬかなあとも思います。自動的に副大統領のトルーマンが次の大統領になっています。トルーマンチャーチルスターリンの話し合いです。
大統領が変わり、ここで方針が変わる。ルーズベルトはソ連のスターリンを仲間として呼び込んだ大統領です。トルーマンは、逆にスターリンが大嫌いです。ソ連が大嫌いです。これが戦後の米ソ冷戦につながっていきます。

理屈からいうとトルーマンのほうが分かりやすいです。資本主義と社会主義をうまくやれるわけがない。では、ルーズベルトがなぜスターリンと手を組もうとしたのかが、よく分からない。経済体制が違って、あとで対立するのは目に見えてるようなものなのに。
ただソ連には日ソ中立条約があるから、ソ連は表に出られない。だから発表したときにはソ連を隠して米英中の名前で出す。
だから日本はここにソ連が入ってるなんてことは知らない。ソ連がこのあと対日参戦し、満州に攻め込むことなど、日本では誰も知らない。

それどころか、日本の軍部はどうにかアメリカと停戦するための仲介役をソ連に頼んでいる。ますます情報筒抜けです。
日本は、日ソ中立条約は、オレも守るから、ソ連も守るはずだ、と思っている。そこがこの第二次世界大戦では通用しない。ちょっと悲しくなる世界です。


【敗戦】 相変わらず軍部は本土決戦論です。一億玉砕論です。
しかし1945年8月6日、まず一発目、アメリカが原子爆弾を広島に投下します。
これを見てソ連は、はやく終わってもらったら困る、オレが戦争に参加したあとに降伏してくれ、というのがソ連の対日参戦です。
その2日後の8月8日に、突然、ソ連が対日参戦して満州に侵入してくる。
そしてその翌日の8月9日に、2発目の原子爆弾を長崎に投下する。
こういうふうに日付がほぼ連続しているのは、たまたまじゃない。アメリカとソ連との戦後の日本利権に対する分捕り合戦が始まってるのです。アメリカも、ソ連が日本に侵攻する前に早く戦争を終わらせたいのです。

鈴木貫太郎は8月15日に、ポツダム宣言を受諾した。「耐え難きを耐え」という玉音放送がラジオで流されます。玉音の玉とは何なのか。玉というのは何ですか。天皇です。天皇の肉声が流れる。日本人はこのとき天皇の声を始めて聞いた。
鈴木内閣にとっては、陸軍と対立する中で、これも一種の作戦であって、天皇の声を録音して、東京渋谷のNHK放送局に持ち込むまでは、妨害する軍人がわんさかいる。だから本当に流れるかどうか半信半疑です。隠し持って12時直前にNHKにサッと飛び込んで、流してくれ、流れた、これで作戦成功です。無条件降伏とか、そんな降伏条件はありえない、という軍人がけっこういるんです。
こういう手段でないと、なかなかまとまらないです。これで日本は無条件降伏で負けました。無条件降伏は、ポツダム宣言には「日本軍の無条件降伏」となっていて、「日本の無条件降伏」とはなっていません。たった一文字の違いですが、この違いは絶大です。しかし占領軍はこの一文字の違いを完全に無視していきます。




【東久邇宮稔彦内閣】
負けたあとの内閣は、総理大臣を誰にしていいか分からないから、皇族内閣です。東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)内閣という。敗戦処理の手続きのための内閣です。1945.8月から1945.10月までの2ヶ月間の内閣です。


【マッカーサー】 そして勝った国はアメリカ、イギリスなどの連合国です。本当は、アメリカだけものではないんだけれども、もうあとは早い者勝ちです。1945年8月30日に、マッカーサーが神奈川の厚木飛行場に降り立つ。サングラスかけ、コーンパイプを加えて。

新聞をみていると、この日から3日ぐらい新聞は発行されてない。国民に情報がシャットアウトされます。明らかに8月30日までの日本の新聞と、それ以降の新聞は書いている内容が違う。
何が起こったのか。まず報道を押さえている。新聞社です。報道で伝えていい報道を全部、検閲していく。情報は、これほど変わるものなのか、というほど。
今までは鬼畜米英と言っていた。鬼畜米英は分かりますか。犬畜生の畜、鬼畜というのは鬼の畜生です。米英はアメリカとイギリスです。それがマッカーサーが降りたって、3日たったら、マッカーサー元帥さまと変わっていく。ものすごい変わりようです。戦争に負けということはこういうことなんだ、と思います。それほど一気に変わります。

だからこの頃のことは、私が小学校のときには戦前から戦後にかけて学校の先生を続けられいた先生がいっぱいおられましたが、なかなかその頃のことをしゃべられなかったです。変わり方が、あんまり早くて。
というのは、1945年8月まで言ってたことと、翌月の9月から言うことは、まったく違うんです。その当時のことは、しゃべりたくないだろうと思う。


【降伏文書調印】 そして、その3日後の1945年9月2日に、降伏文書を調印したのが、重光葵です。
この降伏文書調印で法的には日本という国はありません。日本列島はあっても、日本には主権がなくなるからです。主権がない国家というのはありません。このあと7年間、1952年に独立を回復するまで。この7年間はどこの歴史か。たぶんアメリカ史の一部でしょうね。日本という主権国家がないのですから。でもその7年間の間に、大事なことのほとんど、憲法から法律、経済体制が決まっていく。


【東南アジア諸国の独立】 では日本が占領した東南アジアの地域はどうなったか。日本が占領する前は、欧米の植民地だった。しかし次々に独立していく。日本は一度彼らを追い出す。しかし日本が負けたら、欧米はまた植民地に戻ってくる。
しかし、欧米の軍隊が日本軍に負けて逃げていくのを現地の人は見ているから、抵抗運動を始めていく。ここから本格的な独立運動が始まる。

インドネシアは、どこの植民地だったか。オランダから独立する。独立戦争をここから始める。指導者はスカルノです。大統領になります。第三婦人が、茶の間でおなじみのデビ婦人です。

フィリピンは、アメリカから独立した。
インドは、イギリスから独立した。
マレーシアも、イギリスから独立した。
ビルマつまり今のミャンマーも、イギリスから独立した。
ラオスは、フランスから独立した。
カンボジアも、フランスから独立した。ほとんどが独立した。

ベトナムの独立だけが長引く。フランスと戦って勝つ。そこにアメリカがフランスを応援する。これがベトナム戦争です。この段階でみんな、ベトナムは終わりだ、と思った。しかし、ベトナムがアメリカに勝つんです。独立を勝ちとる。約30年かかります。1976年です。まじまじと覚えています。
私は子供ながら、ベトナム戦争は遠い東南アジアのことと思っていました。枯れ葉剤をまいたのは米軍だ、日本とは関係がない、と。ところがその米軍機がどこから飛び立ったか。沖縄の米軍基地です。当時は、ほとんどそういう報道もないです。
これで終わります。

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